第14話 帰宅
揺れる感覚に目を覚ます。
「はっ、はぁっ……ふっ……ん、ぅ……ぐ、うぅっ……」
耳にかかる艶めかしい吐息に意識が覚醒していく。
目を遣ればそこには短く切り揃えられたさらさらの銀髪、その奥には真っ直ぐ前を見据える真剣な金眼、引っ掛かりなく汗が流れるスッと通った鼻梁、ぷっくりと潤った血色のいい唇──この世のものとは思えない綺麗な顔に夢を疑うが、それにしては感じられる体温が生々しいし、俺より小柄なのもあって引き摺られている足先がほんのり痛い。
頬と頬が触れ合いそうなほどの至近距離。
俺が顔を上げたことに気付いたのか、どこか見覚えのあるその人は立ち止まり、瓦礫の少ない適当なところに俺を落ち着かせた。
「目が覚めたばかりで混乱しているかもだから、とりあえず自己紹介からしようか。じゃあまずはボクから。はじめまして、ボクは天海晶。探索者名は暁。キミの名前は?」
「俺は、七篠彼方……探索者名は、名無しの田中……」
「七篠さんね。ここでなにがあったか思い出せる?」
「あー……っと……そうだ、氾濫があったんだ。あいつを逃がすためにオーガと対峙して、でも勝てないからひたすら逃げ惑って、しくじって握り潰されそうになったけど、なんとか倒した……」
そうだ。それで魔石を喰らったものの、弱った体ではオーガのオドを受け切ることができず、そのまま意識を失ってしまったんだ。
「うん、よかった。きちんと思い出せるみたいだね。体の具合はどう? 痛むところはある? お腹の調子が悪かったりしない? もちろん病院には行くよね?」
病院。
その単語でほんのり朦朧としていた意識が定まった。
「大丈夫です、平気です、どこも問題ありません」
「でも七篠さん、魔石を食べてたよね? 気を失う間際の錯乱による奇行だったんだろうけど、一応お医者さんに頭もお腹も診てもらった方がいいんじゃ……」
「それなら自分の意思で理性的にやったことなので心配には及びません。俺には『悪食』という異能がありまして──」
言い渋って病院をゴリ押しされても困る。
俺は懇切丁寧に『悪食』の説明をした。
「ふむふむ、そっか、そういうことだったんだね。じゃあ、まあ、大丈夫か。オーガの魔石──取り零しのない純度100パーセントのオドを取り込んだのなら、2〜3日ほどで傷も治るだろうしね。……本当はお医者さんに診てもらった方が安心できてボク的にもありがたいんだけど、他でもない七篠さんがいいって言うのなら無理強いはできないもんね」
「子供みたいなわがままを言ってすみません……実は、先日ダンジョン探索で怪我をした際に1週間ほどお世話になっていて、今日退院したばかりなんです。家族にも心配をかけたので、行かずに済むのなら行きたくなくて……」
「今日退院したばっかりなんだ!? それなのにこんなことに……ほんと災難だったね……ボクはなにもしてあげられないけど、それでも頑張って! とにかく強く生きて! いつかきっと、いいことあるから! ……──それにしても『悪食』かぁ。時間経過で減退していくとはいえ、オドをそのまま摂取できるっていうのは、なんていうか規格外だよね。ボクもうかうかしてられないなぁ」
そう言ってふんすと鼻息を荒らげ、拳を握り締める姿を見て、とある事実をようやく噛み締められた。
「(あ、そっか。この人、あの暁なんだった)」
暁といえば日本の探索者の希望の星だ。
探索者として活動を始めてから僅か1年でAランクに到達したこともそうだが、魔石喰らいを繰り返して異常成長した特異個体──ユニークモンスターを同時に3体も相手取ってそれらを討伐したり、チームメンバーが重傷を負い自分しか戦える者がいない状態でコアを破壊して全員を生還させたりと、若冠15歳にしてまさに英雄的な活躍ぶり。
さらに、『閃煌』の異能を駆使する姿から〝星影〟の異名を持ち、儚くも美しい幻想的なその見た目から〝現代の王子様〟や〝光の貴公子〟などとも呼ばれ、主に女子中高生からアイドル的な人気を誇るカリスマ中学生──それが暁だ。
「(本名、天海晶っていうんだ)」
名前までかっこいいとかずるい。
「七篠さん、ひとりで帰れそう? 家まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。近所なので」
「そっか。わかった。じゃあ、ボクは他に行かなきゃいけないところがあるから、気を付けて帰ってね。もしかしたら今は感覚が麻痺してるだけで、本当は骨が折れてたりとか、そういうのがあるかもしれないから、なにか異常があったらきちんと病院に行くように! いい?」
「はい、わかってます。ありがとうございます」
「うん、ばいばい」
にこやかな表情でひらひらと手を振る暁さんに、戸惑いながらも控え目に手を振り返すと、暁さんはくすくすと笑いながらもその場から去っていった。
