第十一話 因縁との決別
ハバリアでの任期終了まで、あと一週間に迫った夜のこと。
その日は敵ゲリラへの大規模な掃討作戦が行われていたため、夜更け過ぎになっても砲撃の音はやむことがなかった。
夜の闇を砲火が照らし出し、爆音が遥かな空間を貫いて天幕を揺さぶる。
戦場は私たちの居た野戦病院からもほど近いオアシス都市で、家々の燃える紅炎がはっきりと見えた。
舞い上がる火の粉が夜空を焦がし、黒々とした煙が照らし出される光景は、今なお目に焼き付いている。
圧倒的な戦力を投入した我が帝国であったが、ゲリラの抵抗は激しく、兵士たちも多くの血を流した。
その日の野戦病院はまさに修羅場で、私は息つく暇もないほどにクルクルと動き回っていた。
すでに帰国命令は下っていたため、これが最後の大仕事。
患者への処置も、いつになく気合が入っていた。
そんな折だった。
一人の女性が、子どもを抱えて私たちの天幕へと飛び込んできた。
褐色の肌と黒い髪をした彼女は、一目見ただけでも分かる純系のハバリア人だった。
半死半生。
全身傷だらけの女性は、極度の疲労と出血でいつ死亡するかわからないほどの状態だった。
怪我を負った身体で夜の砂漠を超え、オアシス都市からここまで逃げ延びてきたようである。
砂と血にまみれた肌は、砂漠の惨劇を象徴するかのようで、実に衝撃的で鮮烈な印象だった。
――自身の怪我を治してもらうために、ここまでやってきたのだろうか。
彼女の様子を一目見た私は、とっさにそう思った。
敵の施設とはいえ、ここは病院。
飛び込めば何とかなるだろうと考えてやってきたのだろうと。
しかし、実際は少し違った。
女は自身の怪我ではなく、赤子の怪我を治してほしくて、歩いてきていた。
私たちが近づいていくと、彼女は実に哀しげな目をしながら腕を開き、胸の内に大事に抱えていた赤子を差し出したのだ。
見れば、弾丸が小さな体を貫いていた。
大人でも楽に殺せる鉛弾が、下腹部からお尻を貫き、赤子の肉体に風穴を開けている。
白い肌が裂けて、痛々しい赤色の皮膚がチロチロと見えていた。
生きていることが、まさに奇跡としか言いようがない。
医学では説明がつかない、何か大きな力が命を長らえさせているとしか思えないほどだった。
正直、野戦病院の設備と人員ではとても太刀打ちできるような状態ではない。
リンデンの大病院でも、手の施しようがないと言われることだろう。
しかし――私は、その子をどうしても生かしたいと思った。
科学の徒たる医者らしくない、実にスピリチュアルな精神に基づいた感情だった。
この奇跡を、どうにか留めたい。
生命の神秘に打ちひしがれ、ただ純粋にそう願った。
そのためならば、たとえ悪魔的な手段を弄しても後悔しないとさえ、その時の私は考えた。
いや、考えてしまった。
その結果として取った手段が、あの悍ましい――死体を用いての肉体再構成であった。
「ここやな」
ブレーキを踏み、モービルを静かに停止させたエリカがつぶやく。
リンデン大学の厳めしい正門と、その奥に聳える赤レンガの校舎が、はっきりと目に飛び込んできた。
キャンパスの象徴である一際高い中央塔の姿も見える。
ああ、なんと懐かしきわが母校!
