23.魔都
バラデュール公爵が用意してくださった部屋に入っても、我が夫はベッドに腰掛けたまま、ずっと考え込んでいた。
ミランというのが本名であったとか、ソフィとかいう女のこととか、夫に聞きたいことは山ほどあった。でも今そんなことを問いただすのは、妻として失格というものだろう。
「お風呂が用意できているそうですわ。お入りになったらいかがです? 銭湯代が浮きますわよ」
「……うん。先に入ってきてくれ」
万事この調子だ。
ここは少しの間、独りにしてあげるのも良いだろう。
「では、お先にいただきますわ」
お屋敷のお風呂は、プチ・バレのものよりもだいぶ狭かった。しかし、久しぶりにまともなお風呂に入ることが出来て、存分にリラックスできた。いつもは銭湯で、石鹸ひとつで体も髪の毛も洗っていた身にとっては、シャンプーやコンディショナー、化粧水なども自由に使えて本当にありがたかった。
いつもより段違いに瑞々しくなって部屋に帰って来たというのに、我が夫はわたしのことをちらとも見ずに考え込んだままだ。本当に失礼しちゃう。
「わたしもその魔都に行きますわよ」
驚いたように夫が振り向く。やっとわたしを見てくれた。
「あなたひとりでは何かと不安ですから、付いて行って差し上げますわ」
夫はベッドから立ち上がって言った。
「ダメだ。危険すぎる。さっきユーグから聞いただろ。デーフィエンテは昔とは違うんだ。強盗に誘拐、無法地帯という話だ。本来犯罪を取り締まる機関が、犯罪組織に金で雇われているって言っていただろう。王女様が行っていい場所じゃない」
「だってあなた、その宴とやらに参加できるツテもないのでしょう。だったらわたし、結構役に立つと思いますのよ」
わたしは鷹揚に微笑みながらも、夫が自分の身を心配してくれていることが嬉しかった。
☆ ☆ ☆
初めて二頭立ての馬車に乗った。
商人はいつも一頭立ての馬車に乗るらしい。バラデュール公爵様が王族のわたしにそれはあまりにも畏れ多いとか言って、二頭立てにしてくださった。
いつもは八頭立ての馬車、どうしようもない時は四頭立てにも乗ったけれど、二頭立てのような粗末な馬車に乗ったのは初めてだった。
それが新鮮で面白い。
馬車の中にはわたしと夫に、何故かフレイヤもいる。どうしても一緒に行きたいと言ってきかなかったのだ。設定はマッチを扱う商会の女社長のわたしと召使いのフレイヤ。そして護衛の男、ポール……じゃなくてミランね。まだ慣れないわ。
デーフィエンテが残念なところになっているという話はわたしも知っていたけれど、聞くと見るとでは大違いだった。かつて戦乱が繰り返された影響か、そもそもまともな建物が無い。崩れていたり所々穴の開いた建物に、汚い布で覆いをして住んでいる人はまだいい。大半の人は瓦礫の隙間に暮らしていた。
子供達の薄汚いことといったらない。そもそもまともに服を着ている子供がいない。大人達も皆眼ばかりぎょろぎょろさせて、日中から何もせずにそこらへんに座ったり屯っている。かつて三千年の古都と言われた面影はまるでなかった。
それでもデーフィエンテで一番マシと言われるホテル、『ニューデーフィエンテ』は、古いながらもなんとか建物の体裁を保っていた。
デーフィエンテに入ってから、二頭立てどころか馬車自体見なかった。そんなところに二頭立ての馬車を乗り付け、真っ赤なドレスに着飾ったわたしが優雅に降り立ったものだから、まわりの貧民達の目がこちらに釘付けになる。
「ポール、ホテルの受付をなさい」
念のためにここでは偽名をそのまま使うことにした。ちなみにわたしの偽名はエリザベス。フレイヤは偽名にする必要もないのでフレイヤのままだ。
ホテルの従業員や、他の客達の目もわたしに釘付けだ。ふん、わたしが泊ったということを、後々まで宣伝に使うといいわ。
夫がホテルの受付をしてくれ、前払いでお金を支払って案内された部屋は、意外にも小綺麗な部屋だった。もっと悲惨な部屋を想像していたが、腐ってもデーフィエンテで一番のホテルということなのだろう。わたしはホッとした。
わたしとフレイヤが興味津々にバスルームやトイレなどを確認していると、ボーイがやって来た。
「ポール様、フロントにバラデュール公爵様からのご伝言を預かっております。お越し頂けますでしょうか」
夫がボーイと一緒に、階下のフロントに降りて行ってすぐのことだった。
鍵を閉めたはずの部屋のドアが開くと、口元を布で覆い隠していても人相が悪いことが分かる男達が入って来た。
わたしは敵ながら感心してしまうほど鮮やかに、誘拐されてしまった。




