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第九話 探偵VS殺人鬼

 ジャックを追いかけ、勢いよく駆け出した私たち。

 運河に沿って、黒いマントの影にどこまでも食らいついていく。

 霧に沈んだ物寂しい道に、テンポの速い足音とジャックを呼び止める叫びが響き渡った。

 煉瓦の街に、甲高い声が無数に反響する。


「止まんなさいッ!!」


 全速力で疾走しながら、まずはシャルロッテが星錬術で仕掛けた。

 鮮烈なチェレンコフ光が、霧の夜を青白く染め上げる。

 地面に叩きつけられたアストロラーベから、星光陣が広がった。

 それと同時にいきなり地面が波打ち、津波よろしくジャックの方へと押し寄せていく。

 固いはずの石畳がうねるようにアーチを描き、それが瞬く間に伝播していった。


「鉄筋をうまく!」


 やがて脈打つ石畳の隙間から、黒く細い線のようなものが飛び出してきた。

 道路工事の時、補強用に入れてあった鉄筋である。

 シャルロッテの惑星属性は火星。

 鉄との相性は抜群に良かった。

 それを上手く利用して、炎が使いづらい状況でも、どうにかジャックを捕まえるつもりらしい。


 地面から飛び出した数本の鉄筋は、一気にスピードを上げるとジャックを追い抜かした。

 そして絡み合って網の目のような形へと変化すると、ジャックを拘束すべく、一気に彼の頭上へと降り注ぐ。


 ――やったか?


 超広範囲、三百六十度。

 間違いなく避けられない一撃に、私とシャルロッテは息をのんだ。

 しかしその直後、ジャックは懐からアストロラーベを取り出すと、恐るべき早業で術式を発動する。

 パラパラッと渇いた金属音が響いた直後、青い星光陣が浮かび上がる。

 息つく暇もない早業。

 シャルロッテにも負けない、神業的な術式展開だ。

 人物はともあれ、ジャックもまた凄腕の星錬術師なのは間違いないらしい。


 地面に薄く溜まっていた水が集い、数本の鞭となる。

 蛇が鎌首をもたげるようにして伸びたそれらは、瞬く間にして鉄の網を切り裂いた。

 風を切る低い音が刹那に響く。

 切断された鉄は力を失い、そのまま落ちていった。

 カランカランッと大きな音がする。


「ちッ! あいつ、水星の星錬術師みたいね! 相性最悪だわ!」


 口元を歪め、焦った顔をするシャルロッテ。

 今の流体操作は間違いなく水星の星錬術師とみていいだろう。

 液体を自由自在に操るのは、連中の専売特許だ。


「それなら――!」


 星光陣を描いた手帳のページを一枚ちぎると、空高く放り投げた。

 続いて、手首のスナップを効かせてメスを放つ。

 緩やかな曲線を描き出した銀の刃は、吸い込まれるように先ほど投げた紙の中心を穿った。

 宙に咲く星光陣。

 青白い光がスパークし、メスが強烈な電荷を帯びる。

 空気が弾けて、重い爆発音が響いた。


 ――雷の星錬術。

 今のところ、私が唯一、扱うことができる星錬術だ。

 もともとは心肺蘇生を行うために修得したものだが、戦闘用にも重宝している。

 軍医時代から使い続けているため、威力にはそれなりの自信があった。

 自然の落雷にはまだまだ及ばないが、人間一人ならば確実に倒せるはずだ。


 青い光を散らせながら、メスは正確無比な軌道を描いてジャックへと飛んだ。

 白銀の閃きが、黒マントを切り裂かんと迫る。

 鍛えられた鋼の刃が殺人鬼の背中の中心を捉えた。

 

 ――今度こそ!


 命中を確信した私は、軽く眼元を歪めた。

 さすがのジャックも今からでは何もできまい。

 そう思った私がダメ押しとばかりに二本目のメスを番えると、いきなり眼前が白くなった。

 ジャックの体の表面を、雷がほとばしったのだ。

 しかし、奴は倒れない。

 なおも走り、速度を緩めることなく逃亡を続ける。

 何事も起こらなかったかのように。


「ぬッ!?」


 予想外の展開に、思わず変な声が漏れた。

 しかし、よくよく見れば原因は明らかだった。

 水だ。

 ジャックの体の表面を、薄い水の膜が覆っていたのである。

 膜は足元から地面へとつながっており、アースの役割を果たしたらしい。

 先ほどシャルロッテの攻撃を防いだ際に、私たちに気づかれないようこっそりと作成していたようだ。


「やるわね……!」

「逆に好都合よ!」


 シャルロッテはしめたという顔をすると、アストロラーベを手早く操作した。

 竜頭が小気味の良い音を鳴らす。

 星光陣がうごめき、青光が再び夜の街を照らし出す。

 綾なす星の光がジャックへと伸び、黒い背中を捉えた。

 

