第100話 ランベール王国の憂鬱
『アヴァロン帝国暦2年 10月下旬 ランベール王国首都ヴァルデン 昼 曇り』
【ランベール王ゼノン視点】
窓の外に広がる緑豊かな城塞都市ヴァルデンの街並みは、どんよりとした灰色の雲に覆われていた。
秋の終わりを告げる冷たい風が、城のバルコニーを吹き抜けていく。
ビューッと鳴る風の音が、今の俺の心境を代弁しているかのようだった。
だが、俺の胸中に渦巻く焦燥は、その冷気をもってしても鎮めることはできない。
(……アヴァロン帝国め。これほどまでに膨れ上がるとはな)
俺、ゼノン・ランベールは、執務机に広げられた大陸地図を苦々しく睨みつけた。
地図の上で、紅色の染みのように広がるアヴァロン帝国の版図。
東では、豊かな穀倉地帯を持つダリウス小王国が、帝国の凄まじい進軍の前に飲み込まれた。
西では、難攻不落を謳われたフィオラヴァンテが、今や帝国の軍門に降り、その傘下に収まっている。
大陸の均衡は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
このままでは、我がランベール王国も、帝国の巨大な胃袋に収まるのを待つだけの存在になりかねない。
(どこか、風穴を開ける場所はないか……)
俺の指が、地図の北方をなぞる。
そこには、独自の軍事力と自治を保ち続けるハーグ地方があった。
帝国とはゆるい友好状態にあると聞くが、それはあくまで表面上のことに過ぎないはずだ。
(崩すならハーグからか? いや、だが、ハーグの自治領主ヴァルデマール将軍が動いてくれるか?)
あの老獪な将軍を動かすには、相応の毒が必要だ。
俺は傍らに控える近衛兵に、短く命じた。
「ミラを呼べ。今すぐにだ」
◇◆◇
ほどなくして、音もなくスッと扉が開き、一人の若い女が姿を現した。
ミラの身のこなしは、まるでしなやかな豹のようだった。
彼女は、ランベール王国が誇る間者であり、同時に王の特使としての顔も持っている。
「お呼びでございますか、ゼノン様」
ミラは、床に流れるように跪きながらも、その鋭い瞳で俺を見据えた。
「ミラよ。貴様に、国を左右する重大な任務を与える。……これより北へ向かい、ハーグへ入れ」
俺は、机の上の地図を指さし、声を低くした。
「可能であれば、ハーグと同盟を結んでこい。意味は分かるな?」
ミラは一瞬、思考を巡らせるように目を細めたが、すぐに口角をわずかに上げた。
「はっ! アヴァロン帝国を挟み撃ちにするといったところでしょうか?」
「その通りだ。……女のお前が使者となる意味も分かるな?」
ヴァルデマール将軍は、剛毅な武人として知られているが、同時に美しいもの、特に雅な才女を好むという噂がある。
ミラなら、その懐に潜り込む術を心得ているはずだ。
「はっ、あらゆる手を尽くします! この身を賭してでも、将軍をこちら側に引き寄せてみせましょう」
「うむ、では行け! ランベールの命運、貴様に預けるぞ」
「御意」
ミラは深く頭を下げると、影に溶けるようにしてスッと退室していった。
一人残された執務室で、俺は再び地図を見つめる。
嵐の前の静けさ。
こうして、我がランベール王国は、巨大な帝国を揺るがすための暗躍を開始したのである。
結果が出るまで、ランベール王国の憂鬱な日々は続きそうであった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




