幕間2 薫陸の一日:弐
「じゃじゃーん!手伝いに来たよ!岳矢」
「花菜。なんで来た。って言いたいところだけど、正直助かる」
岳矢が、四角い眼鏡の奥で疲れ果てた表情をする。厄介そうな顔をしながらも、私を見て安心している様子も窺える顔。私の、好きな顔だ。
でもそんな気持ちは抑えて、私はいつものように聞いてみる。
「助かる?」
「ああ、うちの会長がどっかに行ってしまってな。本当、自由な人だよ」
愚痴を吐いている筈なのに、どこか嬉しそうな顔をする彼。他の女のことを考える、私の嫌いな顔。それに妬いてしまいそうになる。やっぱり見たくない。会うんじゃなかったな。私の恋に決着が付いていないから、こういう思いもまだ勝手に続いてしまう。私は、こんなところに呼び出した尾緒神のことを恨んだ。
「全く、片付けも含めて生徒会活動だって話だよな。でも、任せてくれたからには応えないといけない。あんな失態、したばかりだし」
心なしか、何人かの生徒会メンバーからの視線が痛いような気がした。彼らは、私達の身勝手な行為に巻き込まれた人達に過ぎないのだ。事情を説明したら、怒りながらも同情してくれる人達もいたのに。
私だって怪訝そうな目を向けられている。確かに、この視線に1人で耐えるのは辛いし、誰かに側に居て欲しいと思うかもしれない。それでも、信頼回復の為には彼らの前で頑張らないといけない。逃げ出しちゃ、いけない。世界は、なんて私達に厳しいのだろう。
私の視線を追って、岳矢が気を使ってくれた。
「取り敢えず、イベントステージの方に行くか。やって欲しいことはそこで説明するよ」
この視線のない落ち着いた場所へと誘ってくれる。こういう気遣いが好きだ。
私は岳矢に連れられて広場に出た。複雑な気持ちだった。2人きりになれるのに、会長の顔がちらついてすっきりとしない。くそ。どういう結末を辿るにしろ、せめてこれだけは断ちきりたかった。
岳矢に付いて歩く。その道中で、あの銃声がした。
背後で鳴り響いた音に驚いて振り返ると、女の人が頭から血を吹き出しながら倒れていく。汚いコートを来た男が近寄っていくのが分かった。
この瞬間だけは、一瞬のことの筈なのに凄く長く感じていた。
地響きほどの悲鳴が鳴り上がり、そして私の時間の進が元に戻る。
私は訳も分からないまま、この悲鳴を受け入れ続けるしかなかった。
「花菜!」
そんな私を現実に引き戻してくれる。
手を掴んでくれる、頼もしい人がいた。
私は驚愕しながら彼を見る。
「岳矢、あれ」
「こっち!早く!」
悲鳴が世界を包み込む中、私は手を引かれるままにステージの裏へと回った。
「どうして、アイツが」
銃殺犯から身を隠しながら、岳矢はそんなことを呟いた。
「あいつって何」
震えながら聞いた私の言葉は、今の彼には届いていないようで
「まさか、会長が消えた理由って」
私は不覚にも、尾緒神の顔を思い出した。
会長の抱えているものを、取り除く話ですから
先輩は、あまり彼に危険なことをして欲しくない。違いますか
それらに加え、今の岳矢の呟き。
会長が抱えているものって、そんなに危険なものなの。
銃に撃たれるかもしれない、そんな命と隣合わせのことなの。
私の岳矢が、死んじゃうの?大切な、私の、幼馴染みが。
駆け出して行きそうになった岳矢の腕に、私は必死になってしがみ付いた。
「花菜!離して」
「置いてかないで!私、腰が抜けちゃって。怖いよ」
事実だった。人の死を目の当たりにして、私は震えが止まらない。でも、それ以上に
「でも」
「お願い」
「……。分かったよ」
私はずるい人間だ。岳矢がどうしたら助けてくれるのか、分かっていてこんなことをしている。あの女のところに行って欲しくなくて、死んで欲しくなくて、こんな。
沢山の警察が到着するまで、岳矢は私に寄り添ってくれていた。事情徴収が始まって、暫くして2発目の銃声が聞こえた。続くように3発の銃声が鳴り響く。どよめきが起きる。それでも、警察が居てくれたからか、悲鳴は上がらなかった。
誰かが、どこかで撃たれている。今ので最低でも1人。多くて4人の人が死んだかもしれない。それが、岳矢だったかもしれない。会長かもしれない。
警察が来てからは、岳矢も身動きを取ることが出来なかった。警察は、一般人を危険な場所へは立ち入らせない。その場所に居たのならともかく、銃声を聞いてその方向に向かおうとする人間を、通したりはしなかった。
私の携帯に、メールの通知が届く。そこには、忌々しい男からの命令が記載されていて。私は気を紛らわすようにこの場から抜け出すのだった。
そんな私を、誰かが見ていたような気がした。
***
息を呑んだ。
化け物が歩いているのかと思った。
