第2話. 傭兵上
第2話
久しぶりに戻った故郷は、マルタンの郷愁をかき立てた。
村の前を流れる、まるで海のように広大な川。
ところどころに見えるライ麦畑と、あちこちに広がる葦原は、幼い頃の思い出を呼び起こした。
よく考えてみると、それほど楽しい思い出でもなかった。
現代人としての感性を殺しながら、中世に慣れていった時期。
自分をこんな場所へ放り込んだ神を、一日に何十回も呪ったものだ。
それでも、振り返ってみれば戦場よりはましだった。
「坊ちゃま!」
振り返ると、息を切らしてこちらへ駆けてくるピエールが見えた。
「はぁ……どちらへ行かれるおつもりですか?」
「どこへって? ただ村を見て回ろうと思っただけだ。」
「今夜はどちらでお休みになるおつもりで?」
せっかく来たというのに、当たり前のことを聞いてくる。
「野宿するさ。ここへ来るまでずっとそうしてきたじゃないか。」
ピエールは頭を抱え、困り果てたような表情を浮かべた。
「ついて来てください。知り合いがおります。」
「知り合い?」
「これでも一生この土地で暮らしてきたんです。知り合いの一人くらいおりますとも。」
マルタンはピエールの後について歩きながら、自分にもこの村に知り合いがいたか考えてみた。
領地を離れる時、最後の別れを交わし、少しでも悲しんでくれた者。
「マルタン。その剣、本当に持って行くの?」
古びた剣一本を持って行くことを悲しんでいた次兄の姿が脳裏によみがえった。
***
「……お休みください、坊ちゃま。」
「ああ。」
ポワイヤックに到着して迎えた最初の夜は、村外れの森だった。
ピエールの大口とは裏腹に、身を横たえる場所を見つけるのは容易ではなかった。
最初はうまくいくかと思ったが、皆、領主の機嫌を損ねるのを恐れているのか、家の片隅すら貸すことを拒んだ。
「……まったく、人情のない連中だ。」
故郷の友人たちに拒絶されたことがよほど堪えたのか、ピエールは毛布をかぶったまま、ぶつぶつと独り言を漏らし続けた。
その耳障りな不満がいびきに変わってようやく、マルタンは眠りにつくことができた。
ガサッ――
マルタンは静かに目を開いた。
小さいながらも、明らかに異質な音。
人か動物かは分からないが、のんきに眠っていられる状況ではなかった。
『十歩ほどか。』
静かに手を伸ばし、剣が傍らにあることを確かめる。
指先に伝わる、馴染み深い革の感触。
間違いなく鞘だった。
武器があると分かった以上、恐れることはない。
残るのは、あの音の主がさらに近づいてくるのを待つだけだった。
正体が何であれ、夜の客を逃せば面倒になる。
ここは辛抱のしどころだ。
ガサガサ――
音が近づくにつれ、その正体ははっきりした。
人の足音。
わざわざ意図を確かめる必要もない。
善良な夜の客とは、死んだ夜の客だけだ。
例外はない。
相手が一度立ち止まったかと思うと、さらに別の足音が聞こえてきた。
合わせて三人。
多いとも少ないとも言える人数だった。
彼らが五歩以内に踏み込んだ瞬間、マルタンは素早く身を起こした。
「……!」
突然の事態に相手が動揺したのが伝わってきた。
こんな平和な村に熟練した夜盗がいるはずもないが、ずいぶん気の抜けた反応だ。
楽になるなら悪いことではない。
すらり――
剣を抜き放ち、一番近い相手へ突進した。
同時に、相手の装備を見極める。
短剣を持った夜盗が二人、槍を持った夜盗が一人。
音を立てないようにしているのか、それとも怯えているのか。
ぎこちない構えを見て、ため息が漏れた。
ドンッ――
短剣すら満足に構えられない相手の胸を思い切り蹴り飛ばした。
「ぐはっ!」
こういう連中は、わざわざ気絶させる必要もない。
気絶した相手を起こすより、地面でうめいている相手に質問する方が何倍も楽だった。
ドサッ――
一人が倒れると、そこでようやく夜盗たちは武器を構えた。
「な、何してる! 早く刺せ!」
「うおおっ!」
力も乗っていない、真っすぐな軌道で突き出される槍。
わざわざ弾く必要すらなかった。
体を斜めにひねって槍をかわし、そのまま相手へ踏み込む。
ゴッ――
「ぐっ……!」
そのままみぞおちへ肘を叩き込み、最後の一人へ目を向けた。
月明かりが暗く、顔までは見えなかったが、恐怖に震えていることだけは分かった。
あの様子なら、もう制圧したも同然だ。
無駄に力を使わず、そのまま問いを投げる。
「誰の差し金だ?」
確認するまでもないとは思っていたが、念のためだった。
「ち、父上の命令です。」
震える声で答える相手。
その頼りない構えと同じくらい情けない証言に、マルタンはもう一度尋ねた。
「父上とは誰だ?」
「ポワイヤックの領主です。」
叔父の息子なら、自分の従兄弟ということになる。
昼間屋敷で見た青年より少し小柄に見えるから、おそらく別の息子だろう。
すでに恐怖に支配された従兄弟へ、さらに問いを重ねた。
「あそこに倒れている奴らは?」
「兄上と……領地の兵です。」
「兵だと?」
地面でうめいている二人へ視線を向ける。
あの中に兵士が一人いたとは。
どちらもあまりにひどい有様で、見分けがつかなかった。
「どっちが兵士だ?」
「槍を持っていた方です。」
「そうか。」
ザシュッ――
剣を振るい、従兄弟の首を鮮やかに斬り落とした。
ごとり――
どさっ――
首が地面に転がり、ほどなく体も崩れ落ちた。
人の首を一太刀で落とすのは簡単ではない。
