10話 喪失者の提案 ―溢れる狂気はどこへ行く?―
身体に甘い痺れが走り続けていた。
これは、先ほどの“事実”に身体が追いついていないことによる衝撃なのかもしれない。
「僕を召喚したのは事実として……僕の記憶喪失には関与していないのか?」
「あいにくだが、別世界からの召喚はやったことがなくてね。
君の意識が何をしても反応を示さず、生命機能だけが生きていたから、過去の友人に預けていたよ」
胸の奥を熱い血流が駆け抜けた。
それが魔力なのか、怒りなのか、自分でも判断できない。
ただ、バケツをひっくり返したように魔力が溢れ出しているのがわかった。
「ななし、落ち着くんだ」
(……想定していたよりは、まだマシだ。
だが、なぜお前は怒っている……?)
001の声が遠くに響く。
自分がどうしてここまで来たのか、何を求めていたのか。
――知りたくて、もがいていたことに今さら気づいた。
「ななし?」
スレイムの手が僕の手を握った。
その感覚にハッとして、現実へと引き戻される。
「……わかった、ありがとう」
短く感謝を伝えると、男は気のない声で「ああ」と返した。
それで、この会話は終わった。
「質問コーナーは終了かい? なかなか楽しめたよ、ありがとう」
「次は僕からだ。――君たち、僕と一緒に“世界を壊さないかい?”」
「……は?」
「うすうす気づいてくれていると思うけど、見ただろう?
謎に魔力が溢れ、知能が発達している魔物。
魔石が組み込まれ、人工物めいた魔獣を」
嫌な予感は的中するらしい。
「見た……」
「あれは実験の副産物でね。
私ひとりの戦力を補うための実験さ。失敗だったけどね!」
彼の声が、徐々に興奮に染まっていく。
神経を伝う魔力の奔流が、全身を満たしていた。
己の身体すら実験の代償にしてきたことは、もはや疑うまでもなかった。
「君たちは、その中でも最高傑作だ。
咎竜を一瞬で殺した。しかも、私にはわからない“からくり”で!
君たちだよ、待っていた。本当に長かった……人の一生を十数回、繰り返すほどに」
その声には、長い時間が染み込んだ狂気が宿っていた。
「……断る」
即答だった。
男は一瞬きょとんとしたが、やがて言葉の意味を飲み込み、薄く笑った。
「わかった、話を聞いてくれてありがとう。
後ろにある魔法刻印は転移用だ。魔力を流せば好きなところに行ける。……好きにしなよ」
「反逆者、あなたは僕たちがいなくなったあと、どうするつもりだ?」
「そろそろ飽きたし、世界を滅ぼし、文明を作り直すよ」
あまりにも自然な口調に、背筋が冷たくなる。
(……この男のレベルは、女と比較しても逸脱している。
先の実験成果の産物。使い方によっては、可能だな)
001の独り言が、空間に静かに響いた。
どうする……?
僕は記憶を戻したい。
いろんな人と関わり、いろんな経験をしたい。
――それを、この男の計画ひとつで崩されるなんて、絶対に嫌だ。
「賭けをしないか」
咄嗟に浮かんだ言葉が、自然に口を突いて出た。
「……何を?」
「あなたの計画と、僕の命だ」
「命を……?」
「そうだ。あなたが勝てば、僕の身体を好きにしていい。
転生者で、最高傑作を一瞬で殺した者の身体だ。知りたいだろ……?」
突如、歪んだ魔力が巻き上がる。
その中心にいるのは、反逆者だった。
「ははははは……君は面白いね、ななし!
いいよ、いいよ! 戦おう、殺し合おう!
ただ今の君は満身創痍だ。それでは君を知れない。だから三日後だ。
その間に君の能力なら治るだろう……ね! 楽しみに待ってるよ!」
男は別の部屋に消えた。
魔術が使用されているのだろう、地面が波のように揺れている。
そこには、調べられ放置された剣――試作01が静かに横たわっていた。
「ななし。私は言ったよな、命に関わることは私に一言言ってくれと」
「……ごめんなさい、勝手に身体が動いてて」
また拳が飛んでくるのかと思ったが、待っても待っても来なかった。
顔を向けると、彼女の表情には深い悲壮が滲んでいた。
「私はただ、君が死んでしまうことが嫌なだけなんだ……」
初めての感情に、僕は戸惑ってしまった。
困惑していると、彼女はわざと明るい声を出した。
「わかった! これが解決したら、ななし。君は私の家を立て直すのを手伝え」
「なんで急にそんなことを?」
「ここまで私は中々振り回されてきたんだ。わがままを言ったっていいだろう?」
その目には、一切の嘘がなかった。
それが、彼女の良いところなのかもしれない。
「だからな……戦ってもいいから、死なないでくれ。
これが、私の一番のわがままで――契約だ。絶対にだ」
真剣な顔つきは、先ほどまで憂いを帯びていた人とは別人のようだった。
「ここから出たら、スレイムさんにこき使われるんですか……? 嫌ですね……はは」
僕の口調は嫌そうだったが、心はそうではなかった。
ただ一つ、後悔があるとしたら――
最後にここまで来て楽観的になってしまったのか。
ここまで誰も死なず、死に近づく怪我もなかったからだろうか。
その油断が、後に僕の深い傷になることも知らずに。




