第十話 彼女が探偵になった理由
無事に十部を突破!
物語も序盤から中盤へと移り変わっていきます。
「シェリー! 危ないッ!!!!」
いきなり上半身を起こしたシャルロッテは、鼓膜が破れるかと思うほどの雄叫びを上げた。
彼女の血圧を測っていた私は、耳元で響いた大音響に、たまらず椅子から転げ落ちる。
倒れた丸椅子が、半円を描くようにして床を転がった。
見舞いに持ち込まれた林檎がカゴから落ちて、白いシーツに音を立てて埋まる。
静寂を打ち破る不埒な騒音の連続。
すぐさま病室の扉が開いて、小柄で年嵩の医者が顔を覗かせた。
彼は散らかった部屋の様子を見ると、掛けていたメガネを嫌味っぽく光らせる。
「な、何ですか! この騒ぎは!?」
「すいません。患者が急に意識を取り戻しまして」
「おお! それは良かった! しかし、騒がしいのはいかんですな。静粛に!」
「は、はい。分かっています」
「ならば結構。今後とも他の患者に迷惑にならないよう、お願いしますぞ」
低い声で念押しすると、医師はそのまま扉を閉じて立ち去って行った。
やれやれ、どうにか小うるさい説教は避けられた。
私は胸をなでおろすと、きょとんと口を半開きにしているシャルロッテの方を向く。
「今のは……何? というか、私はどこにいるのよ?」
「病院よ。あなた、あれから二日も意識を失ってたわ」
目を丸くすると、シャルロッテは周囲を一瞥した。
南向きで日当たりのいい窓、白を基調としたコンクリートの壁、戸棚の上に置かれた果物の山を、順繰りに見渡す。
やがて視線を私に戻した彼女は、目をぱちくりとさせながら抗議するかのように叫ぶ。
「い、いったい何があったのよッ! ジャックは、ジャックはどうしたの!?」
「静かに。またあの院長がやってくるわよ」
「ふごッ!?」
シャルロッテの口に手を当てて、慌てて制する。
口に人差し指を押し当てると、顔を近づけてシーッと息を出した。
院長に再度絡まれると厄介なので、いささか表情に凄みを効かせる。
するとさしものシャルロッテも、私の迫力に押されたのか、無言で首を縦に振った。
これでよし。
ひとまず安心した私は、ほっと胸をなでおろすと口から手を離す。
「……ふう! それで、どういうわけ?」
「あなたがナイフで刺されてすぐ、騎士が来たのよ。あのレストレードって女が先陣を切ってね。おかげで、私も助かったわ……」
あの時のことを思い出すと、今でも背筋が震える。
本当に、危ないところだった。
駆けつけてきたレストレードには、感謝してもしきれない。
だがシャルロッテの方は、私の言葉に不機嫌な感情をあらわにする。
「レストレードですって? まさか、ジャックが逮捕されたなんてことはないでしょうね!?」
「それはないわ。あいつ、形勢が悪くなるとみるとすぐに運河へ逃げ込んだから」
「そう、よかったわ。あの女においしいところを持っていかれるなんて、たまんないからね!」
「ちょっと失礼よ。せっかく助けてもらったんだし」
「ああ、そうか。そこはまあ、ちゃんと感謝しておかないとねえ……。あとで、手紙でも出しておこうかしら」
ポンッと手を叩くと、苦笑しながら頭を掻くシャルロッテ。
無意識から出た発言なのだろうが、なかなかにいい性格をしている。
探偵と言う職業の性なのかもしれないが、これはこれで困ったものだ。
いつか自分から事件を起こすような真似をしないといいのだけれど。
病み上がりだというのに、悪い意味でいつもと変わらないシャルロッテに呆れた私は、大きな溜息をつく。
「それで、私が寝ていた間に捜査の進展は?」
「第六の事件について、騎士庁が捜査を進めてるわ。けど、今のところ特に大きな収穫はないみたいね」
「被害者は例によって娼婦?」
「ええ。ブロンドのすっごい美人さん」
「なるほどね。事件が起きた場所は?」
「ハイス街の裏路地よ。私たちがジャックと遭遇した場所から、東へ十分ぐらい歩いたところ」
私がそういうと、シャルロッテはうんうんと深く頷いた。
彼女は差し入れの林檎をかじると、ゆっくり息を吐く。
自然と、指先が顎に伸びた。
考え事をする時、顎を抑えるのは彼女のいつもの癖だ。
「そうそう、レストレードさんから伝言があったわよ」
「あいつから? いったいどんな?」
「『もう二度と馬鹿をするな、あの時みたいに後悔しても知らないぞ』ですって。事件は自分たち騎士がしっかり責任を持って解決するからって」
