第十六話 本の罠
きょとんとした顔でこちらを見るロゼッタさんの姿に、私たちは慌てて武器を下ろした。
しばしの沈黙。
何と説明していいのかわからない。
シャルロッテと軽くアイコンタクトをすると、ぎこちない笑みを浮かべる。
「ええっと、その……掃除です。私たちはここに、掃除をしに来たんです!」
「そうですそうです、この部屋はずーっと掃除されてないって聞いたので。ははは……」
とにかく笑う、ひたすら笑う。
誤魔化しきれると信じて。
けれどロゼッタさんの額に寄せられたしわは、解消されるどころか次第に深まって行った。
彼女は軽く首を傾げながら、私たちの方へと身を乗り出してくる。
金色に輝く視線が、容赦なく私たち二人の眼を射抜く。
顔が引きつり、首筋に汗が溜まった。
「本当ですか? その割には掃除道具とか持ってませんけど」
「うッ……! 今は現場検証と言うか? どう掃除したらいいのか、見当をつけてたところなんです」
「うーん、信じられませんね。明らかに嘘ついてるって顔をしてます」
そういうと、ロゼッタさんは懐からハンカチを取り出し、私たちの額に浮いた汗を拭いた。
これは、完璧に何かしようとしていたとばれてしまっている。
そのうえ、私たちに敵意がないことを悟ったのか、戸惑いが消えて余裕が出てきていた。
つまり、冷静に頭を回せる状態にある。
ここから上手く誤魔化しきることはかなり難しい。
「シャルロッテ。こうなったら……」
「そうね。変に言い訳するよりはマシそうだわ」
「事情、話してくれるんですね?」
「……絶対に漏らさないって約束できますか?」
「大丈夫です! 口はとっても堅いです、鋼ぐらい!」
そういうと、ロゼッタさんは唇を指でスウッと撫でた。
口にチャック、と表現したいらしい。
こんな調子で大丈夫なんだろうか。
どことなく子どもっぽいロゼッタさんに不安を感じるが、彼女はこれでもこれだけの屋敷を取り仕切る立場の人物。
それなりに信用はできると考えても、まあ問題はないだろう。
「えっと、どう話したものか……」
「私に任せて。ロゼッタさん、実は私たちは――」
流暢な口調でそれなりに上手く状況説明をしていくシャルロッテ。
八つ裂きジャック事件との関連性など、核心部分は上手く隠している。
私たちは単に「博士の死について真相を確かめ、名を上げようとする探偵」というスタンスに収めるようだ。
なかなかにいい落としどころである。
それなら万が一ばれてもジャックに警戒される恐れは低いし、一定の真実を含んでいるので信憑性もある。
その真実味の証ともいうべきか、シャルロッテが話を終えた後のロゼッタさんは、キラキラと目を輝かせていた。
英雄譚を聞かされた直後の子どものようだ。
「二人とも、探偵さんだったんですね! 凄いです、憧れちゃいますよ! 事件をズバズバっと解決しちゃうんですよね?」
「あはは、そんな大したものじゃないですよ」
「まあ、今のところは大きな実績もないしね」
「だとしてもです! それで、博士の事件については何かわかったんですか?」
ロゼッタさんの質問に、私たちは思わず彼女の顔から視線を逸らした。
今のところ、ほとんどと言っていいほど成果は上がっていないのだから。
「えーっと、それはまだ調査中です」
「……当時のメイドさんがやめていたりして、その、ちゃんと情報が集まってないんですよ」
「そういうことなら、私に協力させてください!」
バーンっと胸を張ると、誇らしげな表情をするロゼッタさん。
そういえば、彼女はメイドの中では一番の古株だったか。
私たちは戸惑いつつも、ひとまず話を聞いてみることにする。
「わかりました。じゃあ、ロゼッタさんは事件が起きた時の部屋の様子を、どれくらい覚えてますか?」
「もうはっきりと。部屋中に本が散乱してて、凄かったですよ!」
「部屋中に? 本が散乱してたって話は聞きましたけど、そんなに多かったんですか?」
「それはもう! 五十冊以上は落ちてたような……」
他のメイドの話から想像していたよりも、かなり多い。
私は思わず、近くの本棚を見やった。
確かに、棚の上にまで本が積まれているがそうそう落ちるものだろうか?
