第十五話 捜査
「しかし、意外とうまくいったわね。あなたの口の上手さには感心するわ」
「私にかかればざっとこんなもんよ。まあ、ちょうど人が足りてなかったらしいけど」
メイドとしてシュタイナー家に潜り込んだ私たちは、ブランドさんから命じられた掃除をこなしていた。
今日のノルマは、このお屋敷で一番長い廊下を綺麗にすること。
端から端までゆうに三十メートル以上はある廊下の窓や床を、ほうきやはたきで丁寧に掃除しなければならない。
家事に慣れていない私たちにとっては、なかなかの重労働だ。
すでに二時間ほど仕事しているが、まだ三分の一ぐらいしかできていない。
奥の壁に飾られた絵画が、遠く霞んで見える。
「こりゃ、なかなか大変だわ……」
「窓ふきもあるし、丸一日かかりそう」
「うへえ……。終わるころにはくったくたね。最悪」
「仕方ないわ、全然人手が足りてないからこそ、あっさり採用されたんでしょうし」
「それにしても、参っちゃうわ」
シャルロッテはほうきを肩の上に乗せると、それを使ってグーッと腕を伸ばした。
さらに胸を反らせると、首の骨をゴリゴリと鳴らす。
露出された胸元が、たっぷんっと信じられない円運動を描いた。
その神々しいまでの動きに目を奪われつつも、私もふうっと息を漏らす。
慣れない仕事のせいか、随分早く疲れがたまってきている。
「ねえシェリー。あなたってさ、雷の星錬術をつかえたわよね?」
「ええ、それがどうかしたの?」
「だったらさ。静電気でも起こして、廊下の埃をうわーって集められない? うわーって!」
両手を目いっぱい広げると、ジェスチャーで「うわーっ!」という感じを表現するシャルロッテ。
……疲れて、あんまり頭が回らなくなっているんだろうか。
考え方が、まるっきりお子様だ。
「確かに雷は静電気だけど、そんな器用なことできるわけないじゃない。それより、あなたの方こそ何かいい手はないの?」
「私は火星の星錬術師よ。そういうのにはいっちばん向いてないわ」
火星は破壊に長けた惑星で、炎や鉄と相性が良い。
掃除とはほとんど無縁の惑星属性だ。
まあ、危険な意味での『掃除』ならば、一番向いているのだろうが……一般的なのは無理だろう。
「どうやら、真面目にやるしかないかしらね」
「よし、それなら……!」
シャルロッテは廊下の端におかれた掃除道具入れから、ほうきをもう一本取りだしてきた。
彼女は紐を取り出すと、現在持っているほうきと新たに持ってきたものを器用に繋ぎ合わせる。
たちまち、一回り大きなほうきの出来上がりだ。
大きなほうきを使えば掃除の速度も速くなると考えたらしい。
「これで二倍速よ!」
「そんなにうまくいくかしら……?」
「任せなさいって!」
そういうと、自信満々な態度で勢いよくほうきを動かしだすシャルロッテ。
だが、小さな体に大きなほうきと言うのはバランスが悪かったのだろう。
敷き詰められた赤絨毯の、わずかなしわにつまづいてしまう。
「わッ!!」
「あァッ!!」
傾くシャルロッテの身体。
その先には、運が悪いことにバケツが置いてあった。
窓ふきに使うためのものが、置かれっぱなしになっていたのだ。
水は入っていないが、当たればかなり痛いだろう。
シャルロッテはとっさに手を伸ばして宙を掴み、私も慌てて彼女の体を軌道修正しようとした。
しかし、互いの手はむなしく宙を切り、細い体はそのまま落下していく。
衝撃、金属音。
シャルロッテの手が縁に当たり、ひっくり返ったバケツが吹っ飛ぶ。
縦回転をしながら飛んだブリキの塊は、そのまま近くの窓へと吸い込まれていった。
ガラスが弾ける。
硬質な音が響き渡り、欠片が透明なそこらじゅうに降り注いだ。
空が砕けて、陽光が結晶となったかのような景色だった。
そのすさまじさに、私とシャルロッテはその場で静止する。
割れたのは、大人が手を広げたぐらいの大きなガラスだ。
相当の値段がするだろうし、何より片付けの手間が途方もない。
それだけで数時間は潰れることが確実だ。
初日から、おっそろしいことをしてしまった……!
