17.一文無し
わたしはお風呂から出ると、夫に定食屋なるものに連れて行ってもらった。
メニューを見てもよく分からなかったので、夫に任せることにした。
「かつ丼ふたつとビール。グラスはふたつで」
さすがに夫は手慣れたものだ。
まずは瓶ビールが運ばれてきた。夫が自分のグラスとわたしのグラスに注いでくれる。
「とりあえず、無事を祝して乾杯!」
夫と乾杯して、ビールを飲んで驚いた。美味し過ぎる。王宮で飲んだどんなお酒よりも美味しかった。体のすべての細胞が喜んでいるのが分かる。こういうのを五臓六腑に染み渡ると言うのだろうか。
「まあ、今日も朝からたいして水も飲まずに歩き詰めだったからな。それで風呂上がりのビールだ。最高だよな」
いままでお酒は美しい器に入れて味わってこそ、美味しさを楽しめると思っていた。しかしこの粗末なガラスのコップに入れられたビールは、夫の言うとおりに最高だった。
「かつ丼お待たせしました~!」
給仕の娘が持って来たかつ丼とかいうものは、器の大きさよりも中身が多すぎて蓋が閉まりきらないという下品な盛り付けではあったが、この世のものとは思えない美味しさだった。庶民はこのようなものを王室に隠していたのかと思った。
「おふひふひはふは!(美味し過ぎますわ!)」
またしてもはしたない言葉を発してしまった。
でも、今は村娘なのだから許されるとしましょう。
「いや~、やっぱりかつ丼とビールは最高だな」
わたしは夫と出逢ってから、夫の言うことに心底同意したのはこの時が初めてだった。
「最後のちゃんとした飯だから、心して食っておけよ」
我が夫の言っていることが理解できなかった。
「……今晩は、どこのホテルに泊まるのかしら」
「もうこのかつ丼とビールで有り金なしだ。どっかでまた野宿でもするか」
山での野宿はキャンプだが、街中での野宿は浮浪者だ。そんなの絶対に嫌だ。
「街で浮浪者まがいのことをするのは嫌ですわ。どうにかならないの?」
「まあ、今日は風呂にも入れたし、かつ丼ビールも旨かったし、明日からバイトでも探さないとなあ」
なんという残念な夫なのだろう。妻に浮浪者のまねをさせて平気だとは。ここまで最低な男とは……思っていたけどやっぱり最低だった。
「あなた、戦いの時はいろいろと考えてくださったじゃないの。なんとか考えなさいよ」
「まあ、定番で行けば橋の下とかかな。あそこは意外と快適なんだよ」
ダメだこの男は。
山の中で、少しは頼りがいのある男だと思ってしまった自分が憎い。
指にあまりゴテゴテ指輪をはめるのが嫌いで、結婚指輪以外何もつけていなかった自分が恨めしい。さすがに結婚指輪まで売り払う気にはなれないが、少しは換金できる指輪を身につけておけばよかった。
わたしは茫然となりながら定食屋を出た。
既に外は夜になっていた。
「俺、結構快適な野宿の場所を探すの上手いんだぜ」
何故か陽気な我が夫が鬱陶しい。
夜のキルケの街を陰鬱な気持ちで歩いていると、陰気な声が聞こえてきた。
「マッチ~、マッチ。マッチはいかがですか。……うう、誰か……買ってください」
聞くだけで不幸になりそうな、マッチ売りの少女の声がする。
「マッチ~、マッチ……ああ、今日も売れない……キャア!」
「邪魔だ、どけ!」
マッチ売りの少女は、道を歩く男性に突き飛ばされて転んでいた。
わたしの足元にマッチ箱が転がる。わたしはそれを拾うと少女に手渡した。
「あ、ありがとうござい……バーラさん! 旦那様も!」
マッチ売りの少女はフレイヤだった。
「あなたのお仕事ってマッチ売りでしたの?」
「はい。昼は教会で働いて、夜はマッチを売っているんですけど全然売れなくて……」
フレイヤの手に持った篭にはマッチ箱が山のように入っていた。ほとんど売れていないのだろう。
わたしはフレイヤの姿をよく見てみた。擦り切れた服を着て、猫背でおどおどしている。こんな娘からマッチを買ったら不幸が伝染りそうだ。
「あなたには、銭湯の入り方を教えて頂いた恩がありますわ。わたしは恩を受けっぱなしは嫌いですの。そのマッチ、わたしが売って差し上げますわ」
わたしはそう言うと、フレイヤからマッチの入った篭を奪い取った。
「小説~、小説。小説はいかがですか。……うう、誰か……評価してください」