シャルロッテも疑問に思ったようで、顎に指を当てながら周囲を見渡している。
「人が一人、本棚に倒れ掛かれば衝撃で何冊か落ちるっていうのは分かるけれど……ちょっと多すぎるわね」
「雪崩でも起こしたのかしら? 結構きつく詰まってるみたいだし、一冊落ちればたくさん落ちるかも」
「そうとも考えられるけど……ロゼッタさん。あなた、事件が起きた時にはどちらに居ました?」
「えっと、あの時は一階に居ましたね。他のメイドたちと別れて自室に戻る前でしたから」
「銃声の後に、本が落ちるような音を聞きました?」
「あー……覚えがないですね。騎士の方にも言ったんですけど、銃声を聞いてみんな大騒ぎでしたから」
「なるほど。でも……」
シャルロッテは手近な棚から、顔が隠れるほどの大判本を取り出した。
彼女はそれを片手で持ち上げると、重さを確かめるように何度も上下させる。
大人の拳ほどの厚さがある本は、相当に重量があるように見えた。
片手で持つシャルロッテの顔は、かなり苦しそうだ。
「……結構重いわね。他の本もこういうのばっかりだし。こんなのが五十冊も落ちたら、確実にすっごい音がするわね。その音を覚えていないとは考えにくい。となると……本は落ちなかったんだわ。少なくとも、銃声が響いた直後には!」
「どういうこと?」
「犯行時刻はもっと前だってこと! 確かその日は、博士が遅めの夕食をとったからメイドさんたちはその後片付けで厨房にいたんですよね?」
「ええ、そうです。ブランドさんだけは、博士の御用聞きのためにここの隣で待機していましたけど」
これは、明らかに怪しい。
シャルロッテは軽く口元を歪ませると、うんうんと興味深そうに頷いた。
おそらく、私と同じことを考えているのだろう。
「ブランドさんって、星錬術はかなり使えましたよね?」
「はい、もともと彼は博士の助手でしたから。相当の腕です!」
「星錬術を使えば、銃声の偽装なんてわけないでしょう。実際には、犯行はメイドさんたちがこの場を離れていた時間帯に行われたんですよ。それなら時間はたっぷりありますし、ちょっと細工をすれば食堂から銃声は聞こえませんから」
「だけど、密室の謎が残るわね。ここがどうにかならないことには、自殺以外の何物でもないわ」
怪しくはあるが、ブランドさんは執事としてさほど不自然な行動をしていたわけではない。
密室の謎が破れない限りは、彼を犯人とすることなどできないだろう。
しかし、シャルロッテは余裕たっぷりに言う。
「そこは簡単よ、ブランドさんが犯人だとするならね」
「えーっと、どういうことですか?」
「つまり、閂を使わなくても何らかの手段でドアを開かないように出来ればいいんです。そして、閂を破壊すると見せかけて星錬術でその仕掛けを外せば、密室の完成です。たぶん、ドアに残っていた破壊の痕跡は、銃声を偽装するときにでも使ったんでしょうね」
「待ってください! 騎士さんの話だとドアにも床にも変な仕掛けの痕はなかったそうですよ? 星錬術でドアを固定したりしたら、何か残ってるはずです」
「そうよ、変な仕掛けなんてしたらすぐにばれるわ。突入した時、彼の周りにはたくさん人が居たし」
部屋の扉を開けた当時、ブランドの周囲にはたくさんのメイドたちが居たはずだ。
もし彼が何らかの仕掛けをしていたとしても、すぐに彼女たちが気付いたことだろう。
その後すぐに騎士たちの捜査の手も入っているし、特殊な細工を誤魔化せたとは考えずらい。
しかしシャルロッテは、分かってないなとばかりに笑う。
「それが出来ちゃうのよ。この部屋にあるものを使えば」
「ほ、ほんとですか!?」
「ええ。ちょっと、見ててください」
いつにもまして、得意げな顔をするシャルロッテ。
彼女は本棚を埋めている専門書の中でも特に分厚いものを何冊か見繕うと、奥の壁から入り口のドアまで一直線に並べ始めた。
パズルのピースでも並べるかのように、出来るだけ隙間なく。
さらに薄い本を縦に入れるなどして、わずかな微調整もくわえていく。
やがて、ドアから壁まで一部の隙もなく本が並んだ。
さながら、城壁のようだ。
「よし、これでオッケー! ドアは開かないはず!」
