15.焚火
わたしは気がつくと、我が夫に抱きかかえられたまま川岸に打ち上げられていた。
よく見ると、夫の右手が岩をしっかりと掴み、流されないようにしてくれていた。
わたしは夫に話しかけようとしたが、川の水に下半身がずっと浸かっていたせいか、寒すぎて歯の根が合わず、声が出なかった。足も凍えて満足に動かない。どうやら夫は気を失っているようだった。
夫が気を失っていると気づいて、何故だかわたしは俄然やる気が出てきた。この道中、わたしは夫に助けられてばかりいた。助けられるだけの女は嫌だ。今度は夫をわたしが助けるのだ。これぞ夫婦の正しい在り方だと思う。
まともに動かない足を何とか動かして、水から這い上がる。冷たい水に浸かっていると、体がこうも動かなくなるのかと思い知った。続いてなんとか夫を水から引き揚げようとする。男の人の体が、こんなに重いものとは知らなかった。全然動かない。
しょうがないので近くにあった流木で、夫の頭をしこたま叩いてみた。夫は起き上がり、自分の足で水から出て二三歩歩くとまたばったりと倒れてしまった。これで夫を水から出すことが出来た。
わたしはとりあえず、焚火をすることにした。
まずは体を温めないとどうしようもない。
この道中で、夫に教わった焚火のやり方を思い出してみる。興味本位で聞いてみたところ、なかなか丁寧に教えてくれたのだ。
太い流木の上に、丁寧に小枝の枝分かれした部分を取り除いたものを集める。これを面倒くさがってはいけないらしい。焚火のセッティングが完了したら、いよいよ火起こしだ。先を尖らせた枝と板状の流木をこすり合わせて火を起こす。起こした火を、すかさずカンバの木の皮を剥いだものに丁寧に移す。カンバの木の皮に火が付いたら小枝の下に入れ、上からそっと押さえつける。
煙が凄い勢いでもくもくと出てきた。こうなったら焦らず放っておけばよいと夫に教わっていたので、わたしは水を吸ったドレスを脱いで下着になる。気を失っているとはいえ男性の前で、しかも野外で下着姿になるなんて、淑女としてどうなのかとも思ったが、今はそれどころではない。生き抜くことが重要だ。
だんだんと周りが暗くなってくる。それとは反対に、焚火はどんどん燃え上がってきた。わたしはいつの間にか自分一人で焚火を起こせるようになって、嬉しくなってしまった。幸いここには流木が山のようにあったので、わたしはどんどん焚火に投入した。
火って最高だ。
わたしはこの時ほど、焚火をありがたいと思ったことはなかった。
すべてのものが乾き、わたしの冷え切った体が徐々にほどけていく感じがする。
バチッと焚火がはぜて、火の粉が飛ぶ。
その火の粉が夫の体に落ちた。
「うわっち! 熱っち! 熱っちっち!」
そう言って飛び起きた我が夫を見て、思わず笑ってしまった。
「王女様よ、お前が俺を助けてくれたのか?」
我が夫が、焚火に照らされながらわたしに聞く。
「そうよ。あなたがだらしがないから助けて差し上げたのよ。感謝しなさい。おまけにわたしが起こした焚火に当たることを、許可して差し上げましょう」
「……ありがとう……ございます」
わたしはあまりの夫の素直な言葉に、思わず吹き出してしまった。
「そんなことより、あなた背中は大丈夫なの? 結構大きな岩にぶつけたでしょう」
「……背中はすごく痛てえが、手足は動くし大丈夫だ。それより何故か頭が痛てえ。頭もぶつけたのかな」
「ま、まあ結構いろいろぶつけていたみたいでしたわ。でも、体が動くようで安心しましたわ」
わたしは夫の頭を流木で叩いたことは、内緒にしておいた。
夫は木の枝で焚火の上にやぐらを組み、持っていた針金とコップを組み合わせて焚火に吊るすと、お湯を沸かしてくれた。
紅茶でもコーヒーでもない、ただのお湯がこれほどまでに美味しいだなんて、感激してしまった。
「このお湯、焚火のカスや煤が入っているけど、最高に美味しいですわ。いままで男性に貰ったどんな贈り物よりも、最高ですわ」
「王女様のお口に合ったようで結構だな」
この旅で知ったのだけれど、焚火に照らされている人の顔ってなかなか良いものね。
「ねえ旦那様。その王女様って呼び方やめてくださらない? わたし達は仮初にも夫婦なのよ。もっとそれらしい呼び方があってもよろしいのではなくて?」
わたしの旦那様は何も言わなかった。なのでわたしが決めることにした。
「これからはわたしのことをバーラとお呼びください。わたしもあなたのことをポールと呼びます。本名を教えてくれたらその時に呼び方も変えますわ」
旦那様はお湯を飲むと、ため息をついた。
「あいつら無事かなあ。俺がもうちょっと早く気づいていれば、もう少し油断しなければこんなことにはならなかったのに」
わたしは呆れてしまった。
目の前に下着姿の美女がいるというのに、相手の呼び方をわたしが話しているというのに、この旦那様は全く別のことで頭がいっぱいだったようだ。
「いまここで心配してもどうすることも出来なくてよ。あなたは十分頑張ったわよ。それはわたしが保証しますわ。だから今はゆっくり休んで、明日から頑張りなさい」
我が夫は、何故か悲しそうな笑顔をした。
「ありがとよ。それもそうだな。どうしようもないことをうじうじ心配するより、今できる最善のことをしなくちゃな」
そう言うと、我が夫は火のついた流木を明かりにして森の中へと入って行った。帰って来た時には山菜を山ほど抱えていた。
「まずは腹ごしらえだ」
そう言うと、夫はポケットに入れていた調味料を取り出し、コップで器用に山菜を茹でたり炒めたりし始めた。美味しそうな匂いがして、わたしのお腹がはしたなくもグウと鳴った。
「何ですのこれは! 山菜ってこんなに美味しいものでしたの! もっと作って頂きたいわ!」
野外で下着姿で食べ物にがっついて喜ぶなんて、リュシーには決して見せられないと、わたしは思った。




