#12
【二〇〇三年九月】
ふと、ぼくの意識は、公園の滑り台の上に戻った。何だろう、何か思い出しごとをしているうちに、寝てしまっていたようだった。空はもうすっかり、星空となっていた。
ぼくは上体を起こし、胡坐をかく姿勢になって、滑り台の周りを見渡した。あれ、さっきナツキがいたような気がしたと思ったんだけど……あぁ、やっぱり先に帰ったのか。
「センパイっ、ようやく起きましたね!」
と、いきなり背後から抱き締められて、心臓が飛び出しそうな気がした。完全に死角となっていたにしても、傍にいるのに全く気配が無いとは。忍者か?
「なんだよ、お前……まさか、ずっとそこに?」
「ふふっ、センパイの寝顔、可愛かったですよ!」
やれやれ。ぼくは頭を掻いた。やっぱりこの子、変わってる。ぼくは、ナツキの手を振りほどこうとした。しかし、彼女はそれを拒み、ぎゅっと力を込め、ぼくの背中を抱いた。
「何? どうしたの? ちょっと、苦しいんだけど」
ぼくはそう抗議したが、ナツキはそれでも、離そうとはしなかった。くだらない悪ふざけなら、やめろよ。そう言おうとしたが、ぼくはそこに、何か少し真剣な空気が流れていることを感じた。
「センパイ、泣いてましたよ。夢を見ながら、また、泣いてましたよ」
ぎくっとした。マズイところを見られたと思った。
「わ、悪いか?」
照れ隠しにそう言った。けれど、ナツキはぼくの後ろで、ぶんぶんと首を横に振ったようだった。
「別に、悪くないです。泣いてください。泣きたいときは、泣けばいいんです」
ナツキにそう言われたのは、初めてな気がした。前にぼくが泣いていたとき、彼女は、泣かないでくださいと言った筈だった。
「どうして?」
思わずそう尋ねた。するとナツキは、こう答えた。
「私、最近初めて知ったんです。恥ずかしいことかもしれないけれど、こんな簡単なこと、初めて知ったんです。物は、壊れちゃうと、もう二度と元には戻らないんです。お茶碗とか、花瓶とか。人や、動物の命だってそう。だけど、傷ついた心は、壊れてもまた、修復できるんです。涙を流すことで、痛みは和らぐんです。もちろん、完全には癒せないかもしれない。けれど、泣いたら泣いた分だけ、痛みは引くんです。だから泣いたらいいと思います」
ぷっ。ぼくは、笑った。確かに、ぼくはそのとき笑った。何だか、カホちゃんが死んでから、初めて笑ったような気がした。
「あっ、何で笑うんですか!」
ナツキは抗議したが、仕方ない。彼女が真剣に話してる姿が、ぼくにはどうしても、可笑しくてたまらなかったのだ。
けれど、笑ったらまた、ぼくの目から涙がこぼれた。それは止め処なく、まるで滝のように溢れ出てきた。何を馬鹿なことを。ぼくは思った。冷静に考えてみたら、この状況は酷く恥ずかしいものだった。なんで高校生にもなる男子が、後輩の女の子に背中を抱かれて、涙しなきゃいけないのか。
しかし、ぼくはそうせざるを得なかった。カホちゃんは死んでしまった。もうぼくは二度と、カホちゃんみたいな人に会うことはないだろうし、カホちゃんみたいに人を好きになることも無いのだろう。この喪失感を、ぼくはもう、これから先の長い人生の中で、一度として埋めることはできないのだ。
ならばせめて、この心は取り戻さなければならなかった。少しでも傷が癒えるのなら、ぼくは、涙を流さなければならなかった。それこそが、ぼくにかかった呪いのようなものに対する、唯一の抗いであるように思えた。
ぼくたちは月明かりに照らされながら、夜の公園の滑り台の上で二人座っていた。そのとき、ふと、パサパサと、どこかで何かの羽音が聞こえたような気がした。蝙蝠。これから彼らも、夏というものに別れを告げ、冬眠の支度を始めるのだろうか。
この先には、長い長い冬が待っていた。寒く、厳しい冬が待っていた。けれどぼくは、その厳しさの中で、生きていこうと思った。
辛いときは涙を流し、生きていこう。ぼくはそう、覚悟を決めたのだった。




