第11話. 鉄棒
「それで、鯨油はいくらだ?」
船長が力ない声で答えた。
「……本気でおっしゃっているのですか?」
金ならいくらでもある。買わない理由はなかった。
「実際に使ったことがなくてな。興味がある。金貨でも受け取るか?」
マルタンは懐から金貨を一枚取り出した。
「……ディナールですか?」
それを見た船長が、不思議そうな目で尋ねた。
「ムーア人の金貨をどちらで手に入れられたのですか?」
「イベリアだ。あちこちで受け取った。」
「その『あちこち』というのは……?」
マルタンは頭の中で、イベリアで過ごした日々を思い返した。
傭兵として生きながら渡り歩いてきた勢力の名。
「レオン、カスティーリャ、パンプローナ、バルセロナ。」
「……それでは、イベリアのキリスト教勢力をほとんど制覇したようなものではありませんか?」
「まあ、ずいぶん歩き回ったからな。それで、ディナールは受け取らないのか?」
マルタンは大したことでもないというように言い、手にした金貨を軽く振った。
「ええ……受け取ります。鯨油を一樽でよろしいでしょうか?」
マルタンが無言で頷くと、それを見ていたピエールが仰天して彼に駆け寄った。
「いえ、領主様。そんなふうにお金を使ってしまってよろしいのですか?」
「必要そうだから買う。それの何が問題なんだ?」
「必要ですって? 私たちに鯨油など、なぜ必要なのですか?」
マルタンは船長へ顔を向けた。
「鯨油は火をつけても煤が少ないと聞いたが、違うのか?」
船長は勢いよく何度も頷いた。
「その通りです。陸の動物の脂とは比べものになりません。」
ほら見ろと言わんばかりにマルタンがピエールへ振り向いたが、ピエールはなおも納得する気配がなかった。
「いや、少しくらい煤が出たって構わないでしょう。それだけのために金貨一枚を使うんですか?」
彼はマルタンの手にある金貨を指差した。
「金貨……それ一枚で銀貨何十枚分じゃありませんか。」
「まあ、そのくらいだな。」
答えると同時に、マルタンは金貨を指ではじいて船長へ飛ばした。
「他の品も見せてもらおう。」
金貨を受け取った船長は満面の笑みを浮かべた。
「少々お待ちください。まずは鯨油をお持ちいたします。」
船長はしばらく船上を見回すと、ぼんやりこちらを見ていた船員の脛を蹴飛ばした。
「さっさと持ってこい!」
「ちぇっ、俺、ガスコーニュ語なんて分かんねえって!」
「自慢になるか、この間抜けめ……行って鯨油を一樽と分銅を持ってこい。」
流暢なバスク語を披露した船長は、再びマルタンへ向き直った。
「領主様、ここで立ち話をするより、いっそ船へお上がりになりませんか? お見せしたい品がたくさんございます。」
「そうしよう。」
答えるとともに、マルタンは素直に船へ乗り込んだ。
その後ろから、ピエールも自然についていく。
「待ちな。」
ピエールを制した船長は、居心地が悪そうな目で彼を見た。
「船が狭くて場所がないんだが?」
ピエールは鋭い声で答えた。
「こう見えても私は領主様の手足のような存在でね。品物は一緒に確認しなければならない。」
船長は少しマルタンの様子をうかがうと、ピエールの手をつかみ、船へ引き上げた。
「できれば口を挟まず、あんたの領主様のご意思を尊重してもらいたいものだ。」
「私は助言を申し上げるだけだ。選ぶのは領主様ではないか。」
船長とピエールが言い合っている間、マルタンは黙って船内を見回した。
船首と船尾にだけ甲板があり、中央部は甲板がなく、荷がぎっしり積まれている構造。
その中央には、帆を半分畳んだマストが一本だけ立っていた。
『面白いものだな。』
この時代としては途方もなく大きな船だとは分かっていた。
だが、こんな船が数百キロもの海を航海してここまで来たというのは、どうしても信じがたかった。
「いかがですか? 我々の船をご覧になったご感想は。」
後ろから近づいてきた船長が尋ねた。
マルタンは率直に答えた。
「こんな船で、どうやって海を航海するんだ?」
船長の眉がぴくりと動いた。
「……この辺りで我々より大きな船など、そうありませんが?」
何百年も先の巨大船の話を説明できるはずもない。
マルタンは沈黙を選んだ。
幸い、忠実な家臣ピエールがその沈黙を破って船長へ尋ねた。
「それで、品物はいつ見せてくれる? 領主様はお忙しい身なのでね。」
船長は強張っていた表情を和らげ、再び笑みを浮かべた。
「すぐにご案内いたします。まずは中央へどうぞ。」
マルタンはピエールとともに船長について中央へ向かった。
巨大な籠のような船の中央で、船長は品物を一つずつ手に取りながら紹介していく。
「リンゴ酒はいかがでしょう? 本来は売り物ではありませんが、ご希望でしたらお譲りします。」
マルタンはピエールを振り返った。
「リンゴ酒は飲んだことがあるか?」