焦燥で顔が真っ青になり、全身が震えてくる。
「……やっちゃったわね」
「いたたァ……! ど、どうすんのよこれ!!」
「どうにもならないわよ! もとはと言えば、シャルロッテが横着するから!」
「そりゃそうだけど……!」
声をひきつらせながら、助けを求めるかのように周囲を見渡す私たち。
だが、広々とした廊下には当然のように誰もいない。
どうにかこうにか、自分たちでこの場を乗り切るしかなかった。
出来ることなら、ブランドさんたちにばれる前に!
シャルロッテは意を決したように唇をかむと、私の方を見やる。
「こうなったら、星錬術で窓を直すしかないわ!」
「で、出来るの?」
「やるしかないでしょ!」
ポケットからアストロラーベを取り出すと、上蓋を開いて竜頭を弾く。
たちまち、チェレンコフの青い輝きがあふれ出した。
ガラスから星光陣が広がり、薄暗い廊下を鮮やかに照らし出す。
シャルロッテはそれをそのまま、床へと叩きつけた。
一閃。
水面に波紋が広がるように、光が駆け抜ける。
ガラス片が輝き、みるみるうちに赤熱していった。
熱い。
露出した肌が灼けつくように。
ふわりと宙に浮かび上がったガラス片の群れは、次第に強い光を帯びていく。
――これはまさか、爆発するんじゃないか?
何とも嫌な気配がした。
周囲の気温は上がっているのに、背筋がひんやりとする。
慌ててシャルロッテの方を振り向けば、彼女は額にしわを寄せ、恐ろしい形相でガラス片をにらみつけていた。
術式の制御に相当苦労しているようだ。
「だ、大丈夫?」
「平気よ。人が出来ないことをやるのが私だから!!」
光の群れが一斉に窓の方へと戻って行った。
欠片は互いにぶつかり合うと、次第にその大きさを増し、膜を形成するように元の一枚板へと戻っていく。
やがて熱が収まると、そこにはすっかり元の状態へと戻った窓があった。
「さすが! ガラスを溶かして戻すなんて!」
「ざっとこんなもんよ。さすがに、ちょっと疲れたけどね。ふう……」
口ではちょっとと言っているが、実際のところは結構疲れたのだろう。
ガラスを溶かして元通りにし、なおかつ周囲に被害を出さないなんて、緻密な制御が必要である。
シャルロッテは大きく息をつくと、そのまま近くの壁へともたれかかった。
私もまた、ほっと胸をなでおろす。
そうしていると、廊下の角から一人のメイドが姿を現した。
この間、屋敷を訪れた時に見たお嬢様付きのロゼッタという少女である。
年は若いが、子どものころからお屋敷に仕えている古株で、メイド長のような立場にある人物だ。
実質的な屋敷の責任者である執事ブランドからも、信任されている。
上司の登場に、私たちは姿勢を正すとすぐさま頭を下げる。
すると彼女は戸惑ったように顔の前で手を振った。
「あはは、そんなにかしこまらないでください! 同じくらいの年なんですから!」
「そういうわけには。先輩なんですし」
「そうですよ、メイド長!」
「私ってそういうの苦手なんですけどね……。ところで、お掃除は進んでますか? これだけ広いと、大変でしょう?」
「はい、何とか……」
修理した窓の方をチラチラと伺いながら、うなずく。
シャルロッテの修理はほぼ完ぺき。
壊れたことがわかるような痕跡は、ほとんど残されてはいない。
大丈夫……のはずだ。
だがしかし、ロゼッタさんはそんな私たちの心の内を見透かしたように、窓を注視しはじめる。
「この窓、何かしました?」
「べ、べつに! 何もしてません!」
「そうですか。ならいいんですけどね」
そういうと、ロゼッタさんはそのまま立ち去って行った。
どうにか誤魔化しきれた。
