三十四章 お酒は計画的に
私の前には、細長いグラスに入ったスパークリングワインが置かれていた。
みんな私がそれを手に取るのを、どこか面白そうに見守っている。
「……なんか、緊張する」
私は簡単に折れてしまいそうなグラスを手に取った。
そして——
***
「みんなー! お肉準備できたよ〜」
私が廊下からそう声を掛けると、月ちゃんが障子を開けてくれた。
私も紫苑くんもお皿と鍋で手が塞がっていたのだ。
「おかえりなさい。待ってました。お肉、早く食べたいです」
私と紫苑くんは、そんな月ちゃんが可愛くて、顔を見合わせると笑い合った。
それから三人で鍋や取り皿を手早く並べると、すぐに和風出汁の良い匂いが部屋中に広がった。
何度目かの「いただきます」のあと、私達はお鍋を囲んだ。
紫苑くんが根気よく切り分けたお肉は最高に美味しくて、どんどん消費されていく。
大人たちは、お酒の方が進んでいて料理はあて程度。
お酒を飲まない私達には考えられない。
「紫苑くん! このお鍋最高だよ!」
「だよなー! 米が進む!」
紫苑くんは、山盛りのご飯をがつがつと食べている。
どうやら彼はお酒よりお肉らしい。
「月ちゃんも、このお鍋食べてみて」
「とろけますね、このお肉」
月ちゃんは一枚ずつ丁寧に、お肉を味わうように口へ運んでいた。
耳がぴこぴこ動いていて満足げだ。
二人を見ながら、私も熱々のお肉を味わった。
わいわいと、ご飯を食べてる私達とは違い、大人組は利き酒を楽しんでいるようだった。
「玖呂の舌ぼやけてんじゃないの? 全然当たらないじゃない」
「飲んだ事ない酒ばっかだからだよ」
「俺、このクラフトビール好きかも」
「悠璃様はベルギー推しね」
大人な会話だなぁ。
「ねぇ、月ちゃんも、紫苑くんもお酒飲まないの?」
「俺は飲めるけど、美味い食事の方が好きなだけ」
「私は“自分が自分ではなくなるかもしれない飲み物”は怖くて飲みたくありません」
「……なるほどー」
そっかー、二人とも見た目と実年齢違うもんなぁ。
「なになに? ひまりお酒飲みたいの?」
「でも私、未成年だよ」
縁側近くにいた椿さんは、自分のグラスを持って私達の、近くに座った。
玖呂さんと、悠璃さんもそれに続く。
「こっちの世界ではお酒の法律なんかないから気にしなくていいよ」
「そうだぞ。ひまはもう、こっちの住人だからな」
そう言われると、興味がむくむくと、顔をだしてしまう。
「う〜ん、でも飲んだらどうなるか分からないんだよね?」
月ちゃんを見ると、大きく頷いている。
『やめた方がいいです』と、目が語っている。
「でも飲んでみないと分からないわよ? 案外強いかもしれないし」
「あー、弱そうに見えて実は……みたいな」
うんうん頷く紫苑くん。
「椿さんは、強いんだよね。紫苑くんは?」
「俺は――」
「この子何にも変わらないの。全くもって面白くないわよ。飲ませ損よ」
「何を期待して飲ませてるんだよ!」
「ね、いい事考えた! ひまりがどのタイプか、賭けましょうよ」
「賭け!?」
「賭けといっても私達がやるのは、掃除とか、片付けとか、ただの押し付け合いよ」
「あ、そういうあれね? あはは、びっくりしちゃった」
みんな大人だし、別に賭けが駄目なことないもんね。日本の感覚で金銭絡みだと、思っちゃった。
「でも賭けにはならないんじゃないか? みんな“酔い潰れる”に賭けるだろ」
「え!? そんな事ないよね?」
私がみんなを見ると、みんなはそっと視線を逸らした。
「えー……ちょっと悔しい……いいよ、呑もう! 呑んでみる!」
「そうこなくっちゃ〜!」
眼を輝かせて楽しそうな椿さん以外は、みんな苦笑いで、「あ〜あ」と口にした。
私は少しの好奇心と、“お酒”という未知のものへの怖さを胸に、グラスを口へ運んだ。
「……」
部屋中の視線が私に集まる。
こくり、と飲んだお酒は驚く程スッと喉を通った。
「……お、美味しい!」
グラスの中で弾ける泡を見ていると、いつかマリさんと飲んだ炭酸水を思い出す。
懐かしさに、自然と笑みがこぼれた。
それを見たみんなも、どこか安心したように笑った。
ジュースとはまた違う微かなお酒の苦味や、喉を通る炭酸の泡、シャルドネの香り。
「これは飲みやすいけど、度数が高いからあんまり飲まないようにね」
「分かった!」
そう、分かってはいた。
でもお鍋を囲みながら笑って、話しているうちに止まらなくなっていた。
周りが気付いた時には、既にボトルの半分を空けてしまっていた。
どうやら常にグラスが一杯だったせいで、誰もそんなに飲んでいたとは思っていなかったようだ。
でも実は、バレたら止められるかもしれないと思って、私はグラスが空く前に自分で少しずつ注ぎ足していたのだ。
「ひまりちゃん、いつの間に……」
「ひま、“こっそり”の天才か!?」
——なんか、暑い……?
