第十七話 秘密の小部屋
週末が来るまでは、本当に大変だった。
なにせ、私もシャルロッテも家事というものをほとんどしたことのない人種だったから。
掃除一つとっても、四角い部屋を丸く掃いてしまったり、戸棚の上のほこりを見逃したりで大騒ぎである。
いわんや、料理なんてもってのほかだった。
シャルロッテが最高級の食材を真っ黒な何かに変えてしまったことは、今でも覚えている。
きっと、あれは星錬術的な何かを使ったに違いない。
こうしてどうにか一週間を乗り切り、迎えた週末。
旅行鞄を手にしたブランドさんを見送ると、いよいよ調査の始まりである。
ロゼッタさんの職権乱用で仕事を他のメイドに任せた私たちは、一路、屋敷の東端にあるブランドさんの部屋へと向かった。
「ここね!」
「使用人の部屋にしては、随分と立派な扉かしら」
両開きの扉は幅が二メートル近くあり、厚さもかなりあるようだった。
深い色合いが美しいオーク材の一枚板で、素人目にも値打ちものだということが明らかである。
私たちが利用している使用人部屋とは、明らかに造りが異なっていた。
部屋の前には絨毯まで敷かれて、独特の風格まである。
「この部屋は、もともと旦那様のお部屋の一つでしたから。空室になったままだと逆に部屋が傷むということで、ブランドさんがお住いになられています」
「主人が死んだのをいいことに、その部屋を乗っ取ったってこと……?」
「今考えると、おそらくそうなんでしょうね。恐ろしいことです」
ロゼッタさんは微かに声を震わせた。
本当にそうだとしたら、まったく恐ろしい話である。
普段は温厚な人物なだけに、逆に身の毛がよだつような思いがする。
「……とりあえず、入りましょう」
「ええ」
「お願いします」
アストロラーベを構えつつ、シャルロッテは部屋のドアを開けた。
刹那、走り抜ける緊張。
シャルロッテの後に続いて素早く部屋に足を踏み込み、周囲を見渡す。
カーテンを閉め切った、やや薄暗い部屋の光景が目に飛び込んできた。
「……ふう」
念入りに辺りを見渡したが、やはり誰も居なかった。
特に怪しい気配などもない。
ブランドが後から持ち込んだのだろう、豪奢な部屋に似つかわしくないさっぱりとしたデザインのベッドに、備え付けの棚。
天宮図と放置された実験器具の数々が、もともとここが星錬術師の部屋であったことを物語っている。
生活するうえで必要最低限のもの以外は、特に部屋を改装したりはしていないようだ。
「さてと。特に罠とかもないみたいだし、調査にかかりましょうか!」
「どこから調べる?」
「そうね、まずはベタなところでベッドの下とかかしら!」
「はーい、任せてください!」
軽く声を上げると、ロゼッタさんはベッドのシーツに手をかけた。
彼女はそれを手際よく広げると、一気に引っぺがしてしまう。
バサッと風をはらんだ音がして、たちまち、灰色のマットレスが露わになった。
シーツに隠されていたベッドの下の隙間が、はっきりと見て取れるようになる。
「うわ、いろいろある!」
ベッドの下には、様々な荷物が雑多に押し込められていた。
部屋を見た時、生活感を感じさせるような荷物が少ないと思ったが、そう言ったものはすべてここに押し込めていたらしい。
手始めに大きなトランクを開けると、男物の服がたくさん顔を覗かせる。
中には、最近流行り出したトランクスまで混じっていた。
「これはぜんぶ服みたいね。あと、奥にあるのは……シェリー、ランプ貸して」
「はい、どうぞ」
ランプを手に、ベッドの下へと潜り込むシャルロッテ。
彼女は奥からあれやこれやと荷物を取り出すと、次々に蓋を開けていく。
たちまち、ベッドの周りに衣類や雑貨の山が出来た。
老人の一人暮らしと侮っていたが、なかなかの量である。
「結構あるわね……! これだけ調べるには、骨が折れそう!」
「これは、丸一日かかっちゃいますかね?」
「そうですね……。ただこれ、そんなに真剣に調べる必要はないと思いますよ」
「どうしてです?」
首をかしげるロゼッタさん。
シャルロッテは軽く顔を上げると、ちょっぴり得意げに言う。