卒業した当時から、時が止まったかのように変化がない。
懐かしさに思わず駆け出したいような衝動に駆られると同時に、これからのことを思って胸の底が深く沈んだ。
私はこの思い出が詰まった場所で恩師と再会し、語らねばならない。
自身がこころの奥へとしまい込んできた、もっとも忌まわしい出来事を。
正と負。
二つの激しい感情がぶつかり合い、胸の中が奇妙な虚無感にとらわれる。
嫌な息が口から漏れた。
「ありがとう、それじゃあ帰りは適当な馬車でもつかまえて戻るわ」
「迎えに来ないでええん? 今日は一日、暇やで?」
「お見舞いにでも出かけてあげたら? シャルロッテも、エリカに会いたがってると思うわよ」
「そらアカンわ。せーっかく変な下宿人が居なくてゆっくりしてるのに、わざわざ会いに行かなあかんのや」
とんでもないとばかりに顔を横に振ると、苦笑するエリカ。
彼女は後部座席に手を伸ばすと、何冊かの本を手にする。
それぞれかわいらしいしおりが挟んであって、シャルロッテが居ないうちに、一気に読み切ってしまうつもりのようだった。
どこか晴れ晴れとした彼女の瞳からは、日ごろの疲れがうかがえる。
不意にインテリアや家屋を破壊するような人間が家に居たら、大家として落ち着かないのも無理はないか……。
同居人の私ですら、嫌ではないのだけれど少し疲れているところはあるし。
「そう、じゃあ今日はごゆっくり。本、全部読めるといいわね」
「おう、またあとでなー。食事はちゃーんと手を抜かんと作っておくさかい!」
「ありがと、期待してる」
軽く手を振りながらモービルを降りる。
さて、いよいよここからが本番だ。
頬を軽くたたくと、気持ちを引き締める。
捜査の進展は、これから私がする話にかかっていると言っても過言ではなかった。
出来るだけ、最高の状態で臨まなければならない。
コートの襟を正すと、学生の列に混じるようにして門を潜り抜ける。
並木の道をしばらく進み、正面の入り口を通り過ぎて、凹型に広がる建物の右側へと向かう。
学生たちでにぎわう前庭の死角に当たる部分に、ひっそり隠れるようにしてある『研究棟入り口』と銘打たれたドア。
鋼鉄製のそれの脇に置かれた呼び鈴を、ゆっくりと鳴らす。
たちまち、つなぎを着た小間使いの男が細くドアを開いた。
「何の御用かね? ここは関係者以外お断りだよ。用があるなら、正面の受付を通してきてくれ」
「あー……。ウィスク教授はいらっしゃいますか? 直接、ここに来るようにと言われてきたのですが」
少し言葉を澱ませつつも、どうにか誤魔化す。
小間使いの男はなるほどとばかりにうなずくと、ドアを大きく開いてくれた。
さあ来い、とばかりに手を振って私を招く。
ウィスク教授の偏屈と変人ぶりは、今もさほど変わっていないらしい。
「失礼します」
「あんたも災難だねえ、あのウィスク先生に呼ばれるなんて」
「いえ、慣れてますから」
「それじゃ、そこで待っててくれ。先生を読んでくるから」
「はい。『ワトソンが来ました』とお伝えください」
入ってすぐの所に置かれた、粗末な造りのパイプ椅子。
学生を待たせるときに使うのであろうそれに、ゆっくりと腰を下ろす。
私の着席を確認した小間使いの男は、足音を響かせながら廊下の奥へと吸い込まれていった。
その酷い猫背が見えなくなったところで、足を伸ばして息をつく。
「いよいよ、ね」
こうして人心地ついたところで、微かに怒号のようなものが聞こえた。
小間使いの男は、無事に教授に会って用件を伝えたようだ。
やがて奥からテンポの速い足音が聞こえてきて、初老の男が姿を現す。
以前より白さを増したロマンスグレーの頭。
鋭利な印象の細面は皺が深まり、より険しい印象となっていた。
先の膨らんだ大きな鷲鼻。
落ちくぼんでいるが、炯炯とした光を放つ眼。
数年の時を経て、ウィスク教授はますます威圧的な雰囲気を帯びていた。
私は教授が到着する前に席を立ちあがると、出来うる限りの礼を尽くして頭を下げる。
「お久しぶりです」
「のこのこと現れおって、この大馬鹿者め」
「その大馬鹿者って台詞、もう何年振りですかね」
