37.敵襲
そこらじゅうの木を切り倒し、間に合わせの柵をいくつも組んで、敵が来た瞬間に逃げようと準備していた俺達に、本隊から伝令が来た。
「ミディアナ王国軍が撤退した。デーフィエンテ部隊は本隊に戻られよ」
信じられない思いだった。
あの木に書いたメッセージが効いたのか。
それにしても全軍を撤退させるとは、エドガーも思い切ったことをする。
ベルガリウム王国軍の本陣に戻ると戦勝気分になっていた。今回はもともとベルガリウムからミディアナ王国に仕掛けた戦争だ。ところがベルガリウムが負けに負け、このままでは逆にベルガリウムの王都まで攻め入られそうな状況だった。そのミディアナ王国軍が突然しっぽを巻いて本国に帰ってしまったのだ。
「あまりのことに我々も驚いています。これは噂なのですが、我が軍にあの軍神ルスラン様の右腕とも言われたハルバート卿がいたらしいのです。それを恐れたミディアナ王国軍が引き返したと兵達の間で噂されています。ミラン殿は最前線まで行かれたと聞きました。何かご存じありませんか」
戦勝祝いのタダ酒にありつこうとやって来た俺に、ペンタヌス伯爵はそう言ってワインをなみなみと注いでくれた。
「いや~、知りませんな。そのような高名な方が我が軍にいらっしゃるのであれば、一度お目にかかりたいものですな、あははは」
「え~、そう言えばハルバートってミランさんの苗字……」
俺はフレイヤの皿をひっくり返した。
「キャー! 何をするんですか! 大切なお肉が! 天罰です! 天罰が下りますよ!」
「ミラン殿の部隊の方々はいつも陽気ですな、ではこれにて」
そう言ってペンタヌス伯爵は他の小部隊の隊長のところに酒を注ぎに回っていた。気の利く人物だ。ああいう奴のいる軍隊は強い。敵に回すと厄介だなと俺は思った。
「おい、フレイヤ! おめえ気安く俺の名前をバラすんじゃねえ。ぶん殴るぞ!」
「天なる父よ、この女神に対して不敬極まりないクソ男を赦し給え」
「てめえ! 俺をクソ男って言ったな! 確かに俺はクソだ、クソ男だ。でもなんかお前に言われると腹が立つ、クソ女神め!」
「あ~! 今クソ女神って言った! 酷い、酷すぎます! いいですか、父に言いつけますよ!」
「お前は先生に言いつけようとする小学生か!」
「なにを騒いでいらっしゃるのですか」
ちょうど戻って来たバーラが呆れたように言う。バーラはマルタと一緒に軍の本部と交渉し、小部隊で山道を敵索した功績を認めさせたらしい。
「我が兵達に割り当てられた兵舎も、前より広いものになりましたわ」
ここでタダ酒飲んでクソ女神と言い争っている俺より、よっぽどバーラの方が隊長の仕事をしている。兵達が懐くわけだ。
「敵襲! 敵襲!」
突然敵の襲来を知らせる鐘が打ち鳴らされる。
しかも敵襲と叫ぶ声は軍の本部から聞こえる。俺は立ち上がって、バーラとフレイヤを守るように剣の柄に手をかけた。何かが来る。
そこに、本部の方から血だらけの若い女が抜身の剣を片手に持って走って来た。
俺は何か得体の知れないものを感じて、全身の毛が逆立つのを感じた。
血だらけの女が駆け抜けざまに、ちらと俺の方を見た。一瞬目が合った。
俺は驚きで固まった。
その女は……自信はないが……セシル様に似ていた。