私とシャルロッテは互いに顔を見合わせると、ゆっくり胸を抑える。
心臓の鼓動は、未だに速かった。
「……生きた心地がしなかったわ」
「なんでばれそうになったのかしら。見たところ、おかしなところはないけど……」
「よーく見れば、窓に星錬術独特の痕跡が残っているには残っているわ。でもこんなの、一般人には分からないはずなんだけどね」
窓の端を指で触りながら、つぶやくシャルロッテ。
その部分だけ、わずかにだが景色がゆがんで見えた。
星錬術で形質変化させたときに発生する、わずかな物質構造の乱れである。
星錬術を学んだ人間が見ればすぐに分かるが、一般人ならばまず気づかない程度のものだ。
メイドのロゼッタさんが発見したとは、到底思いがたい。
「もしかして、ガラスの欠片が床に残ってたんじゃないの?」
「そんなことないわよ! 私の星錬術の腕を疑うの?」
「そうじゃないけど、あれだけ慌ててたしねえ……」
あれだけたくさんの欠片が散らばったのだから、取り残しがあったとしても不思議ではない。
ロゼッタさんはああ見えても、メイドとして十年以上働いている。
床に散らばった小さな異物に、私たちより早く気が付いたとしても当然だろう。
まして、ガラスの欠片のような危険物ならば見逃すはずもない。
「とにかく、掃除しましょ。欠片が残ってたら危ないし」
「……それもそうね。完璧にやったはずなんだけど」
イマイチ納得がいかないとばかりに顔をしかめつつも、掃除を始めるシャルロッテ。
こうして私たちは、日が暮れるまで掃除に明け暮れたのだった――。
「昼のうちはぜんっぜん調査できなかったわね」
「仕方ないわよ、忙しかったんだし」
その日の夜。
仕事を終えた私とシャルロッテは、声を潜めながら屋敷の中を歩いていた。
昼間は大した活動が出来なかったので、夜にと言うわけである。
警備の者に気づかれないように注意を払いつつ、博士が死亡していたという書斎へと向かう。
食事の席で、同僚のメイドたちからその場所については聞いていた。
「ここね」
「ええ。当時は、この近くにメイドやブランドさんの部屋もあったらしいわ。今は引っ越したそうだけど」
書斎への入り口は、建物の西側のやや奥まった場所に存在していた。
中にある貴重な蔵書を守るためか、ドアは小さくて分厚く、さらに頑丈なオーク材で出来ていた。
それでいて、内部に湿気がこもることを嫌ったのか、下にはごく小さな隙間が通気口代りに設けられている。
「事件当日は、このドアに内側から閂が掛けられていたらしいわ」
「人が入れそうな場所はまったくないわね」
試しに、ドアの下の隙間から手を差し入れてみた。
だが、軽く指が入る程度で、ここから何かが出来るとはおよそ思えない。
関節を外せるような超人が居たとしても、絶対に無理だろう。
「もし、ここから銃口を入れて中を撃ったとしても……床の近くに穴が開くだけね」
「博士は頭を撃ち抜かれた状態で床に座り込んでいたそうよ。そのやり方じゃ、どう考えても無理だわ」
「うーん……。とりあえず、中に入ってみましょうか」
「そうね」
ノブに手をかけると、ゆっくりとドアを押し開く。
飴色のドアは軽い軋みをあげながら、重々しく開いていった。
埃っぽい空気が吹き出し、目の前に闇が広がる。
どこかひんやりとした、地下のような気配がした。
「うわ、真っ暗ね」
「電気式の灯りがあるわ」
スイッチを押すと、天井に据え付けられた白熱電球が光り出す。
淡い橙色をした輝きに、たちまち部屋全体が照らし出された。
壁全体を埋め尽くす本棚が、目の前に姿を現す。
数千冊にも及ぶ専門書の壁、山!
