第31話. 息絶えていた
夜も更ける頃まで、マルタンは暖炉のそばにじっと座り、エイナルの話を聞いてやっていた。
「新しいカリファ? カリフ? とにかく、そいつの黙認のもとでコルドバを略奪したんだ。金も力もない奴が、略奪をどうやって止める?」
マルタンは適当に答えた。
「そうだな。」
エイナルは葡萄酒を一杯空けると、再び口を開いた。
「それで街を略奪してたら、いきなりハサンの野郎が目の前に現れたんだよ。妙な器具を懐いっぱいに抱え込んでるのを見て、真っ先にお前が思い浮かんだ。ああ、ポワイヤックに寄るついでに土産にすりゃちょうどいいなって。」
「...そうか。」
酒を飲むと口数が多くなるエイナル。
それを忘れて葡萄酒を出した代償は凄惨だった。
「それでコルドバを出てここまで来る途中、あのピレネー山脈? クソ寒い場所を越えて、ようやく人が住めそうな場所に来たかと思ったら、そのうち人が住めない荒れ地が延々と続くもんだから、どうして村の老戦士たちがガスコーニュは」
マルタンは、自分の代わりにエイナルの話を聞いてくれる者を探してみた。
ポワイヤックの人間の中で、バスク語を多少なりとも話せる唯一の者。ピエール
彼はエイナルの言葉を人々にたどたどしく訳していた。
「コルドバが滅びて、人の住めない荒れ地になったそうです?」
どこか大いにおかしいピエールの通訳。
マルタンはもう黙ってエイナルの話を聞いていることにした。
「とにかく、大事なのはそこじゃない。大事なのは、俺が連れてきたお前への贈り物が、とんでもなく賢いってことだ。」
エイナルが顔を向け、ハサンを見た。
「ハサン、お前は何ができるんだった?」
ちょうど魚のシチューをがつがつ食べていたハサン。
彼は慌てて器を置いた。
「私...草に水路作る、草育てる、草治す、草の匂い抜く。」
エイナルが首を振った。
「違う、違う。お前が持ってる一番大事な能力はそんなもんじゃないぞ、ハサン。もう一度!」
ハサンが小さな声で呟いた。
「でも... あれ食べるもの違う。」
「いや、葡萄酒から作るんだから、当然飲めるだろ。もう一度!」
ハサンはしばらくためらってから、ゆっくり答えた。
「私... 強い酒、作れる。」
エイナルが満足げな笑みを浮かべた。
「そうだ、ハサン! ようやくあれを酒だと認めたな。」
どこか大いに不満そうなハサン。
彼から顔を背けたエイナルがマルタンに言った。
「あいつが作るのは、ただの酒じゃない。一口飲むだけで勇猛さとともに身体が熱くなる神秘の液体で、お前が出したこの葡萄酒なんかとは比べ物にもならない。」
エイナルが目を輝かせた。
「その神秘の液体なら、そのどんよりしたお前の目も治せるんじゃないかと思うんだが?」
神秘の液体も何も、ただ度数の高い酒かアルコールの話に聞こえた。
「...そうか。」
「なんだよ、その煮え切らない反応は?」
エイナルが顔を近づけてきた。
「このままずっと、腐った魚みたいな目をして生きてくつもりか?」
「以前がおかしかったんだ。今が普通だ。」
エイナルがきっぱりとした顔で言った。
「違う、違う。むしろ前のほうがずっとよかった。人間、目標がなきゃ駄目だろ。」
彼は続けて口を開いた。
「アル・ムザッファルの野郎がくたばって一年以上経つってのに、いつまでそうしてるつもりだ?」
マルタンは無言でエイナルを睨みつけた。
するとエイナルが呆れた表情を浮かべた。
「何をそんなに睨んでんだ? あいつが病気でくたばったのが俺のせいか?」
彼はマルタンと目を合わせた。
「気に食わないなら、あの野郎をとっくに殺しときゃよかっただろ! 戦場であいつと何度も出くわしておいて、たった一人も殺せなかったのか?」
エイナルが過去の戦場を一つ一つ挙げていった。
「バルセロナ! リバゴルサ! クルニア! メディナセリ! 奴と出くわした場所をもっと言ってやろうか?」
無言でそれを聞いていたマルタン。
その口元が徐々に歪んだ。
「お前と最後に戦ったのは二年前だったか?」
エイナルは待ってましたとばかりに凄みのある笑みを浮かべた。
「ようやく見られる目つきになったじゃねえか。」
何も言わず互いを睨みつけるマルタンとエイナル。
しばらくして、マルタンが顎をしゃくった。
「戦いたいなら出ろ。すぐに相手をしてやる。」
「ふむ...」
何かを考え込むエイナル。
やがて、大したことでもないかのように、手に持った葡萄酒へ目を落とした。
「いや、今日はやめとく。旅が長すぎたからな。」
彼は葡萄酒を一息に飲み干すと、再び口を開いた。
「身体が回復したらすぐ言ってやる。敗北の代償はいつもと同じで?」
「好きにしろ。」
ルールはいつだって単純だった。
死ぬか、相手の下で一年間這いつくばるか。
エイナルがゆっくりと口角を吊り上げた。
「今度こそ貴様を俺の故郷へ連れていってやる。」
***
翌日。
寝室の隅で眠っているエイナルは、日が昇ってからも起きる気配を見せなかった。