シャルロッテの顔が、にわかに赤くなった。
彼女は頬を膨らませると、憤懣やる瀬なしと言った様子で拳を振り下ろす。
ベッドが軋み、スプリングが震えた。
「あいつ……! また私を下に見てッ!」
「対抗心むき出しね?」
「当たり前よ! あの女、ちょっと家柄が良くて美人で頭がいいからって調子に乗っちゃって――悔しいったらありゃしないわッ!! ああ、もうむかつく!」
「でも……」
怒りに燃えるシャルロッテの言葉を、不意に遮る。
彼女はにわかに動きを止めると、いぶかしげな眼でこちらを見た。
への字に曲げられた眉から、強い疑念がうかがえる。。
「でも、何?」
「騎士庁がしっかりやってくれるなら、それでもいいかなって」
「…………え?」
シャルロッテの動きが止まった。
彼女は私の顔をゆっくりと見上げると、眦が裂けんばかりに眼を見開く。
澄んだ青の瞳が見る見るうちに驚愕の色を帯びていった。
やがて、重々しく開かれた口が、堰を切ったように動き始める。
「ど、どういうことよッ!?」
「だってシャルロッテ、あなた死にかけたのよ? もしあのとき、レストレードさんが来なかったら、私も多分死んでたわ。そこまでのリスクを冒して、ジャックを追う必要はあるの?」
「そりゃあ、有名になりたいし。ジャックを捕まえればたちまちヒーローよ?」
「……あなたらしくないわ。少し付き合って分かったけど、あなたって、何だかんだ言ってそこまで強烈な名誉欲とかはなさそうに見えるわよ?」
「わ、私だって少しは……ちやほやされたいわよ!」
「そのために、死のリスクまで冒すの?」
私の切り返しに、シャルロッテは言葉を詰まらせる。
頭の回転が速い彼女にしては、珍しいことだった。
それだけ、図星をつかれて痛いということなのだろう。
けれど、私はなおも追及の手を緩めない。
「……それにシャルロッテ、あなたはそもそも探偵なの? そろそろ、何者なのか教えて欲しいわ」
「な、何を言ってんのよ! 私が探偵じゃなかったら何だって言うのよ!」
「私が来てからずっと、依頼を受けてないのに? ジャックの捜査だって、別に誰かに頼まれてるとかそういうわけじゃないわよね?」
さらなる追求に、シャルロッテは半端に誤魔化すことをあきらめた。
彼女は大きく肩を落とすと、深いため息をつく。
「……言えないわ」
「まだ、私を信頼できないの?」
「そんなことないッ! でも、本当のことを言ったらあなた……私のことを嫌いになるから」
シャルロッテは酷く寂しげな顔をすると、小さな声でつぶやいた。
見ているだけで、心が寒くなってしまうような寂寥とした様子だ。
窓からの日差しに照らされた横顔は、陰影が強調されて何とも物悲しい。
瞳に映る影の昏さに、視線が引きずり込まれた。
「それを言ったら、私だって人には言いたくないようなことをしてるわ。安心して、嫌いになったりしない」
「……知ってるわ。でも、私のやったことはあなたのやったことの非じゃない。この世界で一番、やってはいけないことをした」
「…………まさか、殺し?」
恐る恐る尋ねると、シャルロッテは力なく首を横に振った。
さすがに、そこまではしていなかったか。
私がほっとした表情を浮かべると、彼女は分かってないなとばかりに肩をすくめる。
やつれたように見えるその顔は、自嘲するかのように笑っていた。
「殺しはね、あくまで人がやってはいけないって定めたことよ。場合によっては許されることだってある。戦争とかね。けど、私がやったことは『星がやってはいけないことって定めたこと』よ。いかなる場合でも許されない。もしかしたら、殺しよりも酷いかもしれないわ」
「あなた、まさか……」
シャルロッテの言葉に、私はピンとくるものがあった。
星が定めたやってはいけないことと言えば、あれしかない。
そうだとすれば、確かにシャルロッテが大げさに自嘲するのもよく分かる。
星が定めた世界の運命を逸脱しようとする、この世で最も行ってはならない禁忌。
『運命則』を犯したとするならば、どれほど悔いてもおかしくはない。
私が押し黙ると、シャルロッテもまた沈黙した。
居心地の悪い時間が、澱んだ大河のようにゆっくりと流れる。
一定のリズムを刻んでいるはずの時計。
その音が、嫌に間延びして聞こえた。
やがて沈黙に堪えかねた私は、おもむろに唇を開く。
「見たのね?」
「ええ。未来を見たわ」
「どうして! なんでそんなことしたのよ!」
――未来を予知してはならない。