軽い圧迫感すら覚えるような光景だ。
「資料がぎっしり! 本棚の上まで積んであるじゃない!」
「シュタイナー博士は貴重書の蒐集家として有名だから。他にも、資料庫をいくつか持っているらしいわ」
「へえ……。私もいろいろと集めてるけど、さすがにここまでは無理ね」
心底感心したような顔をして、部屋全体を見渡すシャルロッテ。
本棚の上はおろか、中央に置かれた執務机の上にまで本が雑然と積まれている。
博士が蒐集家だということは前々から知っていたが、まさかこれほどとは。
集められた資料の膨大さに、しばし圧倒されてしまう。
「……えっと、博士が倒れていたのはどこだっけ?」
「メイドさんの話だと、あの大きな執務机の脇よ」
「脇って、手前側? それとも奥?」
「えっと、奥だったかしらね」
懐からメモを取り出すと、シャルロッテの質問に答える。
助手として、こういうことは私の役目だ。
「だとすると、すぐには見えない場所ってわけか」
「そうね、ちょうど死角に当たる場所かしら」
私たちの入ってきたドアは、部屋全体から見て右下の場所に存在する。
それに対して、博士が倒れていたのは左上。
間に大きな執務机があるので、仮に誰かが倒れていたとしても、すぐには分からない場所だ。
「こうやって見ると、結構距離があるわね。やっぱり、ドアの隙間から何らかの手段で銃を撃ったってのは現実的じゃないわ」
「うーん、だとすると蝶番を外したとか? それとも、糸とピンを使ったトリック?」
「ちょっと、頭を整理したいわ。もう一度、メイドたちから聞いた事件の概要をまとめて話してもらっていい?」
懐から特大サイズのキャンディーを取り出すと、ペロペロと舐めはじめたシャルロッテ。
うんうんと唸る彼女に、私は軽くうなずく。
「わかったわ。事件が起きたのはちょうど一年前――」
事件当日の夜。
シュタイナー家のメイドたちは、遅い夕食の片づけに追われていた。
博士の生活はその頃かなり乱れていて、午後九時近くに夕食をとることが多々あったらしい。
その片付けが終わり、メイドたちが一階の使用人部屋に戻ったのが午後十時ごろ。
彼女たちはすぐに風呂を済ませて眠ろうとしたのだが、そこで二階にある書斎から銃声のような音が聞こえた。
慌てて駆けつけたメイドの一人がドアを開けようとしたが、ビクともしない。
仕方なく人が集まるのを待って、数人がかりでドアを破ろうとしたところ、見回りに出ていたブランドさんが戻ってきた。
ブランドさんは内側から閂がかかっていることを確認すると、それを星錬術で破壊。
メイドたちを連れていざ中に入ってみると、書斎には本が散乱していて、頭を撃ち抜かれた博士が倒れていたというわけである。
「銃声が響いてから、メイドが駆け付けるまでおそらく一分もかかってないわね。複雑な仕掛けをするには時間が足りなさすぎるわ」
「星錬術は? やり方次第ではすぐにできるけど」
「痕跡が残るからバレバレよ。メイドたちも星錬術が使われた痕跡はなかったって言ってなかったっけ?」
「ああ、そういえばそうだったわね」
騎士たちが念入りに調べた結果、星錬術が使われた痕跡はブランドさんのものだけだったと、メイドの一人が語っていた。
そのほかにはドアにも床にも不審な点はなかったらしい。
星錬術でドアに細工をして閂を閉じるなんてことは、状況的に不可能だ。
「これは、なかなか難しいわね。やっぱり自殺かしら?」
「でも、そう言うには何かが引っ掛かるのよね。どこかが不自然と言うか……」
キャンディーをいったんしまうと、思い切り首をひねるシャルロッテ。
彼女は執務机に近づいていくと、そのまま我が物顔で腰を下ろしてしまった。
そして回転する椅子を左右に振りながら、ゆっくりと天井を仰ぐ。
「あー……どう考えたものか……」
「ちょっと、あんまり人の椅子に腰かけない方がいいわよ」
「いいじゃない、減るものじゃないんだし」
「そんなこと言ってると――」
――祟りでもあるかもしれないわよ。
そう言おうとしたところで、部屋のドアからカチャッと音が聞こえた。
刹那の戦慄。
私とシャルロッテはその場で凍り付いた。
噂をすれば影というが、まさか犯人がやってきたのか?
私たちは互いに顔を見合わせると、全速力で戦闘態勢を整える。
私はメスを、シャルロッテはアストロラーベをそれぞれ流れるような動きで構えた。
高まる緊張、吹き出す汗。
机から滑り落ちた本が、戦いの合図を告げるかのようにドンッと音を立てる。
そして――
「動かないで! 動いたら撃つ!」
「は、はいィ!?」
ドアの向こうから姿を現したのは、何ともおびえた表情をしたロゼッタさんだった――。