どうやら私は、この辺りで『理性や自制心』といったものを、ぽんと手放したようだった。
「ひまり? 大丈夫? ほらお水飲みなさい」
「椿さんだぁ〜えへへ、髪の毛きれー。美人さーん、ぎゅ〜」
「え、ぇえ……ぎゅー」
椿さん抱きしめてくれた。
嬉しい。ふふ。
んーと、つぎーはー?
「しーおーんーくーん」
「うわぁ! お、おい、やめろって!」
「がばぁ」
「うわぁぁ! 悠璃さん、俺何もしてないですからね!」
えー?
なんでそんなに離そうとするのー?
仲良しなんじゃないのー?
「がばぁー」
「だから逃げねぇってー!」
あーちゃんとぎゅーしてくれたーよしよし。
あ、月ちゃんだ。
「月ちゃ〜ん、大好き〜」
「うえるかむです。ひまりちゃん、可愛すぎます」
「ぎゅぎゅぎゅ〜」
「ふふ、楽しいです」
わたしも楽しいなぁ〜!
じゃーあー、次はー……
「玖呂しゃん!」
「うわっ、お前……かわ!」
「翼出して〜」
「いくらでも出してやる!」
「うわぁ〜い! 気持ちー!」
「よしよし、俺はお前の兄だからな。いくらでも甘えろ」
玖呂しゃんがお兄しゃん。
呼んでいいのかな、嬉しいな……
「お兄しゃん……」
「……うおっ!」
「玖呂兄しゃん……どうして倒れたのー?」
「ひまり」
誰か呼んだー?
…………
あー!
「ゆーりしゃーん!」
大好きな人ー!
ダイブしちゃえ!
「どーーん!」
「うわ!」
「ちゅーー!」
「え、口じゃないの?」
「すき〜、大好き〜! 好きすぎてヤダー」
「やだ!?」
「もっとぎゅってして! 尻尾も!」
「はいはい、ぎゅー」
「えへへ……」
「あ」
「……すー……」
『寝ましたね』
『寝たわね』
『こいつ……お酒飲ますと恐ろしいな』
『いつか『お兄ちゃん』って呼ばせる』
『え……玖呂気持ち悪い』
『なんでだよ!』
『じゃあ、寝かせてくるから後よろしくね』
『あたし達まだ続けますねー』
『ひまりちゃんこれ覚えてたら悶絶でしょうね』
……みんな何話してるんだろう。
私今ふわふわ飛んでる?
あ、夢だー、これ。
ふかふかのお布団の中にいるもん。
だから目も開かないのかー。
ゆーりさんの良い匂い……
ぎゅーしてほしいな。
わーい、ぎゅーしてもらえた。
さすが夢だー。
ぁー……
だめだーもう眠い……
今日、楽しかったなぁ……
また、みんなで笑いたいな……
ずっと。
ずっとみんなと一緒がいい……
「おやすみ、ひまり。次飲む時は二人きりだからね」
夢だと思っていたこれが、全て現実だったと知るのは——たっぷり眠って起きた日の朝食での事だった。