――この禁を犯そうとしたものは、紅の涙を浮かべ、星に懺悔するであろう。
――希望は知れず、絶望のみを知ったがゆえに。
幼いころ、母から聞かされた詩の一節を思い出す。
未来を予知することは、この世界で最も恐れられている禁忌だ。
何人たりとも侵してはならない、神の領域。
そんなことぐらい、聡明なシャルロッテならば当然知っているはずだ。
私が睨みつけると、シャルロッテは顔を下に向けた。
青い瞳が潤み始める。
白い頬に、次第に赤みが差していった。
「子どもの頃にね、ちょっとした不注意で母さんを死なせたの。もしあの時、未来の出来事が少しでもわかっていたら……そう思わずにはいられなかった。だからそれ以降かしらね、私はどんどん星錬術にのめりこんでいった。未来を見るために」
「……誰か、止めてくれなかったの?」
「幼馴染のクラリカは、本気で私を心配してくれていたわ。でも、当時の私は聞く耳を持たなかった。一人でドンドン前のめりになって、周りが見えてなかったのよ」
自嘲的な口調で、滔々と語るシャルロッテ。
私は歯がゆさで唇を軽く噛みながらも、その話に聞き入らずにはいられない。
「星錬術の鍛錬をつづけた私は、星銀の黄昏に入ったわ。そして二年前、とうとう教会から指令が下ったの。ハバリア内戦の勝敗を占えってね」
「それで占ったってわけね」
「そうよ、でももちろん失敗したわ。代わりに見せられたのは、最悪の未来。絶対に口に出したくないぐらいのね……」
「私にも、言えない?」
「ええ。今のあなたにも……それだけは言いたくない」
シャルロッテは布団を抱き寄せると、震え始めた。
いつになく弱弱しいその様子は、雷に怯える子供のようだった。
蒼白な顔から、彼女が心の奥底で感じているであろう恐怖が、こちらに伝わってくる。
仄暗い瞳は深淵そのもののように見えた。
「シャルロッテ……」
彼女の脇に立つと、そのまま細い体を抱きしめた。
一瞬、動揺を見せたシャルロッテであったが、すぐに胸へと顔を埋める。
今まで我慢していたのだろう。
目から次々と大粒の涙が零れ落ちた。
私は彼女の背中を軽くさすってやると、出来るだけ優しく微笑みかける。
「安心して、私はあなたを嫌いになったりしない」
「本当に? こんな、星錬術師として最低のことをした人間なのに?」
「星錬術師としては最低かもしれないけど、人間としては最低じゃないと思うわ。だから、ね?」
「嘘じゃない?」
何度となく確かめてくるシャルロッテに、私も何度となくうなずきを返した。
ウソ偽りのない、素直な気持ちである。
一人の人間として、彼女のことを嫌いになることはできなかった。
むしろ、彼女の気持ちに共感できるような部分も強かった。
もし私が同じ立場だったら、似たようなことをしたかもしれない。
やがて疑問の言葉も尽き果てたのか、少し落ち着いた様子を見せたシャルロッテは、布団の端で涙を拭い去る。
そして、何もかも出し切ったような気持ちのいい笑みを浮かべた。
全力を出し尽くしたスポーツ選手のようである。
「……ありがと、少しだけど気が楽になったわ」
「友達として、それは何よりよ。……それで、そのこととジャックとどう結びつくの?」
「ジャックは……というか、この事件は私の未来のカギを握っているの」
「どういうこと?」
「星に見せられる未来っていうのはね、一つの連続した映像じゃない。複数のビジョンが、断続的にバラバラになって映し出されるのよ。その一つに、八つ裂きにされた人間と言うのがあった。きっと今回のジャックの事件は、今後の未来に大きく関わるはずよ」
「なるほど……。ジャック事件を解決すれば、運命が変わるかもしれないってことなのね」
「そういうこと。未来は可能性にしか過ぎないからね」
にわかには信じがたい話だ。
しかし、シャルロッテが嘘をついているようには見えなかった。
彼女のどこか吹っ切れたような瞳はとてもまっすぐで、一切の曇りがない。
嘘つきのできる目では、まったくなかった。
それに、もし彼女が自身の最悪の未来を回避するために動いているとするならば、これまでの必死さにも辻褄が合う。
どんな未来を星に見せられたのかは知らないが――内容次第では命を懸けてもまったくおかしくはない。
星が見せる未来はとてつもなく凄惨で、見ただけで発狂する者がいるほどだと聞く。
「もしかして、探偵を始めたのも運命を変えるため?」