「(あれでも歳下なんだよな……)」
とてもそうは思えない堂々とした落ち着き。
体の大きさは俺の方が優っているが、心の器の広さでは暁さんの方が優っている。そのせいで、図体ばかりが大きいだけで中身が伴っていないような、自分が歳不相応に未熟なような、そんな感覚に陥る。
もちろんそんなわけはない思いたいところだが、暁という冒険者の武勲やそれによる評判から、何でも持ってて何でもできるいけ好かない野郎だと決め付けていたのもまた事実。実際はめちゃくちゃいい人だったわけだけど、僻んで妬んで嫉んで羨んでいたのは確かだ。
未熟な人間──そうなんだろう。
自分を見つめ直せた、そうポジティブに考えよう。
気持ちを切り替え、俺は帰路に就いた。
◆
ボロアパートの錆び付いた古い外階段をのぼる。
崩れ落ちなかった安堵を胸に廊下を進み、何の気なしに、角部屋ゆえに唯一のお隣さんに目を向ける。
俺が入院していた1週間と数日、テレビの音で迷惑をかけたはずだ。バニラがやったことではあるが、家主は俺だ。金銭的な余裕ができたら、旅行のお土産ですとか適当な理由をつけてお詫びしよう──そう思うも、そう言えばお隣さんの顔も名前も知らない。
生活リズムが合わないとかそもそも興味関心がないとかそういうのではない。ただ知らないだけ。
というのも、むかし隣の部屋では殺人事件があったらしく、出るらしいのだ。そのせいか入れ替わりが激しく、俺が知っている限り今の人が4人目。幸いにも俺の部屋ではなにも起こっていないけど、たった1年でこの有り様だ。おっかないったらありゃしない。
「(…………ん?)」
せめて名字ぐらいは記憶しておこうと表札に目を遣れば、そこには〝天海〟の2文字。
「…………」
まあそんなこともあるだろうと、俺は部屋の鍵を開けた。
「う、うぅぅ……ひっく……ひっく……」
夕陽が射し込む部屋の片隅で、蹲り啜り泣く女の影。
お隣さんのことが脳裏を過ぎり、ゾッとする。
「うっ、ぅっ、うええぇぇぇ……」
頭が働かない。体が動かない。
まさか、これが金縛りというやつか。
「か゛な゛た゛さ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ん゛……」
「…………………………バニラ?」
聞き馴染みのある声に、念のためドアに足を引っ掛けながら絞り出すように呟くと、赤い陽を背景にした黒い影が顔を上げ、ゆっくりとこちらを向いた。
「ふえぇ……?」
魂の抜けたような声を漏らし、ゆらりと虚ろに立ち上がる黒い影。水脹れのように膨らんだ頭、長い髪の隙間からは視神経のような紐が垂れ、先端には目玉のような球体がぶら下がっている。
「か゛な゛た゛……さ゛ん゛……?」
それは嗄れた声で俺の名前を呼ぶと足を止めた。
凝視されている。そう直感した俺の視線は、明らかに髪ではない紐状のものからぶら下がる球体に向いた。
その次の瞬間、影が駆け出した。
俺の方へと、驚異的なスピードで。
「──か゛な゛た゛さ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ん゛ッ!!」
「うおわあああああっ!?」
咄嗟に開けたままの扉から逃げようとするが、全身を巡る絶え間ない痛みに足が縺れ、尻餅をつくように転倒する。影は俺に飛びつき、縋りついた。
「ぶええぇぇぇんっ!! かにゃたしゃああああん!!」
逆光は、ここまで届かない。
影の正体が明らかになった。
「ば、バニラ……!?!?」
バニラだった。
どうやら水脹れのような頭はニット帽だったようで、視神経のようなものは、目玉のように見えた綿毛の塊を──ポンポンをぶら下げる紐だった。
帽子は室内では外すもの──そんな先入観が邪魔をしていたらしい。長く愛らしい兎耳の影が見えないからバニラではないと、それがバニラである可能性を無意識のうちに切り捨ててしまっていた。
「よ゛か゛っ゛た゛て゛す゛う゛う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!」
大号泣するバニラは、涙やら鼻水やら涎やらでぐしょぐしょになった顔を俺の胸に擦り付け、俺の生存を全身で実感する。
「びええええぇぇぇぇぇん!!」
汚いなとは言わない。嫌な顔もしない。
オーガのせいで既に服はボロ雑巾そのものだ。涙だの鼻水だの涎だの、今更どれだけ汚れようが関係ない。本当にボロ雑巾にする予定だったのだから。
「うええええぇぇぇぇぇん!!」
「ふ、ははっ……」
笑みを零した俺は、抱き着くバニラを抱き締めて言った。
「……ただいま、バニラ」
「うわあああん、かなたさああん、おかえりなさいぃぃ〜」