「へえ、本を突っ張り棒にしたってわけね。なるほど、確かにこれなら開かないかしら」
「確かめさせてください!」
そういうと、ロゼッタさんはドアの前に立ち、思いっきりノブを引っ張った。
だがシャルロッテの予想した通り、本がしっかりと突っ張り、さながら鍵がかかっているかのように動かない。
ガチャガチャとノブが鳴るが、ドア自体はびくともしなかった。
「開きません! 完璧です!」
「上手く行ったようね。でも、これって外から出来るの?」
「このドアは、下にちょっとだけ隙間があるでしょ? そこから中を伺いながら、最後の一冊を糸で引っ張るとかすれば十分に可能よ」
「なるほど。部屋の構造を上手く利用したってわけねえ……」
犯人ながら、よくこんなことを思いついたものである。
私が変な感動を覚えていると、シャルロッテはなおも推理を続ける。
「あとは、この本の一冊を星錬術で動かすだけよ」
「閂を破壊するふりをしてやるのね?」
「そうよ。ただ、普通にやると床か絨毯に星錬術の痕跡が残ってしまうわ」
確かにその通りだ。
星錬術を遠隔で発動させる場合、目標地点に星光陣などが必要となる。
そんなものを床に描いたら、何かやったとまるわかりだ。
「そうですね……。どうするんですか? 開かないと中に入れませんよ?」
「そこで、これを使うのよ」
シャルロッテは懐からメモ用紙を取り出すと、それにさらさらと星光陣を描いた。
彼女は本の列の中から一冊取り出すと、表紙の部分にメモ用紙を貼り付ける。
「実際は、本の表紙に直接描いたんだと思います。星光陣なら、表紙のデザインとしてもさほど不自然じゃないですし」
「そうね、星錬術に関する本も大量にあるから……まぎれちゃうわ」
「あとはかるーく吹っ飛ばすだけ。これなら星錬術の痕跡は床ではなく本の方に残るから、あとでこっそり回収したんだと思うわ」
「おおッ!! さっすが探偵さんです!」
感心して、パチパチと手を叩くロゼッタさん。
ピョンピョンと跳ね飛ぶその様子は、相当に興奮しているようだった。
賛辞を贈られるシャルロッテの方も、まんざらではないらしく、顎先を上げて自慢げに鼻を鳴らす。
突き出された大きな胸が、誇らしげに揺れていた。
「ふふ、これでもリンデン一の名探偵ですから!」
「……仕事してないのに」
「もう、余計なこと言わないの! けどそうなると、動機が問題になるわね。ブランドさんはなんで博士を殺さなきゃならなかったのかしら……。ロゼッタさん、思い当たるものあります?」
「そう、ですね……」
顔を上に向けると、ロゼッタさんは喉の奥で軽く唸った。
彼女は鼻のあたりに手をやると、瞳を細めて考え込み始める。
「博士を殺したい理由は結構あると思いますよ。博士は気難しい方だったので、ブランドさんと何かと揉めてましたし。それに博士が死んでお嬢様があのような状態の今、ブランドさんは実質的にこの館の主みたいなものです。家を乗っ取るつもりで博士を殺したとしても、不思議じゃありません」
「なるほど、これだけのお屋敷ですものね。財産目当てで殺人が起きたとしても、分からなくはないわ」
少なく見積もっても、シュタイナー家には数十万ギニーの財産があることだろう。
家屋敷だけでも、手放せばひ孫の代まで遊んで暮らせるぐらいの価値はあるはずだ。
過去の歴史を紐解くまでもなく、血腥いことの一つや二つ、十分に起こりうる環境といえる。
「こうなると、テレーゼさんの精神がおかしくなったのもブランドさんがかかわってそうだわ。シェリー、何か意図的に幼児退行を起こすような方法ってない?」
「狙って起こすのはかなり難しいわ。現代の脳科学は人間の精神をすべて解き明かしているわけじゃないから。ただそうね……偶然なったってことはありうると思う」
「例えばどんなことで?」
「うーん、考えられるとしたら……テレーゼさんを殺そうとしたとか。追い詰められて精神がおかしくなったんだとすれば、あの怯え方にも納得できるし」
私の推測を聞いたシャルロッテは、どこか不満げな顔をした。
彼女は天井を仰ぐと、ゆっくりと部屋の中を歩き始める。
口に特大のキャンディーをくわえて、酷く考え込んでいるようだった。
