二十四章 変化
初めてのキスを、初めて愛しいと想う人と、交わした日の翌日。
え、あれ夢? と、思ってもおかしくない程、通常運転の悠璃さん。
昨日の余韻を引きずって、ぎこちない私。
……温度差なんか酷くない?
私なんて、なんなら見るもの全てキラキラして見えてるよ。
悠璃さんは違うのかな……
悶々としながら、先に朝の片付けに行った月ちゃんの後を追う私。
廊下の角を曲がろうとした瞬間――強い力に引っ張られて、倒れ込む様に何かに包まれた。
首筋に感じる吐息に、ぎくりとした時にはそこに少しの痛みと熱。
「……え!?」
ばっと手でそこを抑える私。
悠璃さんはそんな私の耳元に顔を寄せると、囁く様に言った。
「夢じゃないって証」
そして、そのまま『また後でね』と言って部屋を出て行った彼の尻尾が、ご機嫌に揺れてるのを見て、何となく負けた気になった。
「うー……、ずるいー……」
そのままずるずるとしゃがみ込んだ私は、さっきまであった強く優しく抱きしめる腕や、ふわりと香る残り香にさらなる熱を与えられて、しばらく部屋から出られなかった。
***
昼前のかふぇまにまにでは、穏やかな空気が流れていた。
芳醇な珈琲の香りが、店内の木の香りと混じり合って天然の芳香を作り出し、葉擦れや鳥の鳴き声が、自然の音楽となって最上の癒しとなっている。
そんな店内の一画。
明るい陽射しが差し込む窓際で、桃色、紫色、金色の三色がテーブルの上に広げた紙を熱心に見ていた。
「――で、これが昨日の売り上げね。あとこっちのは在庫表」
「この流れで見れば、お守りの桃玉がすぐに無くなりそうですね」
「うわぁ……どうしよう。嬉しすぎて泣きそう……」
感極まる私に、椿さんは優しい微笑みをくれる。
頭をよしよしされながら、それだけじゃないのよ、と続けた。
「お客様からお願いされたんだけど、再来月の常桜神社でのお祭りに桃玉出して欲しいそうよ」
「ひまりちゃん、それは絶好のビジネスチャンスです」
「お祭りに!? 桃玉!」
「アクセサリーに出来る方の桃玉ね」
ふわぁ……!
嬉しすぎて体が震える。
自分で心を込めて作った物が認められるって、こんなにも嬉しいんだ……!
「生きてて良かったよ〜」
「あんたが言うと重いわ」
メソメソする私の頭をつんつんしながら、呆れ笑いの椿さん。
そんな私たちを無表情ながらも、温かい目で見つめる月ちゃん。
「再来月なら、お守りの桃玉だけをまにまにに卸して、アクセサリーの桃玉は置いといた方が良いですね」
みんなで頷き合う。
「ねぇ、呼び方決めましょうよ。ややこしいのよねどれも桃玉だし」
「ですね。では、今後『御守り』と『チャーム』大きな括りで『桃玉』で分けましょう」
「どちらも加護は載せるのよね?」
「うん、御守りの加護は分類細かめで、チャームは厄除けとか幸運とかざっくりした感じになるかな」
「良い感じの住み分けだと思います」
「なら後は、店用とお祭り用で、どれくらい必要か計算して煮詰めていきましょう」
「はい。少し休憩しましょうか」
「そうだね〜、紫苑くんの珈琲冷めちゃう」
三人はそれぞれ、濃い琥珀色が醸し出す香りを存分に堪能して、ほっと一息ついた。
「そういえばさ? 朝来た時から違和感あったんだけどやっと分かったわ。ひまり、いつも右側に三つ編み垂らしてるけど今日は左なのね」
ぎくぅっ!
ころんと丸いカップを持つ手がびくりと震える。
「朝餉の時はいつも通り右側でしたが、片付けに来た時には既に左側でした」
やばいやばい、月ちゃんの観察力、やばい!
カップをそっと置いたつもりが、動揺と手の震えで思ったより勢いがついて音を鳴らしてしまった。
「あら? あらあらあら?」
椿さんの嗅覚が、私の動揺を嗅ぎ取って目がきらきら輝き始めた。
丸目でいつも垂れがちな耳が、ぴょこんと立っていて可愛い……けど!
「な、な、なにも? 別に気分でね?」
だめだー! 二人の目が細い!
