第18話:傲慢な勇者の打算
王が謁見の間から去り、自室に戻った勇者は、ふかふかの獣の毛皮が敷き詰められた巨大なベッドにドサリと身を投げ出した。
暖炉の火が赤々と燃え、部屋の中は快適な温度に保たれている。傍らには怯えた様子の女中が控え、極上の果実酒が注がれた杯を震える手で差し出してきた。
勇者はそれをひったくるように受け取り、喉に流し込みながら、不機嫌に舌打ちをした。
「チッ……忌々しい。なんでこの俺が、わざわざこんな極上の生活を放り出して、泥水やすすにまみれた迷宮探索などしなければならないんだ」
先ほどは王の前で勢いよく「回収しに向かいましょう」などと言ってしまったが、自室に戻って冷静に考えれば考えるほど、腹立たしいことこの上なかった。
外は淀んだ紫色の空の下、悍ましい魔物がうろつく死の荒野だ。風は冷たく、血と腐敗の臭いが充満している。あんな場所を何日も歩き回り、カビ臭い古代の遺跡や迷宮に潜って重苦しい鉄くずを回収する……想像しただけで反吐が出そうだった。
今、自分はこの砦で最も豪華な部屋を与えられ、毎食極上の肉を貪り、誰にも逆らわれない絶対的な王様のような生活を送っている。これを手放すことなど、到底許容できなかった。
「おい、王を呼べ。すぐにだ」
勇者は空になった杯を壁に投げつけ、女中に怒鳴りつけた。
数分後、息を切らして駆けつけてきた王に対し、勇者はベッドに寝そべったまま、極めて不機嫌な顔で言い放った。
「王よ。先ほどの話だが、やはり私が自ら武具を探しに行くというのは効率が悪すぎる。私はこの砦を守る最大の要だ。私が留守の間に大魔王の軍勢が押し寄せてきたら、お前たちはどうするつもりだ?」
「ゆ、勇者殿……? し、しかし、武具は……」
「兵士どもを行かせろ。何百人でも何千人でも犠牲にして、私のためにその武具を見つけ出し、ここに運ばせればいい。私にはそれを受け取る資格があるのだから、問題ないだろう」
全くの屁理屈であり、ただ自分が安全な場所で贅沢を続けたいがための身勝手な難癖であった。
王は顔面を蒼白にし、床に膝をついて懇願した。
「そ、それはできませぬ! 先ほども申し上げた通り、伝説の武具は真の勇者であるあなた様自身が直接その手で触れ、封印を解かねばならぬのです! 凡人が触れれば、たちまち呪いを受けて命を落とすと言い伝えられております!」
「知ったことか! 凡人の命などいくら散ろうが、私の快適な休息には代えられん!」
駄々をこねる子供のように、しかし絶対的な暴力の脅威をちらつかせながら喚き散らす勇者。
そのあまりの横暴さに、王は絶望の表情を浮かべた。しかし、ここで引き下がれば人類は滅亡してしまう。王は意を決したように顔を上げ、最後の説得のカードを切った。
「勇者殿……! どうかお聞きください。伝説の武具を全て揃えた者にもたらされるのは、ただ大魔王の結界を破る力だけではないのです!」
「あぁ?」
勇者は面倒くさそうに片眉を上げた。
「古の伝承にはこう記されております。四つの武具を全て身に纏い、その真の力を解放した者は……神にも等しい絶対的な力を得る、と」
「……神に等しい力、だと?」
その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、勇者の目の色が変わった。
気だるげに寝そべっていた体をゆっくりと起こし、王をギロリと見据える。
「それは本当か。ただの御伽噺ではないのだろうな」
「間違いありませぬ! 我々の先祖が代々守り抜いてきた古代の文献に、はっきりと記されております。全てを束ねし時、その者は人の理を超越し、天地を揺るがす神のごとき存在へと昇華する……と。それほどの力がなければ、あの大魔王を滅ぼすことなど不可能なのです」
王は必死に訴えかけた。
だが、勇者の頭の中では、世界を救うことなどすでに完全にどうでもよくなっていた。神にも等しい絶対的な力という甘美な響きが、彼の脳髄を激しく揺さぶっていたのだ。
(神に等しい力……!)
勇者は自身の震える両手を見つめた。
今でこそ常軌を逸した力を手に入れているが、それはあくまで強靭な人間の域を出ない。大魔王には攻撃が通じないという事実が、その限界を証明している。
だが、もし本当に神に等しい力を手に入れることができればどうなるか。
(この大魔王とやらを捻り潰せるのは当然だ。それだけじゃない。俺は真の神として、この世界の全てを俺の足元にひざまずかせることができる……!)
勇者の胸の奥底で、底なしの強欲がどす黒く燃え上がった。
今、彼が享受しているのは、たかが辺境の砦の、貧しい人間どもから搾取したちっぽけな贅沢に過ぎない。しかし神の力を得れば、この世界を丸ごと己の庭として作り変えることができる。
もはや、わざわざ救世主という仮面を被って、この老いぼれた王のご機嫌を窺う必要すらなくなるのだ。
(そうだ……大魔王をぶち殺し、神の力を手に入れた暁には、真っ先にこの鬱陶しい王を始末してやる。そうすれば、名実ともに俺がこの世界の唯一の支配者だ。俺の気に食わない奴は指先一つで消し去り、全ての富と女を俺の欲望のままに独占してやる!)
卑劣で醜悪な計算が脳内を駆け巡り、ついに勇者の口元に、歓喜と強欲に満ちた邪悪な笑みが浮かんだ。
危険な荒野に出るのも、泥水にまみれて迷宮を探索するのも、全てはこの絶対的な力、すなわち神の座を手に入れるための投資だと考えれば、安いものだ。
「……ふふっ、ははははっ!」
勇者は突如として声を出して笑い始めた。王と女中がビクッと肩を震わせる。
「勇者、殿……?」
「いや、試させてもらったのだ、王よ」
勇者はすぐさま表情を引き締め、さも厳格な救世主であるかのように振る舞い始めた。
「お前たちガイナックスの民が、他力本願で私に甘えているだけではないかとな。だが、今の必死な訴えで、お前たちの覚悟はよく分かった」
全く意味不明な理屈であったが、勇者は芝居がかった手つきで己の胸を叩いた。
「安心しろ。私とて、神に等しい力を得てまでこの世界を救うという重責を、他人に押し付けるつもりはない。伝説の武具探し、この勇者が自ら赴いてやろう!」
「おおお……! ありがとうございます、勇者殿! やはりあなたは我らの真の救世主だ!」
王は感動の涙を流し、床に額を擦り付けて深く感謝の意を表した。
(馬鹿め。俺が世界を救う? 違うな、俺がこの世界を俺のものにするためだ)
勇者は床にひれ伏す王を冷酷に見下ろし、心の中で高らかに嘲笑した。
己の果てしない強欲を満たすため、神に等しい力を我が物とし、全ての頂点に君臨するため。地下牢のどん底から這い上がった底なしに傲慢な男による、果てしなく身勝手な武具探しの旅が、ここに決定したのである。




