19.紳士
次の日、夫は朝早くから仕事を探しに出かけて行った。
「バーラさん、このパン屋さんからもらったパン、食べますか?」
フレイヤがそう言ってわたしに差し出したパンには、所々青カビが生えていた。
「あっ、これ、ちゃんととって食べれば大丈夫ですよ」
青カビの部分を取り除くと、フレイヤが美味しそうに食べる。
「最初はちょっとお腹を壊したりしましたけど、最近は慣れました」
「昨日わたしがお値段を上乗せして売ったマッチのお金で、何か買ってきたら?」
「えへへ。ちょっとお金を貯めていまして。大丈夫ですよ、味は変ですけど十分食べられますから」
わたしはフレイヤが勧めてくるパンを断り、朝食を抜くことに決めた。
ビリケン様教会の水場を借り、ドレスを洗うと、わたしは暇つぶしにフレイヤと一緒に巫女服を着ておみくじ売り場を手伝うことにした。
わたしはビリケン様なる神様を初めて知ったが、不思議な顔かたちをした神様だった。あまり神聖なものの類にはとても思えない。しかし庶民からの人気はなかなかあるようで、ひっきりなしにお参りに来る人がいる。
「はい、おつりです。キャア」
フレイヤは、今日既に三回もお釣りを落として叫んでいる。
かなりそそっかしい娘のようだ。
「すみません、わたし、すぐ失敗しちゃうんです」
そう言って貧相に笑った。
「わたしがバーラさんみたいに賢くて気高くて強かったら、もっと世界を救えるのに。わたしって全然だめで……」
そう言えばこの娘は、自分のことを女神だと言っていた。
かわいそうに、頭がおかしいのかもしれない。
そんなことを思っていると、紙包みを抱えた我が夫が走ってやって来た。
「やっとバイト先が決まった。とりあえずこれもらった。食ってくれ」
そう言って紙包みをわたしに渡すと、夫は走って戻って行った。
中にはハムと野菜を挟んだパンが、ふたつ入っていた。
きっと自分は食べずに持ってきてくれたのだろう。
「わあ、美味しそうですね! ハムが入っています!」
そう言って目を輝かせるフレイヤと一緒に、わたしは美味しく頂いた。
夕方に銭湯に入ると、再びわたしとフレイヤはマッチを売りに街に立った。
この日もマッチは完売した。
こんなことを繰り返すうち、わたしのマッチ売りは人気になってしまったようだ。マッチを売る通りには、わたしが行く前から行列が出来るようになってしまった。
それに伴い、フレイヤは親方から大量にマッチを仕入れ、背中に背負っていくようになった。
そんな或る日のことだった。
わたしがマッチを売っていると、いかにも高級な外套を着た一人の紳士がやって来た。周囲には騎士達が護衛についている。この通りの雰囲気が変わった。
「ほう、お前が最近巷で噂になっている『マッチ売りの女王』と呼ばれている女か。私にもマッチをひとつ売ってもらおう」
わたしはその男の態度にカチンときた。それに女王じゃなくて王女だ。
「あら、無粋ですこと。あなたはこの行列がお見えにならないの? みなさんお並びになっていらっしゃるわ。あなたもマッチが御所望ならお並びくださるかしら」
騎士の一人がわたしに食ってかかる。
「おい女! このお方を誰だと思って……」
「やめろ! わかった。列に並ぼうではないか」
そう言ってその紳士は、おとなしく行列の最後尾に並んだ。
(あら、意外と物分かりの良いお方でしたのね)
その日は、その紳士の順番がきたところでちょうどマッチが売り切れた。
「あら残念。明日はもう少し早く来てお並びになって」
わたしは皮肉のつもりでそう言った。
この紳士はもう二度と来ることはないだろう。そう思った。
ところがその紳士は、騎士を引き連れ翌日も、翌々日もその次もやって来て大量にマッチを買っていった。
(マッチが大量に必要な方なのかしら? 火力発電所の方? なのかしら)
わたしがそんなことを思っていた或る日、その紳士はわたしにこう言った。
「よかったら一緒にお食事でも行きませんか。あなたのことを、もっと知りたい」