「そう。未来を予知したあと、私は何もかもを捨てて己を変えた。事故で死亡したことにして、葬式までだしたわ。まさか、自分で自分の保険金をもらうことになるとは思わなかった」
「……あなたの生活資金はそれね?」
「ええ、星銀の黄昏に所属する星錬術師って、すっごい額の保険に入ってたから」
いつもの調子を取り戻しつつあるのか、悪戯っぽく笑うシャルロッテ。
なかなかどうして、抜け目のないやり手である。
本来的にはかなり悪いことなのだろうが、これまでの流れからして、怒る気にはなれなかった。
最悪の未来とやらを変えるには、軍資金が必要なのだろう。
それに彼女が己の欲のためだけに悪事をする人間ではないことを、良く知っていた。
「シャルロッテっていう人間は、保険を受け取るときに一から戸籍をでっちあげたものよ。私の本当の名前は――」
「言わなくていい」
シャルロッテの独白を、素早く遮る。
これ以上は聞こうと思わなかったし、聞きたくもなかった。
私と彼女の関係が、崩れてしまうような気がしたから。
私にとって、彼女は『シャルロッテ』でしかない。
「勝手に、違う誰かにならないで。私はあくまでシャルロッテホームズの助手よ。それ以外の誰かに雇われたつもりはないし、今後も雇われるつもりはないわ」
きっぱりした口調でそういうと、シャルロッテは「それもそうね」とうなずいた。
彼女の顔に、朗らかな笑みが浮かぶ。
瞳に、溌剌とした生気が戻って来ていた。
全身から力が溢れ、自然と覇気が放たれる。
いつもの――いや、これまでとは少し違う、自信と誇りを取り戻したシャルロッテだった。
凛とした気配が、離れていても伝わってくる。
「私は星錬探偵シャルロッテホームズ! そうね、そうだったわッ!」
「そう、その意気よ」
「よし、改めて認識したところで仕事しますか! シェリー、さっそくだけど事件現場に向かうわよッ!」
拳を高々と突き上げると、その勢いでベッドから降りようとしたシャルロッテ。
だが、病み上がりの体がそうそう元気よく動くはずもなかった。
うまく立ち上がれなかった彼女は、その場ですっ転んでマットレスに後頭部をぶつける。
床に落ちた小さなお尻が、ドスンッと鈍い音を出した。
すぐさま廊下から足音が聞こえてきて、ドアが乱暴に開かれる。
「こらァッ! また騒ぎおって!」
「す、すいませんッ!!」
二人揃って、ぺこぺこと頭を下げる。
こういう時は、先手を打って可能な範囲で謝れるだけ謝ってしまうのが一番楽な方法だ。
さしもの院長も、平謝りする少女をあまり怒鳴るのは気が引けたのか「今後は気を付けたまえ」と言うとすぐに去って行った。
私は近くの壁にもたれかかると、あきれた目でシャルロッテを見る。
「まったく、まだあなたは本調子じゃないんだからね?」
「あはは、ごめんごめん。病み上がりだったわ」
「でも、一刻も早くジャックは捕まえないとね。こうなった以上、早めに動かないと」
「もしかしてこの身体、占星医学で今すぐなんとかしてくれるの!?」
痛む背中をさすりながら、期待に目を輝かせるシャルロッテ。
そんなことが出来るならすぐにそうしているだろうに。
頭が良いんだか、悪いんだか。
額に指を押し当てる。
「はあ、それは無理よ。代わりに、私が調査を進めておくわ。こうなったら、最後の手段を使う」
「良い手があるの?」
「ホントは、使うつもりなんてなかったんだけどね。けど、シャルロッテの事情を知ったら……力になってあげたいと思って。それに、私もそろそろ過去と向き合わなきゃいけないし」
「……えっと、なにするの?」
発言の意図を掴みかねたのか、少々戸惑った顔をするシャルロッテ。
声のイントネーションが、若干だがずれてしまっていた。
間の抜けた音に私は思わず苦笑すると、笑いながら言う。
「会いに行くのよ、大学時代の恩師にね。占星医学の権威として、騎士庁から直接意見を求められたりしてるそうだから。資料とかいろいろ持っているはずよ。もっとも――」
唾をのんだ。
渇いた唇を軽く噛んで湿らせると、ゆっくりと開きなおす。
「ハバリアで人体実験をしたと言われて以降、一度も顔を合わせていないのだけどね」
私の密かな決意を込めた声が、病室に響いた――。
ここでようやく、タイトルと中身がつながりました!
星占いって何なのかと思っていた読者のみなさん、お待たせです。
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