酒に強い代わりに、それ相応の睡眠時間を保証しなければならない、なかなか合理的な感じの酒飲み。
マルタンはそんなエイナルを放っておき、部屋を抜け出した。
いつものように暖炉の近くでは屋敷の者たちが起きており、広間の隅ではハサンがうずくまったまま眠っていた。
ハサンを見つめているマルタンに、ピエールが近づいてきた。
「領主様、あの者たちはどれほど長く滞在する予定なのでしょうか?」
「正確には分からんな。」
マルタンは少し考えてから、言葉を続けた。
「ひとまず寝室にいるあいつは、一年ほど滞在することになった。」
「一年となると... 食糧が持つでしょうか?」
ピエールが心配そうな顔で寝室を指した。
「長旅だったことを考慮しても... あのノルド人は他の者の三、四倍は軽く食べているように見えます。」
「食糧はあいつが自分で調達してくるだろう。コルドバを略奪したというのだから、金ならたんまりあるはずだ。」
食糧などいつでも調達してくれば済む話、問題はあの隅で眠っているムーア人だった。
「おい、ハサンと言ったか?」
マルタンが呼んでも、死んだ鼠のように静かに眠り続けるハサン。
そこでピエールが乗り出した。
「起きろ、ハサン!」
ピギャッ―
「うわっ...!」
後頭部を押さえながら目を覚ましたハサン。
ピエールがたどたどしいバスク語で彼を叱りつけた。
「領主様、話す。何してる?」
「す..... すまない、ご主人様。」
マルタンは何とも釈然としない顔でピエールとハサンを見た。
「何かお気に召さないことでもございますか? 仰っていただければ、私がきちんと教育しておきます。」
「いや... もういい。」
マルタンがハサンへ顔を向けた。
ここの人々とはまともに言葉すら通じないムーア人。
他の者とは宗教も、外見も違う者を、わざわざ受け入れる必要はなかった。
『こいつは役に立つのか?』
葡萄酒からアルコールを作るというのは珍しくはあるが、それだけのこと。
生産性も、商業性も未知数の商品であるうえ、今すぐ金に困っているわけでもなかった。
「庭園の管理人だったか? お前はここで具体的に何ができる?」
ハサンは答えるのをためらった。
「ええと... ここの土地、まだ見てない。直接見ないと分からない。」
コルドバの土地と気候での経験が、ここで役立つはずもなかった。
「直接見れば分かるのか?」
ハサンが自信のない声で言った。
「分からない。とりあえず見ないと分からない。」
ここを見せること自体は難しいことではない。
マルタンが顔を向け、ピエールを見た。
「ハサンを連れてついてこい。荘園を一回り見て回る。」
マルタンはピエールとハサンを連れ、すぐに屋敷を出た。
ぬかるんだ農地と、丘の上の小さな葡萄畑。
それ以外にもポワイヤックのあちこちを回る間、ハサンがしたことといえば、時折土を掘り返してみることだけだった。
そんなハサンにもどかしさを感じたのか、ピエールが先に口を開いた。
「何か言うことはないのか?」
ハサンが慎重に答えた。
「...糞だ。」
ピエールが首を傾げた。
「糞? 肥料が必要なのか?」
ハサンが首を振った。
「糞みたいな土地だ、ここ。なぜこんな所に住む?」
「...この野郎。」
バキッ―
ピエールはたどたどしいバスク語の代わりに、ガスコーニュ語と拳を繰り出した。
「このムーア人野郎が俺の故郷を... いや、領主様の土地を馬鹿にしやがって?」
「ぐっ...! 水路! 水路を作ればよくなる。」
ハサンへ向かっていたピエールの手が止まった。
「水路?」
「...土地に水、多すぎる。川に捨てないといけない。」
判断を仰ぐような目でマルタンを見るピエール。
それに対し、マルタンはハサンの肩に手を置いた。
「詳しく説明してみろ。」
いまだその有用性を見極めるのが難しいムーア人。
水路は、この男に与えられる最初にして最後の機会となるものだった。
***
クリスマス。ガスコーニュ公爵の寝室前。
侍従長が慎重に扉を叩いた。
コンコン―
「公爵様。お呼びでしょうか?」
かなり長い時間待ったにもかかわらず、扉の向こうからは何の気配もなかった。
それを訝しく思った侍従長が、扉を守っている兵士に尋ねた。
「中にいらっしゃるのは間違いないのか?」
「はい、それは確かです。」
「ふむ...」
侍従長はもう一度扉を叩いた。
「公爵様? お休みですか?」
相変わらず返事のない公爵。
それに侍従長が首を傾げた。
「このようなことは今までなかったのだが... おかしいな。」
侍従長は己の務めを果たすため、ゆっくりと寝室の扉を開いた。
「...公爵様?」
寝室の中。
ガスコーニュ公爵は、その床に倒れていた。
「公爵様―!」
侍従長が慌てて寝室へ駆け込んだ。
公爵の状態を確かめた彼の指先が震えた。
「こ.....これは一体?」
胸元を掴んだ手と、充血した両目。
青みがかった唇と、ほとんど温もりの感じられない肌。
彼の主君は、すでに息絶えていた。




