42.ダメ人間
「惚れた女の治める街で飲む酒は~ 今日も涙の味がする~」
我が夫はダメ人間……もともとそういう傾向はあったが、本当にダメ人間になった。朝から晩までへべれけに飲んでは、自分で作った自虐的な歌を歌っている。そして泣いていた。
「兄貴はこうなると長いっスよ。バーラ姐さん、一か月くらい放っておいた方がいいよ」
マルタ様はそう言って、あまりわたしと夫の部屋に顔を出さなくなった。
ぶっきら棒な感じだが、これがマルタ様の気の遣い方なのだと最近になって分かるようになった。
「惚れも惚れたり二十年~ やっと出会えたその娘には~ 夫と子供がおりました~」
最初はおもしろがって夫と一緒に飲んでくれていた酒場の客の方々も、あまりにも陰気で破滅的な飲み方をする夫に愛想をつかしたようだ。それでも夫は独りで飲み続けた。
夫はお酒をもとから大好きだったが、こんな飲み方をするような人ではなかった。
最初の一日目は仕方がないかと思って、わたしも目をつむった。
それが今日でもう三日目だ。さすがに体が心配だ。
酒に逃げるとはこういうことを言うのだろう。お酒を楽しむというよりは、正気でいられないから正気を失うために飲んでいる。これでは体を壊してしまうだろう。
「旦那、別嬪の奥さんが来たよ。もう帰りな」
わたしが酒場に夫を迎えに行くと、三日目の晩にはもう酒場のおやじさんも、夫の体を心配して帰るのを勧めるほどになった。
酒場からホテルへの帰り道、道端で吐く夫の背中をさする。
夫の顔は吐いているからなのか泣いているからなのか、涙でぐしゃぐしゃだ。
「あなた、セシル様のことをエドガー様に聞くのではなかったの? セシル様の手がかりを知りたかったのでしょう」
わたしがそう言うと、夫は顔も上げずに言った。
「もうどうでも良くなっちゃったよ。もうどうでもいいよ。もう、俺なんて生きていてもどうしようもないよ」
わたしは何だか悲しくなった。
ソフィ様が自分を悪者にしてまで未練を断とうとしてくれたのに、夫はこの劇薬に耐えられなかったようだ。
わたしがいくら慰めても、励ましても夫には届かない。
やっぱりソフィ様でなくてはダメなのだ。
ソフィ様に頭を下げて、夫を慰めてもらおうか。いや、それでは余計に夫を傷つけるだけだ。わたしでは、夫の心に届くことは出来ない。
何も言わなくなったわたしに気づいたのか、夫がわたしの方を向く。
「……バーラ……泣いているの?」
おろおろした夫が、指でわたしの涙を拭こうとする。
「ねえ、わたしじゃダメなの?」
「……え?」
「ソフィ様を忘れろなんて言わないわ。でも、わたしはあなたの妻なのよ」
我が夫は悲しそうに笑う。
「バーラ、もう契約上の結婚なんてやめよう。もう死刑になったっていいよ」
わたしは思いっきり夫の頬をひっぱたいた。
「わたしはもし明日この世が滅びるとしても、その時はあなたの傍にいたいわ」
そう言って、わたしは夫の顔を強引に引き寄せて口づけをした。
わたしの憧れていたファーストキスは、甘いどころかお酒臭くて酸味のきいた味だった。




