終話 桜の縁
私は今、一生分の汗をかいている。
あの夢の出来事が、全て現実という信じられない事実を突きつけられているのだ。
「……えっと、本当の、本当ーに、本当の事?」
「はい。本当の本当ーに本当の事です」
「う」
「う?」
「うぅ……うわあぁぁぁ! むりー!」
「可愛かったですよ、ひまりちゃん。甘えん坊さんで」
正座のまま床に突っ伏した。
恥ずかしすぎて死ねる……
月ちゃんのフォローが、もう、痛い!
縁側では、私達の事は気にしてないですよ、みたいな空気を出してるくせに、悠璃さんも玖呂さんも肩がすごい揺れてるし。
「うわぁ、もういやだー! もう……絶対にお酒なんか飲まない!」
ぶー! と、吹き出す声が聞こえる。
くっくっと笑い声が近づいて来た。
「いやぁ、可愛かったぞ? いつでも玖呂兄って呼んで良いからな」
「一生呼ばない!」
「紫苑みたいな事言うんじゃないよ!」
「まだ笑ってる〜!」
「あのな、ひま」
頭をぽんぽんされた。
悔しいけどちょっとだけ、ほんのちょっとだけ落ち着いた。
「俺たちは嬉しいんだよ。お前がちゃんと俺たちに甘えてくれて」
「……どうして?」
「家族だからだよ」
「……」
「家族なんだから甘えるのが普通だ。思ってる事とか、して欲しい事とか、酒の力なしでも全部言ってくれ」
ぽんぽん、ずるい。
「……また翼出してくれるの?」
「いつでも出してやるよ」
「お兄ちゃんって――」
「呼んでくれ!」
「……呼ばない」
「ひま!」
玖呂さんと話してると自然と笑顔になる。
お兄ちゃん、玖呂兄ちゃん、玖呂にぃ……
「……ありがとう、玖呂にぃ」
「ひまーー!!」
「痛い痛い」
べりっと悠璃さんに剥がされて、そのまま何処かへ連れて行かれた玖呂さ……玖呂にぃは、すごい笑顔で手を振ってくれた。
ちょっと恥ずかしい。
それから私は、桃玉を作ったり他に何かを作れないかと月ちゃんと相談しあったり、いつも通りの一日を過ごした。
夕食を終え、お風呂も済ませた私は、一人縁側に座って夜空を見ていた。
お風呂上がりのまだ少し湿った髪が、風で冷たくなって心地良い。
この世界の空は、美しくて、とても不思議だ。
水面のように揺らいだかと思えば、色を変え、それでも夜の暗さと月明かりは損なわない。
微かに風に乗って聞こえてくるのは、あやかし達の陽気な声。
「色んな『夜』の色があるんだなぁ……」
まだまだ見ていたい。
色んな『朝』の色や『昼』の色。
まだ見たことのない夏や秋、冬の景色。
「そういえば、あっちの世界では冬だったのに、ここに来た時は春になってたんだよね……」
空がカーテンのように光を帯びて揺らぎ始めた。
「オーロラ……」
しばらくぼーっとしていると、白檀の香りが近付いてきた。
落ち着く香りが私を包んだ。
悠璃さんは静かに、私の隣へ腰を下ろした。
私は夜空を見上げたまま。
静かな空間に漂う、穏やかな時間。
「……ここに導かれたのがひまりで、良かった」
独り言のように呟かれたその言葉に、私の胸は途端に熱くなった。
ここのみんなとの絆。
そして、悠璃さんとの繋がり。
私がずっと憧れていたもの。
——私にとっての、居場所。
おばあちゃま。
私もう、大丈夫。
たくさんの種類の思いが込み上げてきて、泣きそうになるよりも、体の中がうずうずしはじめた。
私は思い切りその気持ちを解放した。
いつも以上にたくさんの花びらが、私の体を中心にして一斉にぶわぁっと舞い上がった。
枝垂れ桜の穏やかな甘い香りが、悠璃さんの香りと混ざり合った。
視界いっぱいを埋め尽くす桜色に、私と悠璃さんは思わず顔を見合わせた。
「わぁ……すごいことになってるね!」
「ちょっと、多くない?」
私たちは優しく舞う桜吹雪の中で、笑い合った。
少しのすれ違いも。
不安も迷いも。
全部あったから、今がある。
空では銀色の星が瞬いていた。
隠世に来たばかりの頃は、こんな未来なんて想像も出来なかった。
吉野の翁に会えて。
自分が何者かを知って。
大切な友達が出来て。
そして、愛しい人が出来た。
春は終わる。
けれど、この桜が結んでくれた縁は終わらない。
私の物語は、まだ始まったばかり。
願わくば、この胸の温かな輝きと共に。
これからも、ずっと。
この場所で——笑っていられますように。
そう願いながら、私は再び色を変えた夜空を今度は二人で見上げた。
終