 刹那、炸裂する白光。

 爆音が耳を貫き、脳天を揺さぶる。

 熱が頬を伝い、爆風が身体を押した。

 あまりの爆発に、私は思わず顔を腕で覆ってしまう。

 周囲の雨粒がまとめて吹き飛ばされ、怒涛を思わせる勢いで襲い掛かってきた。

 家の一軒ぐらいなら、粉々に出来そうな威力だ。


「いきなり、水素爆発なんて……!」


 水に大電流を流せば、分解されて水素と酸素になる。

 水の防壁に膨大な電荷を帯びたメスを打ち込めば、当然のようにその二つが大量発生したことだろう。

 そのことに気づいたシャルロッテは、それらをうまく利用して大爆発を起こしたというわけだ。

 ごくごく基本的なことだが、あの状況で迷うことなく行えたのはさすがだろう。

 普通の人間ならば、爆発への恐怖が先に立ってしまう。


「よし、仕留めたわ!」

「……こりゃ、欠片も残ってないかも」

「まあ、仕方ないわ。逃げられるよりはずっとマシよ」


 煤けた石畳を見ながら、シャルロッテはやれやれとため息をついた。

 さすがに、水素爆発まで利用したのは過剰だったと自覚があるようだ。

 道の舗装は大きくはがれて、ちょっとした窪地が出来ている。

 近くの工場の窓が、派手に割れていた。

 爆発をまともに受けたジャックは――おそらく、死亡したに違いない。


 しかしまあ、状況が状況であるし、凶悪極まりない連続殺人鬼が相手だ。

 このことが原因で、私たちが罪に問われるようなことはないだろう。

 それどころか、やりすぎたことを差し引いても表彰ものの活躍をしたと言っていい。

 ヒーローにあこがれるシャルロッテの夢も、きっとかなうはずだ。


「とにかく、これで一件落着ね」

「ええ、やったわ! これで私も――ふふ! インタビューの原稿を考えなきゃ!」

「気が早いわねえ……。あんまり準備すると、かえって恥をかく気がするわよ?」

「いいの! せっかくの機会なんだしさ」


 心地よい疲労感を味わいながら、私たちは爆発の中心へと歩み寄った。

 そこから周囲を眺めるが、ジャックらしき人影は見当たらない。

 まさか、あまりの爆発力に身体が木っ端微塵になってしまったのだろうか。

 それにしても、黒焦げになった肉片すらないのは、異常に思えた。


「あら……。ジャックの身体が見当たらないわね」

「変だわ。いくらあれだけの爆発でも、骨格ぐらいは残るはずよ」

「まさか、逃げたっていうの?」

「もしかして、運河にでも飛び込んだのかしら?」


 そういうと、シャルロッテは運河へと身を乗り出した。

 私も彼女に続いて川面を覗き込むが、特に何も映らない。

 街灯の灯りが、黒い水に反射して煌めくばかりだった。

 見たところ水深はそれほど深くないし、人が潜っているなら確実に分かるだろう。

 ここへ逃げ込んだわけではなさそうだ。


「……いったいどこへ」

 

 再び近くの工場に逃げたにしては痕跡が見当たらないし、走り去ったにしても速すぎる。

 運河沿いの一本道。

 とっさに逃げ込めるような脇道などは、特になかった。


「あっと……!」


 考え込んでいると、思いがけず、大粒の雨が目に入ってしまった。

 街を包むようだった霧雨が、急に勢いを増してきたのだ。

 遠くの空が、にわかに光る。

 しばらくして、腹の底を揺さぶる雷鳴が轟いた。

 その音に景気づけられるかのように、雨脚はさらに強まっていく。

 私は肩をすくめてコートの襟を耳元まで上げると、身を小さくした。


「たまんないわね! こりゃ、いったん引き揚げた方がいいかも!」

「そうね! 急ぎましょ!」


 走り出そうとする私たち。

 その時、シャルロッテの背後から何かが飛んで来るのが見えた。

 槍だ。

 圧縮された水が、鋭利な槍となっている。

 雷光を反射した穂先が、青白くきらめいた。

 飛沫を散らせながら、槍がシャルロッテの背中へとみるみる伸びる。


「危ないッ!!」

「え?」


 突然のことに驚いてしまったのか、シャルロッテの反応は鈍かった。 

 ――このままじゃ避けられない!

