18.マッチ売りの王女
わたしは強引に近くにあったブティックの試着室を借りると、夫がカバンに入れて持っていたわたしのドレスに着替えた。
少々の汚れは、この夜の帳が隠してくれることでしょう。
わたしは通りの真ん中で堂々と宣言した。
「皆の者! わたしが手ずからマッチを売って差し上げますわ。心してその名誉に浴しなさい!」
いかにも仕事帰りといった、おじさんが歩いていた。
「そこの黒い帽子の紳士の方、ごめんあそばせ」
生まれて初めて自分のことを紳士と言われたであろうおじさんは、驚いて足を止めた。
「こんな時間までお仕事でしたの? 大切な家族を養うため、お仕事頑張っていらしたのね。さすがですわ」
「いや……そうなんだ。女房と育ち盛りの子供が三人もいてね」
「頑張り屋のお父様ですのね。マッチはいかがかしら」
「いや……あの……私はタバコを吸わないのでマッチは使わないんだ」
「あら、マッチを使わない方にこそ、マッチは必要ですのよ」
「えっ……ど、どうしてですか?」
「お父様、タバコを吸われる方が、マッチが無いと騒いでいらっしゃるのを目にしたことはなくて?」
「ときどき見かけます」
「そんな時に、タバコを吸わないお父様がマッチを差し出してごらんなさい。何事にも備えがあり、どんなときにも頼りになる男だと思われますわ」
「……」
「それが取引先のお相手だったり、お客様ならどうなるかしら。お父様のことを信用できる男だと思い、今後の商談に利のあることは明らかですわ」
「……確かに」
「お父様のような方にこそ、マッチが必要なのがお分かりになりまして?」
「マッチをひとつ売ってくれ!」
「あら、ひとつでは心もとないですわ。職場にひとつ、手元にひとつ、予備にもうひとつ持ってこそ完璧ですわ」
「三つ、いや、五つもらおう!」
わたしはフレイヤに耳打ちする。
(マッチはひと箱いくらなの?)
(三百ゼニーです)
「ではお父様、五つで二千五百ゼニーですわ(少し上乗せですわ)」
「これで仕事がうまくいけば安いものだ! ありがとう!」
黒い帽子の男性は、マッチを大喜びで買っていった。
既に多くの人が足を止めて、わたしと男性とのやり取りを見ていた。
「さあ、次にマッチが欲しい方はどなたですの!」
マッチはあっという間に売り切れた。
「バーラさん! ありがとうございます! これで親方に怒られなくて済みます!」
フレイヤは、涙を流して喜んでいた。
いままでよっぽどマッチが売れなかったのだろう。
「こんなもの、わたしにかかればこの通りですわ。お礼を言われるほどのことでもなくてよ」
「おい、バーラ。そろそろ寝床を探しに行こうぜ。意外とこういうのって、いいところ取られるの速いんだよ」
無駄な経験値の高い夫が横から口を出す。
「橋の下なんて怖いわ。まだ山の中のほうがマシよ」
「金がねえんだからしょうがねえじゃねえか。明日からバイトするから我慢してくれよ」
わたし達の残念な会話を聞いていたフレイヤが、たまりかねて言った。
「よかったら、とても狭いですけどわたしの部屋に泊まりませんか」
あら、その言葉を待っていたのよ。わざとらしかったかしら。
☆ ☆ ☆
フレイヤは『ビリケン様教会』という、土着の邪神を祭った教会の物置に住み込んでいた。
狭い部屋だったがフレイヤの荷物がほとんどないのが幸いして、三人が横になって寝るには十分な広さだった。
「わたし、ここの教会で巫女として働いているんです。巫女と言っても、ほとんどおみくじやお守りを売っているだけですけど」
隣では、我が夫がもう高鼾をかき始めていた。
「バーラさんは凄いですね。わたしがいくら売っても売れなかったマッチを、あんなに簡単にすべて売ってしまうなんて。凄いです! 尊敬します!」
フレイヤの話を聞きながら、わたしもそろそろ眠たくなってきた。
「バーラさんだけには打ち明けますね。誰にも言わないでくださいよ。実はわたし、女神なんです。全能神オーディヌスと、大地の女神ダフィーネの二十三番目の娘、フレイヤなんです」
「……そうですの……」
わたしは眠くて限界だった。
「この世界を誰もが等しく平等な、平和な世界にするために遣わされたのです。でも、失敗ばかりしちゃって。だからわたし、バーラさんを見習おうって決めたんです」
「……それは良い心がけですこと……フレイヤ」
そう言うと、朝から動き詰めでビールまで飲んだわたしは寝てしまった。
ビリケン様に仕える女神なんて、いるわけないと思いながら。




