第14話. 分からない
「見えてきました、領主様。」
マルタンは顔を上げ、ピエールが指した先を見た。
城主の要塞と思しき丘の上の塔と、それを広く取り囲む巨大な木柵。
その外側には家々が密集し、村を成していた。
「そうらしいな。」
レスパール。
一帯の支配者が暮らす場所ではあるが、村の規模はそれほど大きくなかった。
多く見積もっても、五百人ほどしか住んでいなさそうな村だった。
メドックはもともと湿地と砂の荒野ばかりの地域なのだから、その中心地といっても、この程度が限界なのだろう。
「このまま城へ向かおう。」
マルタン一行は村の中央を抜け、木柵の入口へ向かった。
「止まれ!」
木柵の入口上部に設けられた小さな見張り台。
そこから兵士が叫んだ。
「用件と身分を名乗れ!」
かなり威圧的な態度だった。
それにピエールが前へ出た。
「こちらはポワイヤックの領主、マルタン様だ。明日の忠誠の誓いの儀式のために来られた。」
「……しばらく待て。」
兵士は振り返ると、木柵の内側にいた別の者を呼んだ。
「ヴィダル! お前、この前ポワイヤックへ行ったと言っていたな? お前が確認しろ。」
ほどなくして、門の横についた小さな小窓が開き、一人の男が顔を出した。
彼はマルタン一行を念入りに確認すると、頷いた。
「間違いありません。」
「門を開けろ。私は城主様へ報告してくる。」
兵士の言葉が終わると同時に、木柵の内側が騒がしくなり始めた。
ドン―
閂が外れる音。
ズズズッ―
続いて巨大な木の門が地面を擦る音とともに開いた。
『典型的な要塞だな。』
木柵の内側は、一見すると小さな村のようだった。
鍛冶場、厩舎、倉庫、兵士たちの宿舎と思しき建物。
そのほかにも、人が暮らしているらしい家が数軒見えた。
「ついてきてください。」
マルタン一行は、門を開けた兵士の案内に従い、木柵の中を歩いた。
あちこちから向けられる人々の視線と囁き声。
特に好意的な話は聞こえてこなかった。
「誰だ?」
「ポワイヤックの領主だろう。もう明日か。」
「ああ、本当に来るつもりはあったんだな?」
「来なかったらどうする? このメドックで城主様に逆らって暮らすつもりか?」
「それにしては、城主様の家臣を二人も倒しているぞ?」
事情を正しく知らない者たちが言いそうな話だった。
マルタンは無駄な話を聞き流し、そのまま兵士についていった。
宴会場と思しき大きな建物。
その前で兵士が足を止めた。
「少々お待ちください。すぐに知らせがあるでしょう。」
「そうしよう。」
しばらく待っていると、宴会場から一人の中年男が兵士とともに歩いてきた。
かなり上等な服装ではあったが、城主には見えない人物だった。
彼はマルタン一行を見ると、不思議そうな顔で隣の兵士へ尋ねた。
「荷車は?」
「何のことでしょうか?」
「相続税を積んだ荷車だ。どこへ置いた?」
兵士は戸惑った顔で聞き返した。
「え……荷車がなかったので、私はてっきり事前に話がついているものとばかり。」
「荷車がないだと?」
中年男は眉間に皺を寄せ、マルタンへ尋ねた。
「レスパールの侍従長、ルーフスだ。相続税はどこにある?」
マルタンは懐から革袋を取り出した。
「今、確認するのか?」
侍従長は疑わしげな目で尋ねた。
「銀貨か? 袋が少し小さく見えるが?」
「金貨もある。」
「金貨……?」
なおも疑わしそうな目をしている侍従長。
マルタンは袋から金貨を一枚取り出して見せた。
「これでいいか?」
「……イベリアから来たとは聞いていたが。そんな物を持っていたとは思わなかった。」
侍従長は驚いた表情を消すと、再び口を開いた。
「こほん……そんなことが重要なのではない。城主様は今お忙しいので、ひとまず宿へ案内しよう。」
侍従長について移動した宿。
そこは一つの荘園の領主を迎える場所としては、少々無理があるように見えた。
清潔ではあるものの、どこか粗末な部屋。
そもそも建物自体が、兵士たちの宿舎として使われている場所に見えた。
「ここが宿か?」
「……気に入らないなら、忠誠の誓いの儀式が終わった後で替えてやろう。」
「ひとまず分かった。」
忠誠の誓いの儀式が無事に終われば、レスパールに数日ほど滞在することになるだろう。
だが、なぜかそうはならない気が強くした。
侍従長が立ち去ると、ジャックがどうしていいか分からないという顔で口を開いた。
「……私たち、目をつけられているのではありませんか?」
マルタンは荷袋を下ろしながら、淡々と答えた。
「そうかもしれないな。」
二人の会話を聞いたピエールが、もどかしそうな表情で口を開いた。
「いや、それでは本当に何事もないと思っておられたのですか? 城主様の家臣を二人も倒しておいて?」
マルタンは首を横に振った。