ピエールは首を横に振った。
「リンゴ酒を造っている家なら一つや二つあります。わざわざ買う必要はありません。」
船長はしばらくピエールを殺しかねない目で睨みつけ、それから別の商品へ移った。
麻縄、塩漬けのタラ、松脂など、多くの品が並んだが、ピエールの口出しを免れた品は一つもなかった。
「燻製チーズか。保存用としては悪くなさそうだ。」
「確かに……我々のチーズとは違って、ずいぶん硬そうですね。」
ようやくピエールが頷いた燻製チーズ。
チーズをいくつも売り、銀貨十数枚を受け取った船長の表情は、いくらか明るくなった。
「これで最後です。一番下に積んでありますので、口で説明いたします。」
船長は分銅で銀貨の重さを確かめながら口を開いた。
「最後は鉄製品です。当然、山脈の鉄鉱山で採れた鉄から作られています。」
近辺で手に入る沼鉄ではなく、きちんとした鉱脈から採れた鉄。
それを聞いたマルタンが前へ出た。
「鉄はどれくらいある?」
「まあ、十分ございます。」
二人の会話に、ピエールが再び割って入った。
「鉄なら我々にもあります。わざわざ彼らの鉄を買う必要はないでしょう。」
これまでと同じようにピエールはマルタンを止めようとしたが、今回は通じなかった。
「金貨五枚分だ。完成品ではなく、棒の形がいい。」
「領主様! さすがに多すぎます!」
船長は驚いたように目を見開いた。
「え……本当ですか?」
マルタンは懐から金貨を五枚取り出した。
「まずは品物を見せてもらおう。」
揺るぎない態度を見た船長は、慌てて船員を呼んだ。
「おい、荷物をどかして下にある鉄棒を全部出せ!」
「え? 全部ですか?」
「いいから出せ!」
船長と船員が積荷をひっくり返している間も、ピエールは慌てた様子でマルタンの決断を思い直させようとしていた。
「領主様、たとえ彼らの鉄が必要だとしても、さすがに多すぎます。金貨五枚分ともなれば、一人では持ち上げることもできない重さですよ。」
ピエールの訴えにも、マルタンは考えを変えるつもりはなかった。
鉄の品質は重要な問題の一つ。
まともな鉄を手に入れる手段がないならともかく、目の前に鉄を持ってきた者がいる以上、見過ごすわけにはいかなかった。
「どうせ鉄は倉庫に積んで使えばいい。」
ピエールはまだ納得できない様子だった。
「それでも多すぎます。そうであるなら、いっそ――」
マルタンは手を上げ、ピエールの言葉を遮った。
ゆっくりと顔を向け、もう一度はっきりと言った。
「積んで使えばいい。」
「……はい。」
今度はようやく理解したらしい。
マルタンは再び船長と船員へ目を向けた。
しばらくすると、彼らは船底から鉄棒を運び始めた。
ガラン――
鉄同士がぶつかる音とともに、甲板へ積み上げられる鉄棒。
その量はあまりにも多く、船にはしばらく金属音が鳴り響いていた。
「ふう……」
腰を伸ばした船長が息をつきながら言った。
「おい、もういい。」
「え? 全部出せって言ったじゃないですか。」
「言葉の綾だ。このくらいで金貨五枚分にはなる。」
船長は船底からマルタンを見上げて尋ねた。
「いかがでしょう? 品質には自信があります。」
マルタンは答える代わりに鉄棒を一本拾い上げた。
両端をしっかり握り、そのまま力を込める。
ギィィィ――
金属音を立てながら曲がり始める鉄棒。
それを見たマルタンは満足そうな表情を浮かべた。
『悪くない。』
澄んだ音を立てて素直に曲がるということは、良い兆候だった。
マルタンは曲げた鉄棒を甲板へ放り投げ、さらに別の棒を手に取った。
ギィィィ――
ギギギッ――
ギィィィ――
五、六本ほど曲げ終えて、ようやく手を止めた。
「品質は問題なさそうだ。甲板の上にある分を持っていけばいいのか?」
船長はマルタンの顔と曲がった鉄棒を交互に見つめた。
少し考え込んだ末、身をかがめて鉄棒をさらにひと抱え取り出した。
「こちらもお持ちください。」
***
ポワイヤックの鍛冶屋。
彼はマルタンの命令を受け、最初の槍穂先を作っていた。
ジュウゥッ――
鍛冶屋は油で焼き入れした槍穂先を取り出した。
あとは空気中で冷まし、砥石で研いで刃を立てるだけだ。
ガラン――
突然響いた金属音に、鍛冶屋は振り返った。
棚の上に置かれた見慣れない鉄棒。
そしてその隣にはマルタンが立っていた。
「私が注文した物を作る時は、これを使え。」
鍛冶屋は棚の上の鉄棒を見つめた。
新しい材料の登場。
視線を戻し、自分が火ばさみで挟んでいる品を見た。
何百回もの槌打ちを経て作り上げた、領主が求めた槍穂先。
その沈黙のせいか、マルタンもまた鍛冶屋が作った槍穂先へ視線を向けた。
「……槍穂先か。」
「はい。」
「……。」
しばしの沈黙。
やがてマルタンは鍛冶屋の肩を軽く二度叩き、その場を後にした。




