助けてくれたのは
ラスターは、ミラー公爵家の園庭で結界を張りなおす術式を編み上げている間、リディアは走り、王都の中心地のやや東にある、国立の森林公園へと急ぐ。
(生息地が変わってなければ、あそこにはルーガルーが……!)
ルーガルーは攻撃的な性格のため、かつてあのあたりの森は禁止区域となっていた。高い防護柵も張り巡らせていたが、今は逆にその防護柵の中が森林を愛でるための公園として、人々に愛されている。
「……っ!」
辿り着いた先は、逃げ惑う人々とそれを襲う魔物とで騒然としていた。
「っ、何でいきなり!」
「どうして結界が……!」
「っ、皆さん! 落ち着いてください! ルーガルーに背中を見せてはだめ……!」
悲鳴と、魔物の咆哮。突然の結界の破壊と魔物の襲撃に逃げ惑う人々はパニックになっていて、リディアの声が届かない。
(っ、どうしよう……!)
こうしている間にも、ルーガルーは人々を攻撃している。
「!」
子供に狙いを定めたルーガルーを見て、リディアはその子供の元に駆け寄ろうとして――
「ギャンッ!」
黄金色の閃光が、今まさに子供に食いつこうとしていたルーガルーを拘束した。地を蹴り宙を跳ねていたルーガルーが、自由を奪われ床に叩きつけられる。
「ディアナ!」
そうリディアを読んだのは、マクシミリアンだった。
「お前が行くとしたらここだろうと目星をつけていたが、正解だったようだな。ラスターは……」
「結界を張りに行っているの、結界が壊れて……」
「ああ、そのようだな。王宮には報告済みか?」
「ええ、今ロードリックさんが報告に行ってて……」
「であれば、王都から離れた場所には魔術師が対処しに行ってるだろう。俺たちはここを何とかするぞ」
そう言いながら、周りを見渡す。マクシミリアンが右指を鳴らすと、辺り一面に火の海が広がった。
(これは、幻惑……!)
これは、過去ディアナもよく使っていた技だ。魔力の消費量は少ないのに見た目がとても派手なこの魔力は、ラスターからの「魔術を見せてほしい」という要望を誤魔化すためによく使っていた。
「わあああああ……!」
突如広がった炎に、人々が恐慌する。それは魔物も一緒のようで、魔物たちは突然の炎に激しくひるんだ。その一瞬の隙を縫うように、炎が魔物を拘束する檻となる。
「ルーガルーは炎を激しく嫌う。……幻惑だが、しばらくは出てこれないだろう」
「ありがとう、マクシミリアン……!」
幻惑にこんな使い方もあるなんて、と感心しつつ、それどころではないリディアは周りを見渡す。ひどい怪我をしている人間も多い。
(……っ、治さなきゃ……!)
精霊士としての力を隠さなければなど、そんなことを言っている場合ではない。両手を組み、精霊への祈りを込める。ありったけの力を込めて、世界のすべてに祈りを捧げた。
(っ、精霊力が……!)
流れる汗が、顎の先からぽたりと落ちる。息が上がり、視界がかすむ。先ほど命を失う寸前だった母と弟を治癒したばかりだ。この広大な場所の広範囲に強い治癒をかけるのは、古龍の精霊力を受け継ぐリディアと言えども無理があった。
(いいえ、無理じゃない……無理になんてさせない……この精霊力のすべてをかけて!)
最後の力を振り絞って、精霊力を注ぎ込む。迸る紫色の光が地を駆け抜けて、その場にいる人々の痛みを、傷を、癒していく。
「おお……!」
みるみると回復していく己の姿や周りの姿に、パニックになっていた人々が落ち着く。乱れる呼吸を平気な顔をして何とか飲み込みながら、リディアは悠然とした笑みを浮かべた。
「私は、リディア・フォーサイス。精霊士です。空に浮かぶ結界は壊れましたが、今英雄ラスター・フォン・ヴィルヘルムが、結界を張り直しています」
「ラスター・フォン・ヴィルヘルムが……!」
「ですからどうぞ皆さま、ご安心を。速やかに防護柵の外に避難をし、結界が張り終わるまでの間は扉を閉めてください」
「で、ですがあなた方は……」
「負傷者が他にいないか確かめます。ここにいるマクシミリアン・ウィザードは非常に優秀な大魔術師。どうぞご安心を」
優雅に微笑むリディアに、落ち着いた民衆はそのまま足早に避難していく。
全員の姿が見えなくなると、リディアはその場に膝をついた。
(っ、……精霊力を、使いすぎた……)
「はあ、マクシミリアン、来てくれてありがとう……」
そう言いながら、周りを見渡す。
「ラスターが結界を張り終えるまで、最低でもあと一時間はかかるわ。逃げ遅れた人がいないか確認をしたあと、すぐに別の場所に応援を……」
「いや、ここに逃げ遅れた人間はいない。元々確認していた人数と、先ほど避難した人数は一致しているはずだ。元々そう多い人数がいなかったからな」
「……?」
(元々、そう多い人数はいなかった?)
まるで空の上から把握していたかのような物言いだ。得体のしれない悪寒を感じてマクシミリアンに目を向けると、彼は妙な温度の眼差しを、リディアに向けていた。
それは過去、ディアナの兄弟たちがディアナに向けていた目と同じ類の色をしていた。
「……まさか、まだ気づいていないのか?」
幼い頃からの友達が、マクシミリアンが、ゆるやかに微笑む。そうして着ていたシャツの襟元をくつろげて、片手でぐいっと服を広げる。
そこに浮かんでいたのは、蛇が絡みつく杖の痣だった。
生前のディアナが最後の力を振り絞って遺した、主への反逆の証だ。
「……どうして、マクシミリアンが」
「お前に派遣された刺客はミラー公爵の私兵だったが、場所やタイミングも含め命じたのは俺だったからな」
確かにディアナがかけた主への反逆は、ディアナを害し、死に至らしめる者を道連れにする者、そして『それを命じた者』の命を奪うような術式だった。
(……確かに、ずっと変だと思ってた)
ディアナが保護膜を失ったことを知る人物は、大魔術師の中でも一握りだ。世間に対しては結界の魔術を張った報奨としてその座を降りたということになっている。
(ただ、人の口に戸は立てられない。……権力者なら尚更だ。そう思っていたけれど)
ディアナの身近にいたのだ、内通者が。
(そっか、だから……王宮精霊士の試験に、お母さんがいたんだ)
ディアナ・フィオリアルの実母について知る人間は少ない。わざわざ手をつけた平民の名前を、父が公表しているわけもない。
それに何より、ディアナが考案した鎮静の結界。
それを壊せるような人物は、大魔術師の中でも結界に精通したもの――解呪を得意とするマクシミリアンくらいのものだ。
「……どうして?」
「そこに気づかないから傲慢なんだ、お前は」
いつも優しい笑みを讃えていたマクシミリアンの目が、鋭い光を帯びた。