白い額に深いしわが寄り、青い瞳が不機嫌そうに細められる。
「……目立っておかしな点はない。けど、正直拍子抜けね。すっごく小さくまとまったというか」
「執事の野心が招いた殺人、か。確かにこれだと、ジャ――」
ジャックとは関係なさそう。
そう言いかけたところで、慌てて口に手をやった。
いけないいけない、このことはロゼッタさんには伏せているんだった。
私はちらりと彼女の方を一瞥する。
するとロゼッタさんは、はてと言った様子で首を傾げた。
「じゃ、なんです?」
「えっと……じゃ、若干しょぼいかなって。こういったら凄く失礼ですが」
「ははは……名探偵さんからしたら、歯ごたえが足りなかったかもしれませんね。謎もすぐに解けちゃいましたし」
「でもまだ、ブランドさんが犯人だとする物的証拠が挙がってません。あるのは、あくまで状況証拠だけにしかすぎませんから」
軽く肩をすくめると、落ち着いた口調で言うシャルロッテ。
言われてみればそうだ。
ブランドなら殺しが可能と言うことは証明されたが、可能だからと言って必ずしもやったとは限らない。
あくまで可能性を示したのみである。
博士が本当に自殺したということだって、現段階だとあり得てしまう。
何か、ブランドが博士を殺したという証拠を見つけなければならなかった。
決定的な動かぬ何かを。
「うーん、でも事件から一年たってるし……。難しいんじゃないの?」
「それもそうなのよね。ジャックの時とは違って、自殺として処理されちゃったみたいだし。さすがに騎士庁に行けば何かしらの資料は取ってあるだろうけど……。担当したのがレストレードなら、几帳面に何でも取っておいてくれるんだけどなあ……」
「意外、あの人のこと信頼してるのね?」
「仕事についてはね。騎士の中では一番しっかりしてるわ」
あくまで「仕事については」という部分を強調するシャルロッテ。
他の面については認めたつもりはないらしい。
「けどまあ、いずれにせよ騎士庁の資料については期待できないわね。私たちが請求したところで、見せてくれないだろうし」
「あいつら、探偵とかを嫌ってるからねえ。こうなったら仕方ないわ。ロゼッタさん、ブランドさんの部屋ってどこ?」
「屋敷の東端ですよ、こことは正反対の場所ですね」
「ありがとう。ブランドさんがいない隙を計らって、その部屋に侵入するしかないかしらね。まだ証拠が残ってるとしたら、そこぐらいしかないわ」
そういうと、シャルロッテはすっかり綺麗にされてしまっている書斎内を見渡した。
一年前に惨劇が起きた現場ではあるが、今ではもうその痕跡は残されていない。
血は綺麗に拭き取られ、破壊されたドアの閂も新しい物へと交換されていた。
ここから新たな証拠を見つけ出すのは、不可能に近い。
砂漠でダイヤモンドを捜すような仕事だ。
嫌な想像に、私たちがにわかに疲労の色を深めると、ロゼッタさんが思いついたように言う。
「そういえばブランドさん、今週末はお出かけしますよ!」
「ホントですか!?」
「はい。久々に暇をもらって、泊まりで旅行だそうです」
「どこにお出かけするんです?」
「ええっと、フィールズのサマセットですね。汽車で一日かかるところです」
「だったら、一日中いないってとですよね! やったッ!!」
拳を高々と突き上げると、シャルロッテは快哉を叫ぶ。
喜色を浮かべた彼女に、私は柔らかに微笑みかける。
「これで、たっぷり部屋を調べ上げられるわね?」
「ええ! 執事の正体、徹底的に暴いてやるわよ!」
「だったら、私にも手伝わせてください!」
「え?」
思わぬ申し出。
私とシャルロッテは、たまらず間抜けな顔をして固まってしまう。
「いいですけど、どうして?」
「興味あるんです、探偵さんのお仕事に。それに、犯人を捕まえたいって気持ちもありますしね」
それまでと比べて、声のトーンが若干下がるロゼッタさん。
眼がにわかに昏い光を帯びる。
彼女にも何か、のっぴきならない事情があるように思われた。
「わかりました。それなら三人で、頑張りましょう!」
「はいッ!」
こうして私たち三人は、週末にブランドの部屋を調査することに決めたのであった――。




