第10話 氾濫
生き物は飲み食いすれば排泄をする。
『悪食』で腹に溜めたものも例外なくそうだ。
瓦礫を食おうと、土や小石を食おうと、パンの包装を食おうと、気持ち悪いぐらい──不気味なぐらい綺麗に消化され、糞尿として排出される。
どうやら魔石を喰らって得たオドも、汗や涙や涎や鼻水、尿や便や血などに形を変えていたようで、退院した頃にはすっかり消えてなくなり、元通りになっていた。……いや、ダンジョンのマナや倒したモンスターから溢れたオドを取り込んだ分があるから完全に元通りではないのか。
なんにせよ、考えてみれば当然だ。
瓦礫や小石、パンの包装に人間が必要とするエネルギーは含まれていない。含まれていたとしても生きていくには到底足りない。それでも胃液はそれを消化して無理やりエネルギーに変え、俺を動かしていた。
即ち『悪食』とは、何でも喰らえるだけでなく、喰らった全てを生命エネルギーに──生きるために必要な動力に変換する異能だったのだ。
元よりエネルギーであるオドを、さらに別のエネルギーに変換してしまうほどに強力だが、ひたすらに単純な、生きるのに特化した異能だったのだ。
なにが言いたいのかと言えば、魔石から得たオドが俺にはもうないということ。せっかく魔法の力に目覚めたが、今は使えないということだ。
オドとは言うなればMPだ。
ただし、マジック・ポイントではなくマインド・ポイント──いや、マインド・パワー。精神力、気力、活力──肉体が動く限り続く意志の力。枯渇すれば何もできなくなる。酷い場合は体力回復ため、暫くの昏睡状態に陥ることもあるそうだ。
魔石のオドを失った今は、言うなれば魔法一発を放つための消費MPに、俺の最大MPが届いていないような状態だ。そのため、魔法使いと感覚を同じにしていても魔法を使えない。MPが足りないから使おうにも使えない。
魔法は使えない、武器もない。
あるのは『悪食』の異能とこの身ひとつ。
ヒグラシさんの言う通り、魔石から濃度も純度も高いオドを摂取できる『悪食』には底知れない可能性が秘められている。人より格段に優れた力を、強力な手札を持っていながら、こんなところで無様にしくじるわけにはいかない。
活かすも殺すも俺次第。
思考をとめてはいけない。落ち着いて冷静に。
バニラは失くし物を探すため、俺達が逃げてきた方──モンスターが溢れ出て来ているダンジョンの方へ向かったはず。時間が経てば経つほどバニラの無事は絶望的になるが、だからと言って魔法も使えない無力な俺が飛び込んだとしても何もできず、仲良く喰い殺されるのがオチだ。
「(ダンジョンの反対方向へ──そこなら各個撃破できる程度にはモンスターが疎らなはず。弱そうなのを倒して魔石を喰らいつつ、バニラを追う)」
唯一の気がかりは姉のこと。
言われた通りダンジョンに潜ってはいないけど、それよりもっと危険な氾濫に身を投じている。アウルベアに匹敵するモンスターも溢れているだろうし、きっとまた怪我をする。そして心配をかけてしまう。
バニラの命か、姉の涙か。
「(…………比べるまでもない)」
俺は足を止めた。
目の前──フードコートの床。
地面に落ちた料理を、成猫ほどもある大きさのネズミ──ジャイアントラットが食べている。
他にいないか、何かないか、辺りを見回す。
目の前のドブネズミ以外は見当たらない。
まず目についたのは消火器。殴り付ければ痛手を与えられるだろう。だがここはフードコートだ。テーブルの上にはフォークやナイフがある。突き刺せば、やはり痛手を与えられる。……鈍器か刃物か。
身を低くし、四つん這いになって消火器を手した。
ジャイアントラットは食事に夢中だ。
背後から忍び寄り、頭に消火器を振り下ろす。
肉を叩き頭蓋を砕く感触。そして小さな悲鳴。
血が流れ、ビクビクビクッと激しく痙攣する。
到底助からない致命傷を負っているというのに、ジャイアントラットは抗おうとするように藻掻く。目が潰れている。脳は潰れていないようだが、揺れはしている。手足への信号伝達もままならないのに、鉤爪で床を引っ掻き、ジタバタと足掻いている。まるで世界の全てが敵になったかのように、舌鼓を打っていた料理にまで牙を突き立てる。
立ち上がり、腰を入れ、2度、3度と振り下ろす。
ジャイアントラットは衝撃に短く鳴くと、さらに激しく痙攣し、ピタリと動かなくなった。
「うっ、ぅ……はっ、はぁっ……!」
頭部からだくだくと血を流し、息絶えたネズミ。
死んだ。殺した。俺が殺した。
モンスターとはいえ、俺のように生きていた、紛れもない命を、俺の手で奪った。
俺がジャイアントラットだったら、こんな最期を許せるだろうか。きっと、なぜ殺されなければならなかったのかと怨むだろう、憎むだろう。
俺とこのネズミ、何が違った?