アレは、怒り、恨み、悲壮、狂乱の塊であった。とても生物とは思えない何かがそこにいた。敢えて何かに例えるのなら、魔王とでも言うべきか。存在するだけで畏怖するような気配を身に纏ったそいつが、やって来た。
それは、人間の形をしたナニかのように見えた。
そこにいるだけで不安を与えてくる塊。
喋っている訳ではない。言葉なんて使わずに、その風貌だけで魔王は語る。
紙袋を持って待っていた私に訪れたのは、そんな化け物だった。
尾緒神は、くぐもった目で私を見て言う。
「先輩、ちゃんと来てくれたんですね」
真っ赤に彩られた彼が、彷徨うように歩いて来る。
「あんた、それ」
彼の手から流れ落ちる血を指差してみると、彼は不適に頷いた。
「ああ。これ?大変でしたよ。執着って凄いですね。最後まで、折れなかった」
「なんの、話を、して」
「あれ、堕ちたヒーローの話じゃなかったんですか」
「そんな話してない、血だよ。それ、あんたの」
言えば、尾緒神は自分の体を見た。
「ああ。撃たれたんです。何発か」
つまらないことかのようにそんなことを言う。
「撃たれたって、痛くないの」
「痛いに決まってるじゃないですか、馬鹿ですか」
「ば、馬鹿じゃない!これでも、一応は心配して」
「それは嘘ですね。あなたはただ、目の前の非常な光景に動揺して、ただそれを疑問にしているだけです。心配なんてのはしていない」
「ぐっ」
それは、そうかもしれないけど。
「そんな顔をする必要はないですよ。先日会ったばかりの相手なんて、そんなものです。それよりそれ、準備してくれたんですね」
彼が私の持って来たものを指す。救急箱って他の誰か、怪我人に使うものだと思っていたけれど自分用のものだったのか。
「これでも一度は止血しようと頑張ってはみたんですよ?でも、無理でした」
「そりゃ、そんな傷。直ぐに病院に行かないと」
体が震えた。殺されるかと思った。
どうしてか、目の前の男が一瞬だけ殺気を放った。
私の体は、それを感じて萎縮した。
「駄目ですよ、医者なんて呼んじゃ」
「え?」
「大丈夫です。止血はしますから」
薄らと微笑みかけた彼は、私が持って来た救急箱に手を伸ばした。
言葉に詰まる私を無視して、彼は上の服を脱いで包帯を巻き始める。
息を呑んだ。その体は傷だらけで、痣だらけであった。それに、よく鍛えられているなんて言葉じゃ言い表せないほどの筋肉を持っている。
水泳の授業とかで、男子の上裸は見た事がある。でも、尾緒神のそれはスポーツをやっているにしても異常な体だった。
人の体から銃弾が取り出されるところなんて、初めて見た。それも自分で、ピンセットを使って。肉を抉るようにして。
途中、もう訳が分からなくなって。尾緒神って、意外と体が柔らかいんだな、なんて思った。
って、そうじゃない。
「あんた、それ。どうなって」
「よし、巻けた。取り敢えずこれで止血くらいは出来た筈です。どうです?ちゃんと止まっていますか?」
「ひっ」
私に見せた体は、包帯に血が浸みて赤黒かった。全然、止まってなんていない。包帯で抑え付けているだけに過ぎない。尾緒神は私の表情を見て目を細める。
「……。そうですか、駄目でしたか」
「当たり前でしょ。そんな怪我、止まる訳ない。あんた、そんな怪我、どこで」
「……。これは、罰ですよ」
「は?」
私に背を向けたまま、尾緒神は1人言のように言った。その背中から、とてつもない負の感情を視た。
「俺は、見誤った」
「なにを」
「大丈夫。いつものことです。男に傷は、付き物ですから」
「いつものことって」
「先輩も、俺を殴ったでしょう。これは、そういう傷です」
「ばか、私のなんかとは、全然ちが」
「同じですよ。俺はコレを、乗越えなければならない」
雰囲気が変わる。気配が変じる。彼はきっと、復讐者だ。
「すみません。もう、行かないと」
尾緒神が私に盗ませた、ヒーローショーのヒーロースーツ。
尾緒神は紙袋に入ったそれを持って立ち上がる。
「そんなもの持って、どこに行こうとしているの」
「そんなのは、決まっている。 この地獄を、振り払いに行くんですよ」
そして、紙袋を見た。
「大丈夫。いつもと同じ。何も、怖くなんてない。俺の人生の邪魔をする奴を、黙らせるだけ。でもせめて、今回は前よりも上手くやらないと」
尾緒神が、私を見る。尾緒神は、目を朦朧とさせながらも、軽く笑ってみせた。
妄執に囚われたその姿は、歪なものであった。
「今日で、俺を巻き込んだ忌まわしい因縁を、5年前の怨念を断ち切ります。まあ、この怪我じゃ無理かもしれませんけどね」
ふらふらと、尾緒神が歩き出す。
彼が、森の中へと消えていく。
尾緒神は、会長が抱えているものを肩代わりしているのだろうか。
みんないったい、なにと戦っているというの。