「ひまりちゃん、顔赤いです」
「何かそうしないといけない理由が――」
「ないよ! ないない!」
必死に言い訳を考えていた私は気づかなかった。
その時キッチンから私たちのところに来た、一番の天然で危険な人物に――
「お、本当だ。髪いつもと違うじゃん……ん? 何だ、虫さされ? なら隠すより薬塗れよ、持ってきてやるから」
紫苑くんは、私の三つ編みを、さっと持ち上げてそう言うなり、またキッチンへと戻っていった。
「「「……」」」
椿さんの爆笑が店内に響き、月ちゃんは何度も頷き『なるほど、あれがキスマというやつですか。なるほどなるほど』
と、ぶつぶつ呟いている。
私は全身真っ赤になって、ぷるぷる震えた。
紫苑くんがお薬を持ってきてくれた時には、その優しさと恥ずかしさから半泣きだった。
そんな私を見て、熱を疑った紫苑くんはもう天使すぎてまた泣けた。
「私の弟……尊い」
「悠璃様、強気な攻めタイプですね」
――椿さんと月ちゃんのダメ押しで、私はとうとう机に突っ伏した。
***
あの後何とか復活して、再びお仕事トークを繰り広げた私たちはランチが始まる前に解散した。
でも折角なので私と月ちゃんのは、美味しいランチを頂いてから、まにまにを後にした。
屋敷へ帰るその道中――
「おや、ひまりちゃん。この間振りですね」
「……蒼路さん!」
声に振り返った先に居たのは、マリさんの旦那さん――蒼路さんだった。
「噂が入ってきましてね『桃玉』の」
にこにこと人当たりの良さそうな彼が、屋台のカウンター越しにそう言った。
私も月ちゃんも、何となく言葉を紡げないでいる。
「次に会えたら、商談をしたいと思ってまして――」
「それなら俺を通してもらおうかな」
「悠璃さん!」
私と月ちゃんの前に現れた背中に、何故か泣きたくなるほどほっとした。
ゆらゆらと揺れる尻尾に、少しの警戒がみえた。
「おや、前回はご挨拶出来ずに失礼いたしました。わたくし蒼路と申します」
「ああ、知ってるよ」
「そうですか、では早速。桃玉の商談をさせていただきたいのですが」
「その時はこっちから接触する。だからさぁ。そっちから行動は起こさないでくれる?」
悠璃さんからものすごい圧を感じる。
月ちゃんが、そっと私の前に入ってくれた。
「……わかりました。接触、というのはあの『黒い彼』の事ですね」
悠璃さんは、何も言わなかった。
……玖呂さんの事かな。
「行くよ、二人とも」
悠璃さんは威圧を解くと、私を抱き寄せて歩き始めた。
尻尾がふわふわ撫でてきて、さっきまでの緊張が、嘘みたいに消えていった。
屋敷に帰って居間に入ると、私は大きく息を吐いた。体から力が抜けていく感覚にほっとした。
……もー! 緊張したー!
原因は蒼路さんではなく、悠璃さん。
あの時、尻尾が撫でてくれたお陰で強張りは消えた。
でもその後、悠璃さんは尻尾の先で、何もついていない右側の首筋を、こしょこしょしてきたのだ。
しかも、こそっと『こっちにもつけたらどうやって隠すの?』と、言われて、私はもうがちがちに固まった。
一人悶絶してると、お茶を淹れて来てくれた月ちゃん、玖呂さんに連絡をとっていた悠璃さんが、居間に揃った。
そして、すぐに縁側に玖呂さんが姿を現した。
「早いですね玖呂さん」
月ちゃんが玖呂さんの分の湯呑みをとりに行った。
「で、どーした? 何があった?」
悠璃さんと立ち話を始めた玖呂さんの背中にはまだ翼があった。
久しぶりに見たそれは、やっぱりすごく立派で格好いい。
ちらりと目が合うと、玖呂さんがちょいちょいと私を呼んだ。
背中を親指で指して、にっこりする。
どうやら触ってもいいみたいだ。
そっと触れる。
……うわぁ、絹みたいな質感!
なんだろ、触る場所によって質感変わるんだー。
夢中になって触っていると、ふと視線を感じた。
……悠璃さんすっごい笑顔だぁ。
私はそっと玖呂さんから離れて、大人しく座布団に座った。
そうこうしてる内に月ちゃんがやって来て、みんなで座卓を囲んで座った。
「やっぱり俺の事気付いてたか。あいつ本当に人か?」
「怪しいな。あの近さになって何となく分かるくらいだから、相当化けるの上手いやつだよ」
「え! あの、蒼路さんあやかしですか!?」
私の問いに玖呂さんと悠璃さんが視線を交わした。
「それか、ひまと同じ半妖だな」
「純粋な人ではない、と思うよ」
静観していた月ちゃんが手を挙げた。
「そういえば、昔会った時から容姿に変化がありません」
「決まりだな」
玖呂さんが頭の後ろで腕を組んでそう言った。
……決まりなんだ。
え? でもマリさんは……?