「私が犯人だったら、証拠品はとっとと処分します。もし取っておくにしても、他の生活用品と混ぜたりはしません。どこか、別の場所に隠しておくはずです」
「なるほど、確かにそうね」
「ということは、振り出しに戻ったってことですか?」
がっくりと肩を落とすと、泣きそうな顔をするロゼッタさん。
だがそんな彼女に、シャルロッテは余裕たっぷりに笑いかける。
眼元を軽く歪ませたその顔は、どこか愉しげですらあった。
「いえ、まるっきり振り出しってわけではないですよ。少なくともベッドの下とは別の場所にあるってはっきりしました」
「確かにそうですね! でも、ベッド以外と言っても……」
「えっと、だいたいの推測なら付けられます。そうですね……」
言葉を切ると、シャルロッテは不意に天井を仰いだ。
彼女は目を細めると、白い天井板やそこから吊り下げられたランプを注視しはじめる。
私とロゼッタさんも、その動きにつられるようにして上を見た。
しかし、特に変わったものは発見できない。
格子をあしらった格調高いデザインが目に飛び込んでくるだけだ。。
「天井に、何かあるの?」
「ええ。ベッドの下を見た時、一番意識から外れるのが天井だから。隠すならここにする可能性は高いわ」
「そういうことですか。うーん……あッ!」
ロゼッタさんは不意に声を上げると、天井の一角を勢いよく指さした。
人差し指の先が、ビシッとある四角形を示す。
見れば、綺麗な正方形に区切られた天井板の中で、それだけが少し小さかった。
格子の枠が若干だが太く、その分だけ内側の四角形の面積が狭いのだ。
明らかに怪しい。
私たち三人は、互いに顔を見合わせると示し合わせるように深々と頷く。
「あれを押してみましょうか。よいしょっと!!」
みんなを代表して、天井板を押そうとするシャルロッテ。
彼女は近くにあった椅子の上に登り、大きく手を伸ばすが、身長がどうにも足りなかった。
グッグと背中をそらして反動をつけたり、つま先立ちになったりするものの、指先がふれる気配すらない。
どう見ても無理。
板のはるか下でむなしく宙を切る手を見て、私とロゼッタさんは困ったように顔を見合わせるが、本人はなかなか事実が認められないようだった。
顔を真っ赤にしてまで、必死に頑張る。
「くう! あと少しなのに!」
「少しと言うか、十センチぐらい足りてないと思うわよ?」
「うるさいわね! 背筋を伸ばせば何とかなるわ!」
「もう、身体は目いっぱい反っちゃってるじゃない」
「むう……!」
「……あの、良かったら私に任せてくれませんか? たぶん、届きますから」
必死なシャルロッテに遠慮するように、弱弱しい口調で告げるロゼッタさん。
シャルロッテは彼女の体を上から下まで見ると、どこか悔しげな表情をする。
だが、このままやっていてもらちが明かないので、しぶしぶながらも椅子を彼女へと譲った。
今まで自身が使っていた椅子を、黙ってロゼッタさんに差し出す。
「んしょ!」
ロゼッタさんの手は、あっさりと天井板に届いた。
そのまま指先に力が籠められると、板が奥へと引っ込み、ガチッと何かのスイッチが入ったような音がする。
重い歯車が動き出したような、腹に響く低音がにわかに聞こえ始めた。
部屋に仕込まれていた仕掛けが、天井を押されたことで作動し始めたようだ。
壁や床が小刻みに震えて、上から埃が落ちてくる。
「な、なんですか!?」
「見て、奥の壁が動いてる!」
「本当! だんだんと、入り口が……!」
東側の壁の一角が、轟音を響かせながら床へと滑り落ちていく。
やがてすっかり床へと吸い込まれてしまうと、トイレの個室ほどのスペースと地下へ続く階段が姿を現した。
壁に出来た隙間から中を覗き込んだ私たちは、地下から吹き上げてきた埃まじりの冷たい風に、ゆっくりと目を細める。
いったい何がこの先にあるのか。
どうにも、嫌な予感がして身体が震えた。
階段を下った闇の先に、得体の知れない何かが眠っているような気がしてならない。
禁断の扉を開けてしまったような、ある種の背徳感に近い何かを覚える。
「間違いなく、この先に何かありますね」
「ええ。けど、なんだか気味が悪いわ。どうしてこんなものを……」
