第11話:歓喜の門と偽りの聖者
背後で重厚な鉄と木の門が、鼓膜を震わせるほどの地響きと共にゆっくりと閉じられた。外界の淀んだ紫色の空と、むせ返るような魔物の死臭、そして絶望的な荒野の風景が完全に遮断される。
男……いや、自らを勇者と名乗るその男が前方へと視線を巡らせると、巨大な防壁の内側に広がる広場には、何百人もの砦の民たちが押し寄せるように集まっていた。
彼らの姿は、まさに絶望と貧困という言葉をそのまま形にしたかのように惨めなものだった。
大魔王の脅威に怯え、限られた物資だけで細々と生き延びてきた彼らの頬は一様にこけ、あばら骨が浮き出るほどにやせ細っている。身に纏っているのは衣服と呼ぶのもおこがましい、ツギハギだらけの薄汚れたボロ布ばかりだ。満足に水も使えない環境なのだろう、老いも若きもその肌や髪は泥と煤で黒く汚れ、うつろな瞳には長年の過酷な生活による疲労が色濃く滲み出ていた。
そんな彼らの前に、荒野の魔物を単身で皆殺しにしてきた勇者が立っている。
勇者の全身は、返り血によって赤黒く染まりきっており、足元からはまだ生温かい血の匂いと、常軌を逸した魔力の残滓が陽炎のように立ち上っていた。圧倒的な暴力の体現者。その凄まじい威圧感を前にして、最前列にいた民たちは恐怖のあまり息を呑み、ガタガタと小刻みに震えている。
「あ、ああ……」
「本当に……たった一人であの化け物の群れを……」
壁の上から事の顛末を見ていた見張りの兵士たちが、震える声で民衆に状況を伝えていく。
この男が、人間には到底太刀打ちできない凶悪な魔物の群れを、文字通りただの肉塊へと変えてしまったのだと。その事実が群衆の間に波紋のように広がっていくにつれ、彼らの瞳に浮かんでいた恐怖の色は、次第に別の感情へと反転していった。
誰かが、ふらふらと前に歩み出て、石畳の上に両膝をついた。
それに釣られるように、一人、また一人と、痩せこけた民たちが勇者の前で次々と平伏していく。やがて広場に集まった数百人の民衆全員が、まるで神に対する祈りを捧げるかのように、地面に額を擦り付けて土下座の姿勢をとった。
勇者は、その光景を無表情で見下ろしていた。
しかし、彼の内面は、かつてないほどの激しい歓喜と優越感で沸き返っていた。
(これだ……これだ! これこそが、俺が求めていた光景だ!)
勇者の心臓が、歓喜の高鳴りで破裂しそうに跳ね回る。
見渡す限りの人間が、己の圧倒的な力にひれ伏し、震え、命の決定権を委ねてきている。つい昨日まで、光の届かない地下牢で這いつくばり、看守たちからゴミクズのように見下されていた惨めな日々の記憶が、この最高の優越感によって完全に上書きされていくのを感じた。
(見ろ、あの薄汚い元の世界の連中よ! 俺はお前らのような愚か者どもに見切りをつけ、この世界で真の支配者として迎え入れられたのだ! やはり俺は選ばれた存在だった。俺の前では、人間など全てこうして這いつくばるしかない奴隷に過ぎないのだ!)
腹の底からこみ上げてくる下卑た笑い声を、勇者は必死の理性で飲み込んだ。
ここで傲慢な態度をむき出しにしてしまえば、恐怖による支配はできても、自ら進んで全てを差し出させるような狂信的な崇拝は得られない。自分が求めているのは、泣いて感謝しながら極上の奉仕を捧げてくる便利な家畜たちである。
勇者はゆっくりと息を吸い込むと、顔の筋肉を巧妙に操り、慈愛と威厳に満ちた「完璧な救世主」の表情を作り上げた。
そして、重々しい、しかしどこか優しさを孕んだような声色を作って群衆に語りかけた。
「顔を上げなさい、ガイナックスの民たちよ」
そのよく通る声に、平伏していた人々が恐る恐る顔を上げる。
勇者は堂々とした足取りで、最も近くで震えていた一人の老婆のもとへと歩み寄った。老婆の顔は深いシワに刻まれ、目からはボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちている。
勇者はその老婆の前に静かに膝をついた。
(うっ、近くで見ると泥と汗の臭いがひどいな……。吐き気がするぜ、この薄汚い老婆が)
内心では極度の嫌悪感に舌打ちをしながらも、勇者はその泥だらけの震える老婆の細い手を、自身の血塗られた手で優しく包み込んだ。
「ひっ、あ、勇者様……!」
「もう恐れることはない。私が来たからには安心だ」
勇者は、まるで聖人のような穏やかな微笑みを浮かべて老婆の目を見つめた。
「あなた方がどれほどの恐怖と絶望の中で生きてきたか、痛いほど伝わってくる。だが、その苦しみも今日で終わりだ。大いなる使命に導かれ、この私が降臨したのだ。外の化け物どもは、もはや指一本たりともあなた方に触れることはできない」
その言葉が響き渡った瞬間、老婆は「おおおおっ!」と声を上げて泣き崩れ、勇者の泥にまみれた靴にすがりついて祈りを捧げ始めた。
それを引き金にして、広場全体が割れんばかりの歓声と、安堵の号泣に包まれた。
「勇者様万歳!」
「救世主様が来てくださったぞ! 神は我々を見捨ててはいなかったのだ!」
「ああ、ありがとうございます……! ありがとうございます!」
誰もが涙を流し、互いに抱き合い、勇者の姿を神の使いであるかのように崇め奉っている。自分たちを騙し、利用しようとしている悪魔の化身であることなど露知らず、心優しい民たちはただ純粋な希望の光にすがりついていた。
沸き返る熱狂の渦の中心で立ち上がった勇者は、歓声に応えるようにゆっくりと右手を高く掲げた。
さらに激しくなる民衆の熱狂を全身に浴びながら、勇者の口元には、誰の目にも触れないほどのわずかな、しかし最高に邪悪で打算的な笑みが張り付いていた。この愚かで扱いやすい連中を骨の髄まで搾取し尽くしてやろうという、最低の野心だけが彼の心を黒く塗り潰していた。