「……っ、いや……いい……そんなことは……」
パニックに陥らなかっただけマシ。
良心の呵責を感じている暇はない。
テーブルのナイフを手に取り、柔らかな腹を裂く。骨を砕き、内臓を抉り出し、見えた淡い紫色の水晶を──ドブネズミの血がついたままのそれを、口内に放り込む。そして噛み砕き、飲み込む。
ジャイアントラットはフォレストウルフとは比べ物にならないほど弱い。なんせ鼠と狼だ。猫は噛めても狼は噛めない。得られたオドは微々たるもの。魔法にはまだ届かない。
「……このナイフは、弁償かな」
『悪食』がある俺にはドブネズミの血など不味い水も同然だが、他の人はそうじゃない。念入りに洗ったとしても、もうこのナイフは使えない。
小銭入れから取り出した500円玉をテーブルに置き、血塗れのナイフと共にその場を離れる。ダンジョンとは反対方向へ。自分より弱いモンスターを狩るために。
◆
長い耳を覆い隠すニット帽。
寝癖で乱れた長い白髪が舞い、桃色の瞳が敵を見据える。
地球人類がダンジョンと呼ぶそこから記憶を失いながらも現れた、ヒトのようでヒトとは絶妙に異なる姿形をしたそれ──バニラと名付けられた兎人は、立ちはだかる怪物を蹴り倒しながら失くし物を探す。
バニラの主な攻撃手段は、そのしなやかな足での蹴撃。
太いところは太く、しかし細く長く艶やかで、まさに美脚とも呼ぶべきそれは内に強靭な筋肉を秘めており、華奢だと侮り見惚れたものから粉砕される。
「とあー!」
気の抜けた声からは想像もできない破壊力。
今まさにその一撃を受けた、醜悪な容姿の小さな緑の鬼──ゴブリンが肋骨を砕かれ、内臓をも破裂させられ、即死した。
「もう! ほんとに邪魔ですね!」
ゴブリンは基本的に群れで行動する。
既に4匹ほど蹴り殺しているが、まだ6匹も残っている。1匹ごとの戦力は大したことないものの、ゴブリンは悪辣だ。あるものは全て使う。仲間の屍から魔石を喰い漁れば、用済みになったそれを血飛沫で目眩ましができる盾とするし、その盾が損傷すれば骨を引き抜き棍棒とする。砕ければ刃物にもなる上質な武器である。
それに、数とはそれだけで暴力だ。
「Gugyagya!!」
「Gyayai!」
人間には発音できない、なんとも形容し難い声で、1匹のゴブリンが5匹のゴブリンに命令をする。命令されたゴブリンは不服そうにそのゴブリンを睨み付けると、一斉にバニラへと飛び掛かった。
「うわあ!?」
バニラは自慢の脚力を活かしてその場から大きく飛び退き、饐えた臭いの漂うゴブリンを躱す。それは汚物を忌避するあまりの反射的な回避だった。
「な、なにしてるです……!?」
距離を取ったバニラはゴブリン達を一望する。
そこには、記憶を失っているバニラにとって、とても理解し難い光景が広がっていた。
司令塔らしき1匹のゴブリンが、バニラに破壊された4匹のゴブリンの骸をさらにグチャグチャに損壊していたのである。
「な、あ……」
そして、血に塗れたなにかを4つ手に集め、錠剤を飲むかのように口に含んだ。絶句するバニラを余所に、クチャクチャ、バリバリボリボリと咀嚼し、ゴクンと喉を上下させた。
「gyi……Gaagyaaaaarr──!!」
閑散としたショッピングモールに雄叫びが響き渡る。
「うるさっ……!」
バニラの長い耳は音をよく拾う。
ニット帽に覆われていて良かった。
「Gyaaaa!!」
小学校低学年の児童ほどしかない矮躯のゴブリンに、同族の魔石──それも、いっぺんに4つは些か重すぎた。
荒れ狂う力の奔流に呑まれたゴブリンは、血のように沸き立つ破壊衝動を抑えられず、バニラへの攻撃を外した責任を擦り付け合い、足を引っ張り合い、みっともない仲間割れを起こす5匹の同族に制裁を下した。
出来損ないの頭蓋を叩き割り、2度と仲間割れできないようにした。その手間賃として魔石を抉り出し、5つのそれをまたしても喰らう。
オドがさらに体内で荒れ狂う。
完全な一人勝ちである。
目障りな同胞を滅し、上質なメスを眼中に。
オスしか存在しないゴブリンは、メスという存在に目がない。メスであれば犬でも猫でも牛でも豚でも構わない。しかし、どうせならば自分達と似通った形をした、見目麗しいメスと子を成したいというのが欲。
ゴブリンの血は滾る。
もはや、美しい蹴撃によって仲間を葬り頭に血を上らせる怨敵は、下半身の頭に血を上らせる孕み袋にしか映っていない。
「なんだか……とってもやばそうです……!!」
兎ながら全身に鳥肌を立て、本能的な危機を抱いたバニラは、その美脚を以てその場から逃げ出した。それはもう文字通り、脱兎の如く。
失くし物はまだ見つかっていない。
その事実が、ニット帽の中で後ろに垂れた耳を引っ張っていた。それが良くなかった。