「そうね。これだけ大掛かりな仕掛けを、ブランドが証拠隠ぺいのために用意したとは思えないわ。この屋敷には、もともと何か隠さなきゃならないようなものがあったのよ」
「それを、ブランドさんが証拠の隠ぺいに利用したと?」
「確証はありませんけど、おそらくは」
深々と頷くシャルロッテ。
彼女はランプの灯を強めると、先頭を切って階段を下りていく。
事件の証拠をつかみに来ただけなのに、思わぬものを見つけてしまった。
私はやれやれと息をつきつつも、彼女に引き続いて階段を下りていく。
螺旋を描く階段は、なかなかに長かった。
建物の高さで言うなら、三階分はあっただろうか。
かなり古いもののようで、壁の岩がところどころ白く溶出してしまっていた。
造られてから、百年単位で時間が経過していそうだ。
「これはまた、物々しいわね」
「うちの屋敷に、こんなのあったんですか。びっくりです……」
階段が終わると、今度は鋼鉄製の扉が姿を現した。
赤錆の浮いたそれは大きく、鋲の打たれた外観からは独特の威圧感のようなものが出ている。
軽く叩いてみると、想像よりもかなり重い音がした。
ちょっとした金庫扉ぐらいの厚さがあるようである。
「星錬術で開けましょう。見ててください」
そういうと、シャルロッテはアストロラーベを取り出した。
さらに彼女はウラノメトリア――携帯用の暦をまとめた書物である――を手にすると、日付と時間をチェックする。
星の見えない地下空間では、星錬術を使うためにあらかじめ暦を確認する必要があった。
シャルロッテは素早くページを繰ると、あっという間に目を通していく。
こういった状況での経験も豊富なのだろう、実に手慣れていた。
さすがは、もともと星影の黄昏に所属していただけのことはある。
「よし!」
確認を終えたシャルロッテは、軽く手を伸ばすと私とロゼッタさんをその場から引かせた。
彼女はアストロラーベの蓋を開くと、いつものようにパチパチと竜頭を弾く。
青の輝きと共に、扉全体を覆う巨大な星光陣が現れた。
精緻な文様と術式が、アストロラーベに仕込まれた金属板の動きに従って、微かな円運動を描き出す。
鋼が軋む。
相当の年月を経た巨大な鉄塊が、いともたやすく捻じ曲げられていった。
飴細工でも作るかのように、鋼の扉が簡単に操作されていく。
中央に穴が開き、次第に壁際へと寄せられた扉は、最終的に壁を補強するアーチのようなものへと変えられてしまった。
中央には獣を模した装飾までなされていて、最初からそうであったかのように自然な仕上がりである。
「さすがね、あきれるくらいの腕前だわ」
「どういたしまして。さ、中へ入りましょう!」
「はいッ!」
勇んで、アーチの向こう側へと足を踏み入れるロゼッタさん。
彼女に続いて中に入ると、たちまち、研究室のような風景が目に飛び込んでくる。
地下にあることを除けば、リンデン大学の研究棟に雰囲気がよく似ていた。
さまざまな形をしたフラスコが整然と棚に並び、机の脇には天宮図と人体照応図が張り出されている。
さらに奥にはさまざまな専門書と、研究データを記したと思しきファイルが並べられていた。
「ここはいったい……」
「博士の秘密研究室ってとこ? イリーガルな研究でもしていたのかしらね」
「そういえば、博士は時折姿が見えなくなることがありました。きっと、一人でここに籠っていたんですね……」
「うーん、何の研究をしてたんだろう。どうやら、占星医学のことっぽいけど……シェリー、分かる?」
「ちょっと待ってて」
シャルロッテに促された私は、手近にあった資料を手に取った。
中を開いてみれば、たちまち走り書きの文字とグラフが目に飛び込んでくる。
どうやら、生物の免疫反応について調べたもののようだ。
頁を読み進めていくと、実験の対象が原始的な生物から次第に人間に近い高等動物へと移り変わっていくのがわかる。
「これは免疫反応についてね。こっちは……細胞の培養についてだわ。星錬術で細胞をコントロールして、特定の臓器を選択的に生み出す、なんてことが書いてある。どうやら失敗したようだけど」
「……結局、どういう研究なの? もうちょっと分かりやすく」
「おそらくだけど、博士は人工臓器について研究をしてたんじゃないかしら」
