第33話. 黒幕
マルタンはエイナルとともに中庭に立っていた。
エイナルの手に握られた巨大な弓。
それが悲鳴を上げながら大きくしなった。
ギギギギッ―
エイナルがマルタンと目を合わせ、マルタンが頷いた。
シュエエエッ―
風を切る音を立てて飛んでいった矢。
それが屋敷の塀に命中した。
バキッ―
「スゥッ...」
エイナルが気に入らないというように腕を振った。
「まだ何か微妙なんだが、あと何発か撃ってもいいか?」
マルタンが頷いた。
「好きなだけ。壊れた塀は修理しなければならないから、できれば当てた場所だけを狙え。」
「まあ、それくらいなら簡単だ。」
シュエエエッ― バキッ―
その豪語どおり、エイナルが放った矢は正確に同じ板へ突き刺さった。
さらに何発撃っただろうか、それを見ていたマルタンが口を開いた。
「これくらいなら、もう完全に回復したんじゃないか?」
「いや、力が足りないだろ。」
エイナルは何とも釈然としない顔で弓を下ろした。
弦を外しながら首を傾げた。
「思ったより回復に時間がかかるかもしれんな。旅が長すぎたか?」
エイナルがぶつぶつ言っている間、マルタンはどこか馴染みのない振動を感じた。
馬と兵士たちの気配。
エイナルが自然に再び弓に弦を張りながら尋ねた。
「何だ? ここにも攻め込んでくる奴らがいるのか?」
「全く。」
マルタンはまず、正門の外から近づいてくる者たちを確認した。
ボルドーへ向かったレスパールの者たち。
どこかみすぼらしく見える彼らの有様に、マルタンは何かが間違っていると直感した。
「随分と無防備に見えるが、知り合いか?」
エイナルはすでに弓弦に矢をつがえていた。
「それを下ろせ。」
「チッ...」
エイナルが舌打ちし、再び弓弦を外した。
ほどなくして、屋敷に到着したレスパールの者たちが強張った顔で中庭へ入ってきた。
一見すれば、敗残兵に近い雰囲気の者たち。
マルタンがベルトランへ近づき尋ねた。
「何があった?」
沈痛な顔をしたベルトラン。
彼はためらいながら答えた。
「公爵様が... 暗殺されました。」
「...何?」
あまりにも突然の話。
何から口にすればいいのか、見当すらつかなかった。
「ひとまず・・・ 中へ入ろう。」
マルタンは詳しい話を聞くため、レスパールの者たちを屋敷へ入れた。
「...何なんだ?」
訳が分からないという顔で立っているエイナル。
マルタンは彼を中庭に残したまま、屋敷の扉を閉めた。
長い間続いたベルトランの説明。
話の結論は単純だった。
「確かな下手人は分からないということか。」
誰が敵なのかすら、まともに把握できていない状況。
確かなのは、公爵が毒殺され、サンチョが新たなガスコーニュ公爵になるということだけだった。
「これからどうするつもりだ?」
ベルトランが力のない声で答えた。
「サンチョ公が暗殺の黒幕であるなら... 私とアイマル様はガスコーニュを離れます。勝ち目がありませんから。」
かなり無責任な発言。
マルタンが眉をひそめて尋ねた。
「サンチョが黒幕でなければ?」
「その時は機会を見て、アドゥール川の大領主たちを説得しなければなりません。」
ベルトランが沈痛な目でアイマルを見た。
「サンチョ公が後継ぎを残せぬまま死亡すれば、次のガスコーニュ公爵はアイマル様で間違いありませんから。」
マルタンは次期ガスコーニュ公爵だという者へ顔を向けた。
衝撃が大きかったのか、充血した目で暖炉のそばに座っているアイマル。
どうにも頼りない継承権者だった。
呆然としているアイマルのほうは時間が解決するだろうから、ひとまず別のことを尋ねることにした。
「アドゥール川の大領主たちはなぜ説得するんだ? 継承権上、サンチョの次はどうせアイマルではないのか?」
「ガスコーニュ中部の伯爵たちが、アイマル様を簡単に受け入れるはずがありません。」
ベルトランが続けて言葉を紡いだ。
「弱い大義名分にすぎませんが、中部の伯爵たちを率いる者がアイマル様に次ぐ継承権者です。勢力で劣った瞬間、そのまま押し込んでくるでしょう。」
マルタンが眉をひそめた。
「...苛立つほど複雑だな。」
ベルトランが沈痛な表情を浮かべた。
「こちらは力も正統性もどちらも曖昧ですから。難関が多いのは事実です。」
これ以上考えても、確かなことは何一つない状況。
マルタンは適当に話を切り上げることにした。
「下手人がはっきりしたら、また話そう。ひとまずレスパールへ戻るのか?」
「おそらく... それがいいでしょう。」
力のない顔で炉を見つめるベルトラン。
アイマルだけでなく、どうやらこちらもかなり問題が多そうだった。
