第16話. 救い
アマニウは自室で謹慎の日々を送っていた。
槍の柄一本すら防げず、もたついていた自分の姿が頭から離れなかった。
「ふう……。」
すでに十日以上も前のことだった。
気持ちを立て直して訓練場へ出ようと何度も試みたが、顔を上げて歩く勇気が出なかった。
彼にできることは、ただ椅子に座ってぼんやりと時間を過ごすことだけだった。
プォォ~。
突然響いた角笛の音。
それにアマニウが席から立ち上がった。
プォ―プォォ~。
普通の角笛の音ではなかった。
外敵の侵入、あるいはそれに準ずる非常事態を知らせる音。
謹慎などしている場合ではないことだけは確かだった。
バンッ―
アマニウは慌てて剣を掴み、自室を飛び出した。
混乱に陥った城内。
人々は、彼の予想とは少し違う動きをしていた。
『城から逃げ出しているのか?』
一人、また一人と城門の外へ逃げていく人々。
外から侵略を受けたのなら、こうなるはずがなかった。
パカラッ―
背後から聞こえてくる蹄の音。
振り向くと、馬を走らせる侍従長の姿が見えた。
「侍従長! これはいったい何事ですか!」
一時馬を止めた侍従長が、呆然とした顔で口を開いた。
「助けを……助けを求めねばならん。」
「助けですって? それはどういう――」
ヒヒィン―
侍従長は彼の質問を無視し、そのまま馬を走らせて城を出ていった。
その後ろ姿を見つめたのも束の間、アマニウは状況を正確に把握するため、周囲を見回した。
『……あそこだ。』
騒ぎの中心を見つけるのは簡単だった。
ここの宴会場。
その前に倒れている死体と、そこから逃げ出してくる人々の姿を見れば明らかだった。
アマニウは足を速め、宴会場へ向かった。
その前に倒れている兵士二人。
一人は短槍に首を貫かれたまま倒れ、もう一人は何かで殴られたのか、頭が陥没していた。
『……いったい誰が?』
アマニウは頭に浮かんだ疑問を振り払い、急いで宴会場へ入った。
キィン―!
武器同士がぶつかる音。
彼の剣術の師である武官長が、全身を血に染めた男と戦っていた。
『他の者たちは?』
皆はいったい何をしているのか、なぜ武官長が一人で戦っているのか。
ひとまず鞘から剣を抜き、足を踏み出した。
ピチャッ―
『……?』
アマニウは顔を伏せ、床を見た。
小さな血溜まり。
その横には、別の荘園の領主が一人倒れていた。
『ベイシュヴェルの領主?』
アマニウはゆっくり顔を巡らせ、周囲を見渡した。
荘園の領主、同僚の家臣、兵士たちまで。
数十に及ぶ死体が、宴会場のあちこちに転がっていた。
「……これはいったい?」
武官長は一人で戦っていたのではなかった。
戦いの末に残ったのが、彼一人だっただけだ。
あの血まみれの男が、全員を殺したに違いなかった。
カキィン―
武官長は、これまで見たこともない表情で剣を振るっていた。
稽古試合では見ることのできなかった、彼の本当の実力。
それにもかかわらず、相手は難なく防いでいた。
カガガッ―
決着がついたのは一瞬だった。
武官長の剣が受け流され、男の頬を掠めて通り過ぎると、男は懐へ潜り込んだ。
ゴキッ―
武官長へ体を密着させた男が、剣の柄頭でその肩を打ち抜いた。
「ぐはっ……!」
そのまま武官長を床へ倒し、首へ剣を突き立てた。
あまりにも呆気ない結末。
アマニウは自分の目を信じられなかった。
彼の剣術の師がどのような人物だったか。
このメドックで数十年もの間、敵う者を見つけることすら難しかった人物だ。
いくら全盛期を過ぎたとはいえ、これほど容易く崩れるはずがなかった。
床へうつ伏せになり、血を吐いている武官長と目が合った。
距離が遠く、よくは見えなかったが、なぜかその唇が動いているように見えた。
武官長の声なき遺言。
……逃げろ。
その口の動きを最後に、武官長はもう動かなかった。
ブシュッ―
男はそこでようやく、武官長の首から剣を引き抜いた。
疲れた顔で息を吸い込み、アマニウを見た。
「……不満があるなら武器を取れ。相手をしてやる。」
アマニウはその声を聞いて初めて、相手の正体に気づいた。
ポワイヤックのマルタン。
彼を忘れられるはずがなかった。
「お前……なぜお前が……。」
相手が誰なのか分かったところで、できることはなかった。
アマニウはただその場に立ち尽くし、呟くだけだった。
彼の剣先は、いまだ床を向いていた。
マルタンはアマニウをしばらく見つめた後、体を翻した。
剣を振って血を払い、壇上へ歩いて上がった。
壇上中央の椅子。
そこにはレスパールの城主が座っていた。
「狂った野郎め……くくく……。」
静寂だけが満ちた宴会場へ、城主の笑い声が広がった。
彼は肩に短槍が突き刺さったまま、マルタンへ怒鳴り始めた。
「貴様、こんな真似をして無事で済むと思っているのか? 私が誰だか分かっているのか!」
マルタンは黙って剣を持ち上げた。
「セネブルンの息子、ゴスルム、レスパールの正統なる支配者こそがこの私だ! 我が一族がメドックでどれほど――」
ズブッ―
「ごぼっ……。」
血泡を吹く音。
城主はそれ以上、何も言わなかった。
「……話し合うには遅すぎたな。」
マルタンは城主の首から剣を引き抜いた。
顔を向けて宴会場を一度見回すと、その視線をアマニウへ固定した。
「まだいたのか?」
アマニウはゆっくりと後ずさりを始めた。
剣術の師と主君の死を目にしても、彼にできることは何もなかった。