「それが理由ではない。城主はロベールと親しかったらしい。」
「いや、それはまた誰から聞いたのですか?」
「ここの武官長だ。」
ピエールは少し躊躇してから尋ねた。
「……ですが、本当にそれが理由ですか? 単に城主様の家臣を殴り倒したからではなく?」
「間違いない。」
レスパールの武官長が教えてくれたのだから、間違いなかった。
おそらく。
***
レスパールの家臣と封臣たちが集まっている宴会場。
ゴスルムが侍従長へ尋ねた。
「それで、奴は特に不満も言わず宿へ入ったのか?」
「はい、城主様。」
「……まったく掴みどころのない奴だ。」
ゴスルムは、これまでマルタンが見せてきた行動を思い返した。
故郷へ戻るなり、ロベールとその一家を殺した行動力。
アマニウと兵士たちを倒しておきながら、税を持たせて送り返した奇妙さ。
稽古試合でアンドレを気絶させ、平然とした顔で嘲ったという話まで。
どれ一つとして気に入ることはなく、家臣たちの間では、彼を罰するべきだという意見も度々出ていた。
『それでいて、厚かましくもレスパールへ来たというわけか……。』
家臣の何人かは、マルタンは忠誠の誓いの儀式へ来ないだろうと言っていた。
ゴスルムも、それを心から願っていた。
そうすればロベールの復讐を果たし、マルタンを罰するという名目で荘園を一つ手に入れられたからだ。
取るに足らない忠誠の誓いの儀式に、彼の封臣たちを全員呼び集めたのも、そのためだった。
忠誠の誓いの儀式へ来ないマルタンの姿を皆に確認させ、それを口実にあの男を始末するために。
「……思い通りになることが何一つないな。」
ゴスルムは顔を向け、武官長を見た。
「お前の言葉を聞いておくべきだった。あの男が本当に忠誠の誓いの儀式へ来るとはな。」
武官長は淡々とした顔で答えた。
「もともと苛烈な戦場にいた者は、世間の常識から外れた行動をするものです。あの者も時が経てば、次第にましになるでしょう。」
「そうか……お前がそう言うのなら、そうなのだろう。」
ひとまず相手がレスパールへ来た以上、どうにか歓迎しなければならない状況だった。
ゴスルムは腹心へ命じた。
「話が出たついでに、すぐ会ってみよう。侍従長?」
「はい、城主様。すぐに呼んでまいります。」
「いや……待て。」
ゴスルムは宴会場を出ようとする侍従長を呼び止め、尋ねた。
「あの男は相続税をきちんと持ってきたのか? 荷車を何台引いてきた?」
侍従長は少し返答をためらった。
「……荷車ではなく、金で持ってきました。」
「金で? いくらだ?」
「正確な額は、まだ確認しておりません。」
「まだ確認していない、か……。」
ゴスルムはゆっくりと笑みを浮かべた。
「そうか……皆で確認すればいい。行って、あの男を呼んでこい。」
***
宿の扉を開けて入ってきた侍従長。
彼はすぐにマルタンを呼んだ。
「お前をお呼びだ。相続税はまだ懐にあるのだろう?」
「もちろん。」
「宴会場へ行くぞ。こいつらも連れていくのか?」
ピエールとジャックを連れていくのかという話だった。
マルタンにそのつもりはなかった。
「一人で行く。」
心配そうな表情をするピエールとジャックを後にし、侍従長についていった。
宴会場へ向かう道。
侍従長はマルタンを振り返ることなく口を開いた。
「宴会場には城主様と家臣たち、それに他の荘園の領主たちも全員来ている。言動には気をつけろ。」
マルタンは眉間に皺を寄せた。
「他の荘園の領主? なぜだ?」
「……お前の忠誠の誓いの儀式のために集まった、ということにしておけ。」
そんなはずはなかった。
城主の下にいる荘園領主だけでも数十人。
誰か一人が忠誠の誓いの儀式をするからといって、わざわざ集まることはない。
『……分からないな。』
きちんと考える間もなく、宴会場の入口へ着いてしまった。
そこを守っていた兵士二人が、マルタンへ近づいた。
「剣をお預けください。」
マルタンは無言で腰に結んでいた剣を外した。
それを兵士の手に渡すと、侍従長について宴会場へ入った。
ギィッ―
扉が開く音とともに、宴会場から漏れていた騒音が止んだ。
宴会場の奥へ向かって長く伸びる、二列の卓。
そこへ座っている数十人の視線が、マルタンへ集まった。
ザッ―
マルタンは侍従長について、卓の間を横切った。
水を打ったように静まり返った宴会場の奥。
侍従長は、そこの壇上前で足を止めた。
「城主様、ポワイヤックのマルタンを連れてまいりました。」
マルタンは顔を上げ、正面を見た。
壇上中央の椅子へ座る城主。
その横には武官長をはじめ、城主の側近と思しき者たちが数人立っていた。
続く沈黙の中、城主がゆっくり口を開いた。
「……お前か。」
意味の分からない第一声。
城主は続けて言った。
「ロベールを殺した者は。」