「ああ、そういえば博士は人工臓器の権威だったわね。わざわざ自宅でも研究してたってこと?」
「そうね。軍では『表向き』許可されていない、やっばいのをここでやってたみたいよ。知られれば即首が飛ぶレベルの」
「なーるほど。そりゃ、これだけ厳重に隠すわけだわ」
部屋に置かれた研究器具の数々を見ながら、シャルロッテは大きくため息をついた。
彼女は並べられていた試験管の一つをつまむと、中に入っている液体を揺らしながら、いぶかしげに眉をひそめる。
紅に黒を混ぜたような溶液は、人間の血によく似た気味の悪い色合いをしていた。
ここで行われていた研究の悍ましさを、端的に表現しているかのようである。
「あの、これなんでしょう?」
いつの間にか部屋の端に移動していたロゼッタさんが、不意に声を上げた。
振り向けば、彼女は赤いノートを控えめに掲げている。
ややくたびれた表紙には「1895」と星暦だけが書かれていた。
かなり使い込まれたもののようで、表紙の端は一部ギザギザになってしまっている。
「それ、もしかして日誌じゃないですか?」
「そうなんです? よくわかりませんけど」
「とにかく、中を確かめてみましょう。ロゼッタさん、こっちに来てください!」
「ああ、はい!」
声に応じて私たちの方へと駆け寄ると、早速、表紙を開いて見せるロゼッタさん。
たちまち、走り書きの筆記体が目に飛び込んでくる。
綺麗で、神経質な性格のうかがえる几帳面な文字だった。
『7月8日
実験の推移は比較的順調だ。
心配されていた拒絶反応も薄く、すべてが上手くいっている。
あともう少しで完成しそうだ。
私にとって、この半年はあまりにも長かった』
「なにこれ。どういうことかしら?」
「……これだけだと、意味が分からないわね」
予想外の文面に、戸惑いを隠せない私たち。
慌てたシャルロッテに急かされて、ロゼッタさんが勢いよく頁を繰る。
凄い勢いで流れていく文字、情報の洪水。
それを目で追いかけていく。
するとある頁で、ロゼッタさんの手が止まった。
『8月11日
試験体の稼働に必要な最終試験を終えた。
これで、十月までにはまず間違いなく稼働できる。
また会えるよ、テレーゼ。
出来損ないのお人形ではなく、真の君が帰ってくるのだ。
その細い身体を抱きしめるのが、今から楽しみだよ。
もう一度、生きた君の体温が感じられることだろう』
「ウソでしょ……?」
「これってつまり、テレーゼさんは博士より前に死んでいるってこと?」
「そんな! ありえませんよ! お嬢様は今も生きていますッ!!」
髪を振り乱しながら、ロゼッタさんは声を張り上げた。
当たり前だ、彼女はつい今までテレーゼさんのお世話をしていたのだから。
私だって、既に屋敷で何度も顔を合わせている。
まったく知らない人物ではないだけに、死んでいたという事実は受け入れがたい。
なにせ、実際に動いていたことははっきりしているのだから。
「シャルロッテ、どう思う?」
「そうね……。私も、あのテレーゼさんが死人だとは思いがたいわ」
「じゃあ、これは間違い?」
「それも考えづらいわ。この歓喜に震えるような軽やかな筆致……真似できるものじゃない」
白い指が、ゆっくりと文字をさする。
弾むような筆記体は、それまでと比べて格段に線が伸びやかで、開放的な感情が露わになっていた。
シャルロッテの指摘する通り、これは意図して書こうとして書けるようなものではない。
まったくの自然体だ。
しかし、これが真実だとすると――死者の蘇生が起きたことになる。
そんなこと、医学の限界を超えている!
私がハバリアで侵そうとして侵せなかった神域に、土足で踏み込むような行為だ。
いくら権威のシュタイナー博士とはいえ、出来るはずがない!
「……どういうことよ! もう、なにがなんだか」
「……私には読めて来たわよ。事態の真相が」
「え!? ほんとうですか、シャルロッテさん!」
「ええ。おそらくだけど……今いるテレーゼさんは偽物なのよ!」
シャルロッテの震えた声が、冷えた地下室に響き渡った――。
事件の真相が、少しずつ明らかになってきました!
感想・評価など頂けると幸いです。