「三年にはなるだろう。付いてきなさい」
くるりと背を向けた教授の後に続いて、廊下を進んでいく。
突き当りを左に折れると、見慣れた研究室のドアが目に飛び込んできた。
数年前に私たちが作成した、「ウィスク研究室」というポップな看板が、無機質な扉に似合わない。
作成当時はおかしいと言っていた教授だが、まだ残していてくれたとは驚きだ。
ドアを開けると、たちまち本棚が両側から迫ってきた。
お堅いタイトルを冠した分厚い専門書の数々が、独特の威圧感のようなものを醸し出している。
さらにその奥には各種機材が雑多に並べられていて、まさに学術の要塞といった状態だ。
部屋の片隅に置かれたサイフォンだけが、唯一、癒しだろう。
「自分でコーヒーでも入れなさい。勝手は分かっているだろう?」
「機械が変わっていなければ」
「安心したまえ、私はあの古いタイプじゃなければダメなんだ」
「私も好きですよ、LCの70年式」
「相変わらず、食べ物の趣味だけは合うようだ」
そういうと、教授は奥から丸椅子を引っ張り出してきてくれた。
私は用意されたそれに腰を下ろすと、改めて教授と向き合う。
齢六十を超えた老教授は、一見して、穏やかな気配を纏っていた。
しかし、瞳の奥にはこちらを拒絶するような冷たい光が宿っている。
私の名前を呼ぼうとしないことも、彼の態度をはっきりとあらわしていた。
やや乱雑に着崩された白衣からは、親しみと同時にこちらを少し軽く見るような考えがにじみ出ている。
「それで、どうして来たんだね?」
「八つ裂きジャック事件の資料を、見せていただきたくて」
「そういうことか。近ごろ、君はいろいろとやっているようだからね。騎士庁の方から噂は耳にしているよ」
「では、私が資料を見たい理由はお分かりに?」
「ああ。しかしその前に、君は私に説明すべきことがあるだろう」
ついに来たか。
私は一拍の間を置くと、ゆっくりと口を開こうとする。
乾いた唇が、言葉を拒むように重かった。
「…………はい。ハバリアの件ですね」
「そうだ。この記事は、どこまで本当かね?」
そういうと、教授は胸ポケットからある雑誌の切り抜きを取り出した。
たちまち『恐怖の人体実験! 帝国軍の暗部!!』とおどろおどろしいフォントの大見出しが躍る。
少し目を通せば、ハバリアの内戦で私がしたことが十倍ほど大げさに脚色されて書かれていた。
あの夜、たまたま同じ野戦病院で治療を受けていた自称ジャーナリストの男が、私の行為に目ざとく目をつけて記事を作成したのである。
ハバリア人に対する残虐行為は、帝国内でも問題となっていた。
そこへきての、権威主義で民衆からの受けがあまりよろしくない帝国軍のセンセーショナルなゴシップ。
おまけに、被害者とされる人物は赤ん坊だ。
この記事が売れないはずがなかった。
おかげで私は…………このざまである。
「ほとんど根も葉もないことですが……赤子の治療のために、死体を使って肉体の再構成を行ったことは事実です」
「なぜだ」
教授は一言そういうと、頭を抱えた。
身に染みる長い沈黙。
心臓に針が刺さり、抜けなくなってしまったかのように気味の悪い感覚が襲ってくる。
教授の期待を最悪の形で裏切ってしまった。
いたたまれない気持ちになった私は、すぐにこの場から逃げ出したいような気持にかられる。
臆病風に吹かれた足が、微かに動く。
だがそれを、どうにかこうにか理性で押さえつけた。
動き出した右足を、左足で腫れてしまうほど踏みつけにする。
「あの赤子を救うには、もはやその手段しかなかったのです。彼の体は、もはや完全に治療不可能でした」
「だからといって、許されることではない! 死体を用いての肉体の再構成は、生命の再生に等しい神の所業なのだぞッ!! 君は、君は決してしてはならないことをした!」
「分かっています。ですが……ですが……ッ!」
うまく言葉を紡げない。
何と言えばいいのだろう、思考が混乱して舌が絡まってしまう。
おかげでいつになくたどたどしく、されど強い口調で私は言う。
「私は、自分の判断が、必ずしも間違っていたとは思いません」
