30.ミラン・ハルバート
夫は最近忙しそうだ。
ベルガリウムに行く援軍の隊長を引き受けたとかなんだかで、準備や訓練とせわしなく動き回っている。
このマディアから用意された部屋に戻って来ても、風呂から出てつまみを食べて酒を飲んだらすぐに寝てしまう。まるで会話のない夫婦のようだ。
風呂上がりの夫のために机の上に食事を並べ、ワインを注いであげながら思い切って切り出してみることにする。
「そろそろお話ししてくださっても、良いのではありませんこと?」
夫がぎくりとする心の音が、聞こえてくるようだ。
「聞きたいことはふたつありますわ。まずはポールだかミランだかが何者であるかということ。もう一つはソフィ様とはいったいどのようなお方なのでしょうか」
聞かないでおく、という選択肢がなかったわけでもない。今までは聞かなかった。ただ、わたしはそういうのが嫌なのだ。ちゃんと聞きたい。ちゃんと聞いて判断したい。仮初の妻だからと言って、何もかも権利が無いわけではないだろう。いや、わたしが言いたいのは権利とかではない。夫のことをもっと知りたいのだ。
夫はわたしが注いだワインを一気に飲み干した。
お酒の力を借りないと、まともに話すことも出来ないのだろうか。殿方とは不器用なものだ。
「分かっている。分かっているよ。話す、話すよ。これは話さなきゃいけないことだ。いや、そうじゃない。バーラ、ぜひ君に知っておいてもらいたいことだ」
あら、女心をくすぐるようなことも、この人が言えるだなんて知らなかったわ。
「俺の本当の名前はミラン・ハルバート。北のはずれ、クンダ地方の貧乏貴族の息子だった。家は貧しかったが剣の才能はあったようで、十五歳の頃には近隣で俺にかなう奴はいなくなった。それで当時通っていた道場の師匠が金を出してくれ、サーマイリー王国一の剣術の大会、『国王杯剣術大会』に出ることになったんだ」
だいぶ昔のことからお話になるのね。まあこのわたしに、自分のことを知ってもらいたいということね。
「そこで良い成績を収めれば、有力貴族の騎士団にスカウトされる。上位入賞できれば王国騎士団から声が掛かる。そうなれば一気に貧乏暮らしとはおさらばだ。実家のお袋にも楽をさせてやれるし、騎士を輩出した道場ということで人も集まり、師匠にも恩返しができる。俺は気合が入ったよ」
わたしのエーデルファウス王国にもそのような大会はあったけれど、サーマイリー王国の大会だなんて、想像もつかないほどだわ。
「俺は何とか決勝まで勝ち進んだ。決勝の相手は優勝候補ナンバーワンの伯爵家の息子だった。冷や冷やもので勝ち進んできた俺と違って、圧倒的勝利で勝ち上がった伯爵家の息子が勝つと、誰もが予想していた。でも俺は勝った。優勝したんだ。これで世界が開ける、お袋に楽をさせてやれるって思ったよ」
わたしは空になっていた夫のグラスにワインを注いであげる。飲み過ぎないように少なめに。
「でも、どこからも俺にスカウトの話はやって来なかった」
「どうしてなの? 優勝したのでしょ?」
「俺の剣術が『浮き技』という、世間一般では『嵌め技』とされているものだったからだ」
そう言って、夫は何とも苦そうにワインを飲んだ。
「『浮き技』っていうのは当時でも、ほとんど使い手がいなかった。俺の道場はその『浮き技』を教える数少ない道場だった。『浮き技』っていうのは相手を追い詰めたと思ったら、ぱっと跳躍する技なんだ。たいていの奴はそこを隙だと見て斬りかかってくる。そこがこちらの思うツボというやつで、体を一回転させて相手の剣を弾き飛ばして勝負ありっていう戦法だ」
「わざと『浮き技』で隙を見せて誘うのが、『嵌め技』で卑怯だというのかしら」
「その通り。さすがバーラ、よく理解できるね。しかも決勝まで俺は『浮き技』を封じて戦っていた。そのことが一層、卑怯だと思われたんだ」
「あら、わたしは『嵌め技』とか言うから、てっきりもう一本剣を隠し持っていたりするのかと思いましたわ」
「ああ、道場の師匠や俺も嵌め技とは思っちゃいなかった。これは立派な剣術だって思っていた。でも世間様はそう思ってはくれなかった。優勝した日はおろか、次の日もその次の日も、俺に声を掛けてくる騎士団はいなかった。貴族だけじゃねえ、商人の護衛団からも声が掛からなかった。どこも卑怯な奴を入れることで、自分達の評判が悪くなることを嫌がったのさ」
そう言うと、夫は爪楊枝で刺した鶏のから揚げをクルクルと回した。
「師匠がもう一日だけ粘ってみよう、これでダメなら大人しく帰ろうってことで、わざわざ余計に金を払って延泊することにしたんだ。その最終日に俺を訪ねてくれたのが、当時の第三皇子、ルスラン・サーマイリー様だったんだ」
我が夫はこんな調子で話し続けた。