 すぐさま飛び出して、彼女の上へと覆いかぶさる。

 私の腕が、細く華奢な肩を抱え込んだ。

 体が浮き上がる。

 そのまま二人で重なり合うようにして、石畳の上へとダイブした。

 露出された肌が石に擦れ、灼けつくように痛む。


 しかし、ほんの少し行動が遅かった。

 槍がシャルロッテの肩をかすめ、コートの肩が引き裂かれる。

 布切れが飛び、それに遅れて血があふれ出した。

 動脈が切れたようだ。

 鮮やかな緋色をした血が、夜をまだらに染め上げる。

 生命の花弁が舞い落ちるかのように。


「シャルロッテッ!!」

「ッ……! 油断したッ!」

「大丈夫!?」

「何とかね。さすがに平気ってわけじゃないけど」

「血を止めないと」

「ちッ! どうやらそんな暇、くれないみたいよ!」


 第二撃。

 水の槍が、雨に混じって降り注いでくる。

 傷の手当てもままならぬうちに、私たちは石畳の上を転がって逃げた。

 一回転、二回転。

 シャルロッテの肩が地面に当たるたび、道路にたまっていた水がほんのりと朱に染まる。

 太い動脈を切っているのか、出血は相当に多かった。

 ポタリ。

 また一滴、生命が零れ落ちる。

 

 早く手当てをしなければ、これは危ないかもしれない。

 医者としての経験が、さながら虫の知らせのように、静かに事態の切迫性を訴えてくる。

 心は狂おしいほど焦っているのに、頭は嫌に冷えている自分に嫌気がさした。

 今の私は、シャルロッテを「重体患者の一人として」見てしまっている。


「……逃げるわよ。早く病院に行かないと!」

「そうね。だけど、これじゃ……!」


 私たちを逃すまいと放たれる、絶え間ない攻撃。

 シャルロッテはそれをどうにか迎撃しようとするが、雨粒に混じってしまって軌道が非常に読みにくい。

 私も目を凝らしたが、どこからどのような軌道で放たれているのかほとんどわからなかった。

 これでは、ピンポイントで爆発させることぐらいしかできない炎の星錬術では、防ごうにも防ぎようがない。


 しかし一方で、狙いが定まっていた最初の一撃とは異なり、その後の攻撃は数を撃てば当たるとばかりにめちゃくちゃに撃っているように見える。

 私たちから、随分と離れたところに槍が落ちた。

 石の破片が飛ぶ。


「これ、ジャックは私たちの姿が見えてないんじゃない?」

「でも、こうも乱発されちゃ身動きが取れないわ! どこに居るのかさえわかれば……」

「お互いに見えない場所……うーん……」


 シャルロッテは顎に手を押し当てると、喉の奥で軽く唸った。

 やがて彼女は、ハッとしたように目を丸くする。


「そうよ、運河よ! あそこなら高低差があるから、近づかない限りお互いに見えないわ」

「運河はさっき見たじゃない! 居なかったわよ!」

「屈折率よ! あいつ、水の屈折率を変えて鏡の代わりにしたんだわ! だから見えなかった!」

「全反射ってわけね……! まったく、悪知恵が回るやつだわ!」


 星錬術は物質の構造を分子レベルで変化させることもできる。

 優れた水星の星錬術師ならば、水の屈折率を変えることぐらい容易だ。

 自身の周囲だけ屈折率を変化させれば、通常の水との境界線で光をすべて弾き返すことができる。

 そうなれば、上から覗き込んだだけでは発見することなどできない。


「ご名答」


 いつの間にか、ジャックが路上に舞い戻っていた。

 全身から水を滴らせながら、異様なほどゆったりとした速度で私たち二人に迫ってくる。

 全身ずぶ濡れという異常性からだろうか。

 先ほどまでよりも数段、気迫と狂気が増していた。


 ――この男は、もしかしたら本物の悪魔なのではないだろうか。


 ある種の畏怖が、心の底から沸き起こってくる。

 この怪物には何をしても無駄だというような、諦めまで湧いてきてしまった。

 だがそれを、どうにか振り払う。

 何とかしなければ。

 私はシャルロッテを――自分の大切な人を守って見せる!

 『今度こそ』は、絶対に!!