「自己の正当化かね? くだらない」
「医者が、生命を救うために取りうる手段を取っただけです!」
「それを正当化と言うのだ。君が、死体を使って人間を拵えたことには変わりあるまい。それに取りうる手段と言ったが、学会は人体の作成を承認していなかったはずだが?」
その通りである。
現在の医学会は、占星医学による一部臓器の作成までは許容していても、人体まるごとの作成は認めていない。
ともすれば、人造人間の誕生につながりかねないからだ。
倫理的な観点からも、医者が最もしてはならないことの一つに含まれている。
これを実際に行った医者は……今のところ私一人だと聞いている。
「……ですが、帝国法は特に禁止しておりません。私自身も、緊急避難的にはやむを得ないと考えました」
「それで通ると思っているのかね?」
「では逆に……治療をしないというのは、医者として……いえ、人間としてどうなのです? 方法があるのに見捨てるんですかッ!?」
思わず、感情がこもって声が大きくなった。
その切実な叫びに、教授は押し黙った。
彼は椅子の背もたれに深く背中を預けると、天井を見ながら唸り始める。
潰されるような重苦しい沈黙が、私を襲った。
たまらず声を荒げてしまったがどう弁明すればいいのか。
いや、弁明や言い訳などと考えること自体があまり良くないのか。
頭の中を絶え間なく思考が流れていく。
やがて、教授はゆっくりと上体を起こした。
灰色の視線が、私の体を容赦なく貫く。
思わず身が小さくなった。
しかし、どうにかこうにか気を張って堪える。
精神的に負けたら、完全に終わりだ。
こうして私が改めて身構えると――笑った。
教授が、不意に顔をほころばせたのだ。
あまりに予想外のことに、目をぱちくりとさせてしまう。
「言うようになったではないか。君なら、責められるとすぐに謝ると思っていた」
「ここは……やはり、折れられませんから」
「ならば芯を強く持ちたまえ。あれだけのことをしたのだ、これからも責める者は絶えないだろう」
「……分かりました」
「私からはもう、言うことはない。君が正しいと思ったのならばそれでいいだろう。君はもう、すでに独立した立派な大人だ」
至極穏やかな口調でそう告げると、教授はいたずらっぽく眼元を歪めて見せた。
許してもらえた。
あの教授が、私がした行為を曲がりなりにも認めてくれた。
心の底に置かれていた重しが、スウッと取り払われたかのような気分だ。
全身の力が抜けて、筋肉が弛緩する。
小さく押し縮められていた身体が、自然と伸びた。
気持ちが軽くなり、柔らかな笑みがこぼれてくる。
「ありがとうございます、ウィスク教授」
「気にすることではない。私は、特に情けをかけたつもりなどはないからな。言い分次第では、すぐに叩き出すつもりだった。結果として、レディーを叩かずに済んで良かったよ」
「私をレディーと認めてくれるんですね?」
「さきほど、大人と言ったではないか」
教授は私の問いかけに苦笑すると、デスクの引き出しから資料の束を取り出した。
それをトントンと調えながら、不意につぶやく。
「最近、いろいろと忘れっぽくなってしまってな。重要な書類を出しっぱなしにして、どこかへやってしまうことが多いのだよ」
「それはまた……大変ですね」
「うむ。私は今から出かけるから一応、見ておいてくれたまえ。鍵の保管場所は知っているだろう?」
「はい、事務室に預けておけばいいんですよね?」
「ああ、そうだ。頼むぞ」
そういうと、教授は手にしていた資料をわざわざ私の目の前の棚に入れると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
相変わらず、厳格さの中にも茶目っ気のある人だ。
私は書類に軽く頭を下げて十字を切ると、ありがたく受け取らせてもらうことにする。
部屋全体を一瞥して誰も見ていないことを確認すると、そそくさと書類をカバンへとしまい込んだ。
「よし! 待ってて、シャルロッテ……!」
こうして資料を入手した私は、脇目もふらずにすぐさま事務所へと戻ったのだった――。