マルタンが顔をしかめながら席を立とうとした瞬間、アイマルが彼の名を呼んだ。
「マルタン卿。」
相変わらず充血した目をしているアイマル。
戦場で嫌というほど見てきた、復讐心に満ちた眼差しだった。
「下手人が判明したら、その者を殺してくれますか?」
考える価値すらない言葉。
相手が誰なのかも分からないのに、こんな無茶な頼みを聞く理由はなかった。
「自分でやれ。」
マルタンは冷たく一線を引いた。
アイマルが憤りに満ちた目で彼に訴えた。
「卿は... 卿は僕の封臣でしょう。僕の敵は卿の敵でしょう!」
公爵の庶子は、主従関係についてまるで理解していない様子だった。
マルタンが席を立ち、アイマルへ近づいた。
「レスパールの幼き城主。」
腰を屈め、その充血した目と視線を合わせた。
「そちらが先頭に立つなら、考えてはみよう。」
主君という者がいるべき場所は、上ではなく前。
幼い城主がそれを忘れるのなら、従うつもりはなかった。
***
ギギギギッ―
城門が開く音。
それとともに、ガスコーニュの新たな主がボルドーへ入った。
パカラッ―
ボルドーへ入っていく数十の人馬。
サンチョは何の表情も浮かべず、自分の者たちを率いて通りを進んだ。
公爵の死のせいなのか、沈んだ雰囲気の通りを抜け、内城の前へ到着した。
「サンチョ公がお戻りになった! 門を開けろ!」
物見櫓の上に立っていた兵士の叫びとともに、内城の門が開いた。
内城へ入ったサンチョは、ほどなくして彼を迎えに出てくる家臣たちを見つけた。
「サンチョ公、お戻りですか。」
サンチョが歩みを止めずに尋ねた。
「状況を知っている限り説明しろ。」
サンチョの一行へ加わる家臣たち。
彼らが説明を始めた。
「公爵様のご遺体はひとまず礼拝堂に安置しました。捕らえた暗殺者は地下牢に閉じ込めており、庶子の一行は早々に城を抜け出したものと思われます。」
歩みを止めたサンチョが家臣を振り返った。
「...暗殺者が捕まったのか?」
「はい、飼葉を積んでいた倉庫で発見しました。」
しばらく考え込むサンチョ。
彼は方向を変え、別の場所へ向かい始めた。
「礼拝堂で待っていろ。私は少し別の場所へ寄る。」
少数の者だけを連れてサンチョが到着した場所。
そこは地下牢へ続く入口だった。
ギイィッ―
地下牢を守っていた兵士たちが扉を開くと、冷たく湿った空気が上がってきた。
コツ―
黴臭さが充満した地下牢。
サンチョは牢番を連れ、そこを歩いた。
「あの女か?」
「そうです。」
地下牢の隅。
両手を背中側で縛られたまま、天井の鎖に吊るされた侍女の姿が見えた。
手が真っ赤になっているところを見るに、すでに爪はすべて剥がされたようだった。
「拷問したようだな。黒幕については?」
「...まだ口を割っておりません。」
気を失い、ぐったりと垂れ下がっている侍女。
サンチョが彼女へ視線を固定したまま口を開いた。
「起こせ。」
「はい。」
牢番が牢の隅にある水の入った桶を持ち上げた。
バシャッ―
水を浴びせられたまま呻き声を漏らす侍女。
牢番がその髪を掴み、女の顔を持ち上げた。
「起きろ。ガスコーニュの新たな主がお越しだ。」
力のない目で牢番を見ていた女が、その視線をサンチョへ移した。
「あ.....サンチョ公でいらっしゃいますね。」
彼女が小さな声で言葉を続けた。
「公爵が死んだのですから... 公にとっては喜ばしいことではありませんか?」
挑発なのか懇願なのか、区別すらつかない言葉。
サンチョが冷ややかな顔で尋ねた。
「黒幕は?」
侍女がかすかな笑みを浮かべた。
「...黒幕ですって?」
サンチョを見上げ、苦しそうに口を開いた。
「ただ... 葡萄酒が傷んでいただけではありませんか?」
バキッ―
牢番が侍女の頬を殴りつけた。
「この狂った女が、まだ!」
「もういい。」
牢番を止めたサンチョが侍女を見下ろした。
「まだ冗談をほざく余裕があるようだな。」
サンチョが牢番の手にあった松明を奪い取った。
ゴォッ―
侍女の顔がよく見えるよう松明を差し出し、ゆっくりと口を開いた。
「黒幕を話すつもりがなくても構わない。」
表情一つ変えぬまま、松明を相手の顔へ近づけた。
「どうせ私がここへ来たのは、鬱憤を晴らすためだからな。」
松明から逃れようともがく侍女。
天井から吊るされた鎖は、それを許さなかった。
「きゃああああっ―!」
肉の焼ける臭いとともに、侍女の頬が歪んだ。
「黒幕を話したくなったなら、いつでも話していい。」
侍女の悲鳴にも構わず、サンチョは松明をさらに少し近づけた。
「どうせ何も変わりはしないが。」