「改めて、お出ましってわけね……。決着、つけてやろうじゃない!」

「待って! この場は私が何とかするわ。シャルロッテ、立てる? 走れる?」

「何言ってんのよ! 私もここに残って戦うわ!」


 肩口を押えながらも、アストロラーベを弾くシャルロッテ。

 しかし、星光陣は上手く発動しなかった。

 ただでさえ環境は最悪に近いのに、無理に発動していたのだ。

 本人が負傷した今の状態では、上手く扱えるはずがない。

 私は両手を広げると、彼女の前に立っていく手をふさぐ。


「ダメなものはダメッ!! ここで見てて!」


 いつになく強い口調でそういうと、私は黙ってシャルロッテに背を向け、ジャックの方へと歩いて行った。

 私の星錬術では、奴を相手に決定打とはなりえない。

 ならば方法はひとつ、お互いに星錬術をつかえない近距離戦に持ち込むまで。

 メスを右手に構えると、大きく一息。

 息を整えて周囲の気配を伺う。

 神経が研ぎ澄まされ、感覚が凪いだ海面のように穏やかとなる。


「はァッ!!」


 姿勢を低くし、飛び出す。

 狙うは首、ただただ一か所のみ。

 マントと仮面の隙間、わずかに露出された素肌を目がけて、白銀の刃を閃かせる。

 白き一撃が、ジャックの肉体へと迫った。

 だがその瞬間――


「くッ!」


 ジャックの体がぶれた。

 重心を器用に移動させ、上半身をずらしたのだ。

 蜃気楼よろしく掻き消えた上体を、とっさに目で追いかけ、刃を向ける。

 だが、急のことで体勢にいささか無理が生じた。

 ぶれる腕。

 ジャックはそれを見逃さず、伸び切った右腕に強烈な一撃を加える。


「痛ッ!!」


 肘の内側を弾かれ、反射的にメスを手放してしまった。

 とっさに拾おうとするが、すぐに蹴飛ばされて遠くに飛ばされてしまった。

 私はすぐさまジャックを睨むと、そのまま徒手で挑もうとする。

 だがその手も、すぐに受け止められてしまった。

 白い手袋が私の腕をつかみ、ひねり上げる。

 男にしては病的なほど細い指をしていたが、上手く関節を捉えているらしく、振りほどくことができない。


 首筋にナイフが突きつけられた。

 鋼の冷えた輝きに、背筋が震える。

 死が己のすぐそばまで来ていることが、感覚的に理解できた。


「クッ……!」

「シェリー!!」


 シャルロッテは立ち上がると、脇目もふらずにこちらへと走り寄ってきた。

 自身の血が流れることも厭わず、ただひたすらにまっすぐ。

 出血で意識がかなり朦朧としているのだろう。

 時折ふらつくその様子は、見ているだけで胸が張り裂けそうなほど痛々しい。

 思わず、目頭が熱くなってしまう。


「いいのよ、いいの! 早く逃げて!」

「うっさい! 助手を助けるのは雇用主の勤めよ! …………うァッ!!!!」


 ジャックが、私に向けていたナイフを唐突に投げた。

 尖った刃は無慈悲な直線を描き出し、シャルロッテの胸元へと吸い込まれる。

 断末魔。

 胸を掻き毟りたくなるような、恐ろしい声が響き渡った。

 雨音がかき消され、絶叫だけがクリアに耳元へ届く。

 垂れ込めていた暗雲がにわかに勢いを増して、すぐ近くの屋根に雷が落ちた。

 私の心に湧いた衝動を、天が代弁したかのように。


「嫌……嫌ァッ!!」 


 どこから、これほどの力が湧いてきたのか。

 自分でも驚くほどの勢いでジャックの手を振りほどくと、シャルロッテの元へと駆け寄る。

 胸から流れ落ちる血が、薄闇の中にあってもなお鮮やかだった。


 ――まさか、死んでしまったのではないか。


 顔を真っ青にしつつも、すぐさま脈を図る。

 良かった! まだ息はある!

 ナイフはギリギリのところで心臓を外れたようだ。

 しかも、雨を防ぐためのコートがナイフの勢いを多少なりとも削いでくれたようで、傷もそれほど深くはない。

 傷の手当てをして輸血をすれば、まだまだ助けられる!


「シェ、シェリー……」

「しゃべらないで! いま、いま何とかするから!」

「無駄だ」


 振り向けば、そこにはナイフを振り上げたジャックが居た。

 避けられない。

 自分は逃げられるかもしれないが、良ければ確実にシャルロッテにとどめが刺される。

 動けない、いや、動かない。

 その場に残ることを選択した私は、身を震わせつつもシャルロッテに覆いかぶさる。

 万事休す、死神が首に鎌をかけた。

 背中が貫かれ、灼けつく痛みが襲ってくるのを覚悟する。


 ――私もとうとう、寿命か。 憎まれっ子なのに早く死んだものだ。


 腹をくくった私は、最後に笑みを浮かべた。

 どうせ、どんな表情をしていたって死ぬときは死ぬ。

 ならばせめて、笑って逝きたかった。


「もう、ダメ……」


 白刃が振り上げられた瞬間。

 極限状態に耐えかねた意識が闇に呑まれ、身体が倒れた――。


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