アマニウはゆっくり体を翻すと、振り返ることもなく宴会場から飛び出した。
今、彼が望んでいるのは、相手が自分を追ってこないことだけだった。
***
宴会場に一人残ったマルタンは、床へ落ちている盾を拾い上げた。
鍛冶屋へ頼み、鉄縁をつけさせた盾。
それを隅々まで調べた後、結論を下した。
「……使い物にならないな。」
完全に壊れてしまった盾。
武官長が最初の一撃を放った際、その力を見誤った代償だった。
マルタンは盾を脇へ投げ捨て、歩き始めた。
ザッ―
彼はここでの戦いに、とても満足していた。
城主を排除し、最後まで彼に従おうとした忠臣たちを全員始末した。
その過程で、城主の息子と思われる者まで斬り殺した。
殺すべき者たちの大半を殺せたのだから、運が良かったとしか言いようがなかった。
ピチャッ―
マルタンは一人の領主の死体の前で足を止めた。
どこか見覚えのある短槍が突き刺さっている死体。
そこへ刺さった短槍を引き抜き、穂先の状態を確かめた。
「……ないよりはましだろう。」
マルタンはそのまま短槍を持ち、宴会場を出た。
そろそろ日が沈み始めたのか、夕焼けの光が差し込む空き地。
宴会場での騒ぎのせいか、人の気配はほとんど感じられなかった。
彼は周囲を見回しながら、ここで最後にしなければならないことを思い出した。
『……城主には孫がいると言っていたか?』
出所すら思い出せない不確かな情報だったが、必ず確認する必要があった。
将来の争いの種。
すでに城から逃げ出しているかもしれなかったが、ひとまず捜索はしなければならなかった。
『いるとすれば、あそこだろう。』
マルタンは顔を上げ、城主一族が暮らしていたと思われる場所を見た。
夕陽を遮る、丘の上の塔。
迷うことなく、すぐにそこへ向かい始めた。
粗末な木の階段を通り、ついに辿り着いた丘の頂上。
マルタンは真っ先に塔の扉を確かめた。
ガタッ―
閂で閉ざされた扉。
良い兆候だった。
バキッ―
「きゃああっ―!」
扉を蹴破ると同時に、女の悲鳴が聞こえた。
中に見えたのは、侍女らしき女が一人。
そして、その手を強く握っている男児が一人だった。
「……その子が城主の孫か?」
マルタンの問いに、侍女は狂ったように何度も頷いた。
「他に子供はいないのか?」
「いません、本当に……本当にこの子だけです!」
マルタンは顔を伏せ、男児を見た。
見方によっては、子供というより赤ん坊に近く見える城主の孫。
ようやく歩き始めたばかりに見える子供へ近づいた。
「……あうあ?」
マルタンが目の前まで来ると、侍女は子供の手を放した。
こそこそとマルタンの様子をうかがった後、矢のような速さで塔の外へ飛び出した。
「うぅ……。」
侍女が消えたことが問題だったのか、泣きそうになっていた子供が本格的に泣き始めた。
「うわああん―」
塔が揺れるほど泣き喚く城主の孫。
マルタンはその前で、黙って子供を見つめた。
どれほど時間が過ぎただろうか、マルタンが顔を上げて天井を見た。
ガサッ―
小さいが、確かな人の気配。
誰かが上の階にいた。
ザッ―
階段を下りてきた何者かと、マルタンの目が合った。
「ひっ……!」
脚から力が抜けたのか、そのまま床へへたり込む老人。
頭頂部に髪がないところを見ると、司祭であることは明らかだった。
「う……。」
老司祭は恐怖に満ちた目でマルタンを見つめ、口を開いた。
「いったい……いったいあとどれほど殺すつもりで、ここまで上がってきたというのだ?」
マルタンが答えた。
「別に、これ以上殺すつもりはないが。」
相手は彼の言葉をまったく信じていない目つきだった。
「わざわざ、さらに殺す必要があるか?」
「……本気なのか?」
司祭の目が、今も泣き続けている城主の孫へ向かった。
「それなら、その子を連れていっても――」
マルタンが司祭の言葉を遮った。
「この子は例外だ。慣れないことなので、どうするか考えていただけだ。」
司祭はしばらく迷った後、慎重に彼へ尋ねた。
「……何も知らぬ子供を殺さねばならないのか?」
マルタンは頷いた。
「城主の血を引いているからだ。」
司祭が考え込んだ。
「修道院……修道院へ子供を預けるのはどうだ? 私が責任を持って連れていこう。」
「修道院?」
修道院へ入る基本的な前提は、相続権の剥奪。
見方によっては、血縁を断ち切ることとも言えた。
マルタンは子供の襟首を掴み、目の前へ持ち上げた。
子供と目を合わせてみたが、子供は何も知らないというように泣くだけだった。
「……メドックに修道院はあるのか?」
司祭は首を横に振った。
「ここにはない。」
「それはいい。」
近くの修道院でないのなら、問題にはならなかった。
「連れていけ。」
マルタンは司祭へ子供を差し出した。
子供を受け取った司祭は、そのまますぐ塔を出ていくかと思われたが、顔を向けて彼と目を合わせた。
「紛れもない悪鬼だと思っていたが……お前にも救いの道は開かれていたようだな。」
司祭は言い終えると、逃げるようにその場を去った。
しばらく司祭が去った場所を見つめていたマルタン。
彼は低く呟いた。
「……救い?」
まともな人間を、この地獄のような時代へ放り込んだ神の救いなど。
そんなものは必要なかった。
マルタンは冷たい顔で短槍を握り締めた。
塔を出て周囲を見回したが、司祭の姿はどこにも見当たらなかった。