知ってるのかな……
頭をぽんぽんと玖呂さんの大きな手で包まれた。
「あの女性は、知らないよ」
「……え、玖呂さんマリさんに会ったの!?」
思わず玖呂さんの服を掴む。
「落ち着けひま。会ったっていうか、見てた」
何となく気まずそうな玖呂さんに、私は首を振った。
そんなの、蒼路さん絡みでちゃんと理由があるからいい。
そんな事より何より――
「マリさん元気そうだった!? どうしてた!?」
ぼたぼたと頬を涙が出て伝う。
「わ、私が……居なくなった事、気にして、なかった?」
一番、心残りだった。
私を支えて、寄り添ってくれていた人。
そんな人に、ただ心配だけを残してしまった事。
マリさんは優しいから、私が居なくなってもそれで終わりとはいかないだろう。
きっと、気にしてしまっている。
嗚咽で言葉が上手く繋がらない私を、月ちゃんが玖呂さんからそっと剥がすと抱きしめた。
「ひまりちゃん、ごめんなさい。私も彼女の報告を受けていました。ですが妖化の絡みもあって、心配で話さなかったんです」
私は無言で首を振った。
「彼女は、ひまりちゃんが居なくなった後、色んな捜索をしたそうです。ですが蒼路さんがそんな彼女を上手く説得——記憶操作かもしれません——して、捜索をやめさせました。今ひまりちゃんは、遠い地で幸せにしていると彼女は思っています」
抱きしめられた体を起こして、月ちゃんを見ると、不安そうに耳が垂れていた。
三人共、絶妙に気まずそうな顔や、耳をしていて思わず笑ってしまった。
一気に空気が和らぐ。
私が相当重くしてたみたい。
「この報告を聞いた時、俺と玖呂は催眠術の一種だと思ってたんだ。まさかあやかしだと思ってなかったからね」
玖呂さんが、そうなんだ、と頷いた。
「あの調合が何かしらを担ってると思っていたんだが、あやかしなら妖術を使ったな。害は無さそうだが」
「害はない……」
「日常生活もしっかりしてるし、性格が変わった感じもないからね」
「マリさんは大丈夫なの?」
「大丈夫だ」
玖呂さんが大きく頷いたのを見て、私の焦りも少しずつ消えていく。
「黙ってて悪かった、ひま」
私は首を横に振った。
「でも蒼路さんは、なんで私の事知ってたのかな……」
「それについてはまだ分からない」
「そっかぁ……」
気にはなるけど、それはもう瑣末な事なのかもしれない。
「ごめん」
そう言いながら、悠璃さんが私の横に座った。
私の目を見つめる彼の目の奥が、不安で揺れているように見えた。
私はそっと頬に触れると、ぴくりと耳が動いた。
「大丈夫です……守ってくれてありがとうございます」
悠璃さんの瞳が段々と濃い色を帯びてくる。
……あ、この瞳の色……気持ちが高まってる時の……
鼓動が早まっていく――
「「んんっ!」」
――二つの咳払いが聞こえた。
ばっと弾かれたように慌てて手を引く私と、舌打ちする悠璃さん。
いとも簡単に流されかけた私は、居た堪れない気持ちでお茶を飲んだ。
今さっきまですごく重い空気だったのに、私は一体何を……
「なぁ、お二人さん。詳しく話せとまでは言わないが、関係性が変わったなら教えろよ?」
玖呂さんが悠璃さんに詰め寄って行った。
そんな玖呂さんを手で押し除けながら、元の席に戻った悠璃さん。
関係性……。
「変わってないよ」
「え? 変わってないのか?」
「変わってないの……?」
驚きの顔で悠璃さんと私を交互に見る玖呂さん。
でも、私も玖呂さんと絶対同じ顔してる。
え、変わってないの!?
私、めっちゃ変わってるよ!?
すごく好きだよ!?
蒼路さんの事も気にはなる。
でも今は――悠璃さんの言葉がモヤっと胸に残っていた。
私は変わった。
昨日までとは比べ物にならないくらい。
なのに悠璃さんは『変わってない』と言った。
——それはどういう意味なんだろう。




