第108話 チェーザレ、闇の眷属となる
『アヴァロン帝国暦2年 12月上旬 帝都フェルグラント 闇バー 昼前 小雪』
【皇帝の右腕グレン視点】
本格的な冬の到来を告げる、十二月の上旬。
俺ことグレンは、チラチラと舞う小雪を払うように肩をすくめながら、いつものように帝都の一角にある『闇バー』へと足を運んだ。
重厚な木の扉を押し開けて中に入ると、外の寒さが嘘のような暖かな空気が広がっている。
天井からはいくつものランタンが吊るされており、そこで揺らめくオレンジ色の炎が、いい雰囲気の照明となっていた。
燃やしている獣の油の匂いと、香ばしい焼き豚の香り、そしてツンと鼻を突くワインとエールの匂い。それらが入り交ざったこの空間は、闇バー独特の、どこか心が落ち着く空気を醸し出している。
ふと見ると、カウンターの隅に先客がいた。
「よお、チェーザレ。今日も呑んでいるのか?」
俺が声をかけると、カウンター席のチェーザレは手にしていたワイングラスを置き、ゆっくりとこちらを振り返った。
「ああ。闇の教皇様が来ていないか気になってな。つい、毎日ここへ足を運んでしまう」
(闇の教皇……あの不思議な少女のことか……)
俺はチェーザレの隣に腰を下ろすと、店主にワインを一つ頼んだ。
ついでに、小腹を満たすためのつまみとして焼き豚も注文する。
「俺はもっと、闇の宗教の役に立ちたいんだ……」
チェーザレは、グラスの縁を見つめながら、ぽつりとこぼした。
「今でもお前は、闇の司祭として十分に役に立っていると思うんだがな」
俺は運ばれてきたワインを口に含むと、テイスティングするように、ゆっくりと舌の上で転がした。
うん、いいワインだ。程よい渋みが心地よい。
「そうじゃないんだ、グレン。俺はもっと、あのお方に存在自体を近寄りたいんだ……俺の言いたいこと、分かるだろう?」
チェーザレの瞳には、熱を帯びた狂信めいた光が宿っていた。
「まあ、言いたいことは分かる。あの少女には、抗いがたい不思議な神秘性を感じるところはあるからな」
俺自身は、特定の宗教を深く信じているわけではない。
しかし、そんな俺でさえ、あの闇の教皇と名乗る少女の前に立つと、人智を超えた神秘的な何かを感じざるを得なかった。
その時だった。
ぐにゃり。
店の奥の闇が、陽炎のように不自然に歪むのが感じられた。
「ほう。妾の噂をしておったのかえ?」
静かな声と共に、濃密な闇の中から、黒い神官服に身を包んだ少女が、すうっと音もなく姿を現した。
「おお……っ!」
すかさず、隣にいたチェーザレが床に膝をつき、その場に深くひれ伏した。
「正直なところ、あなた様が何者であるか、私のような者にははかりかねております……。しかし、偉大な神性の……位の高いお方であるということだけは、魂で理解しております」
「ふむ。それで?」
少女は表情を変えず、首をかしげた。
「あなた様の末席に……いえ、眷属に加えて頂ければ、この身にとってこれ以上の幸せはございませぬ!」
チェーザレの悲痛なまでの願いを聞き、少女は静かに歩み寄ると、カウンター席にちょこんと座った。
そして、チェーザレの残っていたグラスを手に取り、一口だけワインを飲む。
「ふむ。良いじゃろう。ただし、お主、人をやめることになるぞえ? 愛する女もおろう?」
「ルチアとの間に、この前、念願の子供ができました……。私はもう、人としての幸せは十分に全うしたと考えております」
チェーザレの言葉に迷いはなかった。
人生の絶頂にあるからこそ、惜しげもなく全てを捧げられるということなのだろうか。
「ほう、それはめでたい」
少女はふわりと微笑むと、俺の前に置かれていた焼き豚を、小さな指で一つひょいとつまんだ。
「良いじゃろう。では、今から始めるが良いかえ?」
「はい! 喜んで!」
次の瞬間、俺は信じられないような不思議な光景を目にすることになった。
少女の足元から黒いもやが湧き上がり、まるで意志を持っているかのようにチェーザレの体を包み込んでいく。
闇そのものが凝縮され、人の形を塗り替えていくような異様な光景。
だが、不思議と俺の胸に嫌悪感や恐怖は湧かなかった。むしろ、奇妙なほどの安らぎすら感じる。
「これでお主は、我が眷属じゃ。名をあらためよ。これからは『ユーディル』と名乗るが良いじゃろう」
黒いもやが晴れると、そこには以前よりもどこか冷たく、しかし澄んだ空気をまとったチェーザレ――いや、ユーディルが立っていた。
「おお、体の奥底から無限の力がみなぎってくる……! はい。このユーディル、己の存在が続く限り、永遠に闇への忠誠を尽くします」
ユーディルは胸に手を当て、深く頭を下げた。
「お、おめでとう……その、チェーザレじゃなくて、ユーディル」
俺は少しだけ戸惑いながらも、友の新たな門出を祝福して声をかけた。
こうして、雪降る帝都の片隅で、一人の闇の眷属が誕生した。
新しい名はユーディル。人を捨て、闇に生きることを選んだ男だ。
「さあ、祝いの席じゃ。もっとワインを持ってくるが良いぞえ」
俺とユーディルと、不思議な少女の三人は、グラスを合わせ、静かな闇バーでささやかな宴を開くのであった。
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