だが、素直に答えてくれたのだから、この程度の待遇は受ける価値があった。
仕上げのため、苦しげに喘いでいるもう一人の従兄弟へ歩み寄る。
目が闇に慣れたのか、今では顔の判別もつくようになっていた。
「昼に見た従兄弟はお前だったか。」
短い感想だけ残し、その首を突き刺した。
「ぐ……あ……。」
空気が抜けるような音を立て、従兄弟は息絶えた。
剣先についた血を従兄弟の服で適当に拭い、兵士の方へ向かった。
「うぅ……あぁ……。」
他の二人が殺されるのを見たせいか、兵士は何とか立ち上がって逃げようとしていた。
「お前は殺さない。安心しろ。」
相手は言葉を理解できなかったのか、よだれを垂らしながらなおも逃げようとする。
従兄弟たちは争いの火種になり得るから仕方なかった。
だが、あれはただの領民。
自分の領民を殺すのは愚かなことだった。
「私の言葉が聞こえないのか?」
「はぁ……はぁっ……お願いです、どうか命だけは!」
ようやく息が整ったのか、兵士は口を開き始めた。
「いいだろう。息をすると胸は痛むか?」
「痛みません。本当に……命令されて来ただけなんです。」
幸い、忠誠心の強い兵士ではなかった。
このまま放っておいても死ぬことはなさそうなので、まず状況を整理することにした。
「ピエール、起きているな?」
これだけ騒ぎがあったのだから、まだ寝ているはずがない。
「は……はい。」
突然の夜の客に衝撃を受けたのか、返事は力なかった。
「お前は死体を見張っていろ。」
ピエールが震える声で尋ねた。
「坊ちゃまは……どちらへ?」
「仕上げに行く。」
事が思いのほか簡単に進みそうで、自然と笑みが浮かんだ。
***
夜更け。
ロベールは部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。
「はぁ、決闘裁判だと? 馬鹿げている。」
自分が甥と決闘裁判をして得るものなど何があるというのか。
万が一、手加減を誤れば親族殺しという汚名を着る。
そうでなくとも、甥の領地を奪ったという噂が立つに決まっていた。
だから夜のうちにあいつを始末し、ここを去ったという噂を流すつもりだった。
「そろそろ戻ってきてもいい頃だが。」
眠っている男一人を三人で始末するなど造作もないはず。
それなのに、なぜまだ報せが来ないのか。
コンコン――
静寂を破るノックの音に、ロベールは慌てて扉へ向かった。
ぎぃ――
「遅かったな。どうなっ……」
暗い月明かりの下に立っていたのは、見知らぬ人影だった。
送り出したのは三人。
戻ってきたのは一人だけ。
「出てこい。」
その声を聞いてようやく、相手が自分の甥だと気づいた。
「お、お前……なぜだ? 私の息子たちは?」
「死んだ。」
あまりにも淡々とした返答。
現実味のないその態度に、ロベールは呆然と相手を見つめた。
「首でも持ってくればよかったな。そうすれば話はもっと早かった。」
そこでようやくロベールは我に返った。
どういう手を使ったのかは分からない。
だが兵士も息子たちもやられたことだけは確かだった。
慌てて扉を閉めようとしたが、マルタンの足がそれを止めた。
「面倒をかけるな。さっさと出てこい。」
ロベールが必死に扉を閉めようとしていると、騒ぎを聞きつけた使用人が駆けつけた。
「領主様! 何事ですか!」
「私の剣を持ってこい! 早く!」
慌ただしくロベールの部屋へ駆け込んだ使用人は、一本の剣を持って戻ってきた。
ロベールはそれを受け取るや否や、勢いよく扉を開いて剣を振り下ろした。
ヒュッ――
空を切る音。
扉を塞いでいたはずの相手の足は、すでにそこにはなかった。
「ようやく出てくる気になったか。」
いつの間に後ろへ下がったのか、数歩離れた場所からこちらを見ているマルタン。
十分攻撃できたはずなのに、相手はただ立っているだけだった。
「貴様……必ず後悔させてやる。」
ロベールは外へ出ると、すぐに構えを取った。
相手が体勢を整える前に剣を振るい、突進する。
キィン――
キンッ、キンッ――
ロベールの猛攻に、マルタンは剣で受けながら後退するしかなかった。
「この腕を見込まれ、レスパール城主様の家臣になりかけた男が私だ!」
ロベールは剣を振るいながら叫んだ。
「傭兵上がりの貴様ごときに負けるものか!」
ヒュッ――
言葉が終わるや否や、ロベールの剣は空を切った。
『え?』
ズブッ――
ロベールはゆっくりと視線を落とし、自らの胴を見た。
まったく見えなかった一太刀。
いつの間にか、マルタンの剣が自分の胸に突き刺さっていた。
「ごふっ……!」
どれほど月明かりが暗かろうと、相手の動きは見えていたはずだ。
こんなにもあっさり剣を通されるような相手ではない。
「うおおおっ――!」
認められない現実に、最後の力を振り絞って剣を振るう。
キィン――カランッ。
その剣は力なく弾かれ、地面へ落ちた。
『……まただ。』
見間違いではなかった。
動きすら見えなかったのに、相手はいつの間にか自分の剣を弾いていた。
ロベールは震える手で胸の傷を押さえた。
「……なぜ最初から斬らなかった?」
今なら分かる。
その気なら、とっくに自分を斬り伏せられたはずだった。
そもそも、自分が動きを追える相手ではなかったのだ。
「この距離なら血が飛ばない。」
「……血?」
その意味を考える暇はなかった。
ズブッ――
心臓を貫く冷たい金属の感触。
ロベールの視界は、ゆっくりと霞み始めた。




