十九章 花びらの理由
屋敷に戻った私と月ちゃん、それに紫苑くんと椿さん。
もう、店閉めちゃえ! と椿さんが半ば強引に仕事を終わらせ、弟を引き連れてきたのだった。
悠璃さんが居ない事に少しホッとしながら、居間で四人、作戦会議を始めた。
「……不服です」
各々飲み物を手に座布団に座ると一番に月ちゃんが、囁く様な声で言った。
ほっぺをぷくっと膨らませた月ちゃんは、耳が少し垂れているのに尻尾は上を向いている。
……これは、どういう感情なんだろう。
「どうしたの月ちゃん?」
狼狽えながら聞いたら、月ちゃんはそっと手のひらを私に向けてきた。
……
……あー!
「はい! 月ちゃん、タッチ!」
小さい手同士のハイタッチは、さっきよりも少し高い音がした。
どうやら私は正解した様で、月ちゃんの尻尾がぶんぶん揺れていた。
でもそこで月ちゃんはぷいっと横を向いてしまう。
「……遅かったので、減点です」
減点とかあるの!?
椿さんはお腹を抱えて笑い、紫苑くんは自分も少し関わってるからか、苦笑いだった。
「さて、じゃあ練習の事なんだけど。みんなから一通り、それぞれ得意な事を教われば良いと思うのよ」
「あぁ、それは良い考えだな」
「そうですね、でしたら私が最初に力の練り方や、呼吸など教えましょうか」
「私と月羽は防護がメインで紫苑が攻めも受けもいけるか――」
「言い方!」
紫苑くんが、椿さんの頭を軽く小突いた。
……言い方? 何?
ちらりと紫苑くんを見ると、少し赤い顔で、俺はノーマルだ! と大きな声で吠えていた。
「もう! 話が途切れちゃったじゃない!」
紫苑くんがまた何か言い返そうとしたけど、椿さんに先手を取られて、口を塞がれた。
「で、玖呂は風を使うのが得意。でも最近忙しそうだからねぇ。となると風使いでもある悠璃様に――」
わたしは遮るように手を挙げた。
「はい!」
「またこの初心者コンビなの! 今度は何?」
あー……これ言うの本当恥ずかしいけど、背に腹は変えられない。
「……悠璃さんといると勝手に出てくるので練習にはならないかと……」
「「「あー……」」」
にやにやしない様に頑張った様な顔の紫苑くんに、思いっきりにやにやしてる椿さん。
無表情なのに、にやりが伝わる月ちゃん。
私はたまらず両手で顔を覆って机に突っ伏した。
「「「まぁ、まぁ、まぁ」」」
「言ってるセリフ一緒なのに、三人ともニュアンス違うよ!」
宥める紫苑くんに、楽しそうな椿さん。
月ちゃんは……ちょっと分からない。
「でも、これだと悠璃様拗ねちゃわないかしら」
「だな、除け者感がすごい」
「私なら拗ねますね」
「俺も」
「あたしも」
そんな事言われても〜!
「う〜……悠璃さんはこんな事で拗ねないですよ……たかが私の練習の事で」
「知らないわよ〜?」
「大丈夫です! 悠璃さんは大人ですから!」
――数日後、私はこの決断を大いに後悔する事になるのだけど、この時はそんな事思いもしなかった。
あれから私は順調に基礎訓練をこなしていた。
月ちゃんから始まり、紫苑くん、椿さんで今日はたまたま時間があった玖呂さんが教えてくれる事になった。
悠璃さんには内緒なので、彼が居ない時に相談するのが少し難しいけど、何とかバレずにやれていたので私は安心していた。
――そう、気を抜いていた……
玖呂さんが来るまでに復習しようと、庭に降りて呼吸を整えていた。
……吸う時は頭の先をイメージして……
吐く時は足の裏から地面に広げる様に……
私は口呼吸しかまだ上手く出来ない。
だから気付けなかった。
悠璃さんの香りがじわじわと、近づいていた事に――
目を閉じて呼吸を繰り返していたら、後ろで人の気配を感じた。
玖呂さん、早いなー。
多少の違和感を感じつつ振り返る。
「はやかったですね、玖……呂……さん」
振り返りざまの言葉は、途中で勢いをなくした。
そして私はじり、と後ろに下がった。
本能が危険を察知したのだ。
いやー! 悠璃さん!
笑顔なのに、何でこんなに怖いの!?
「俺が玖呂に見える〜?」
じり、と私が下がった分、詰めてくる悠璃さん。
「み、見えません」
また下がる私。
「じゃ、何で玖呂? あぁ、例の練習?」
詰める悠璃さん。
「……! な、何で知って!」
「むしろ何で俺にバレないって思ったか教えて欲しいな〜?」
にっこりと、微笑まれるたびに体感温度が下がる……
またまた後ろに下が……れなくて、木にぶつかった。
「あ、あのですね、ちょっと練習をしてまして!」
目の前に悠璃さんが来てしまった。
後ろの木に、背中で縋る様に張り付く私。
怖い、怖い! 笑顔、怖いよー!
ばっと顔を逸らせて、勢いのまま目を閉じると、頬にふさふさした感触が触れた。
反射的に目を開けたら、私は手と尻尾で木にドンされていた。
尻尾ドン!
なんて器用な!
「そんなさ? 目とか簡単に閉じちゃまずいんじゃない?」
片側の口角を上げる悠璃さん。
彼の尻尾が、ふわふわと私の頬を撫でる。
腰が! 抜けそう!
圧と、色気にあてられて私は立っているのがやっと。
悠璃さんは、ちらりと屋敷の方に視線を投げると、ちょっとごめんね? と、私を抱えた。
驚いた頃には木の上――立派な枝の上――に、後ろから支えられる形で座らされていた。
「二人でゆっくり話でもしようよ。最近話をする時間あんまりなかったもんねぇ?」
耳元で聞こえる妙に低い悠璃さんの声に、肩が跳ねる。
いーやー! 無理です〜!
普通横並びでは!
身をよじろうと頑張るけど、私を支える腕はびくともしない。
「いや、あの……ちょっと、この態勢は? どういう……」
「この方が安定して怖くないでしょ?」
もう絶対わざと耳元で喋ってる!
だめ、だめよ、花びらでちゃだめよ!
冷静に冷静に……
「で、何で隠してたの?」
背中を何かが駆け上る様な、未知の感覚に泣きそうになってくる。
我慢我慢我慢……
「理由は?」
「……えーと、何の、でしょう?」
「まだ頑張るんだ。 へぇ〜?」
正直もう負けてます〜!
「ひまり」
低く、甘い、声音に全身が反応する。
心臓なんて、もう破裂しそうで息苦しい。
「――ひまり」
耳に口付けされるんじゃないか、位の距離で聞こえた空気混じりの声に、私は完敗した。
「だって……」
ん? と、意地悪な声に変わった。
「……だって、悠璃さんといると勝手に花びら出てきちゃうんです〜!」
ぶわわわわぁ!と、今まで一番の濃い桃色の桜吹雪。
くるくる回ったり跳ねたりで落ち着きのない花びらたち。
「ほら〜!」
私は顔を手で覆った。
もう半泣きだ。
「……」
黙ったままの悠璃さんの反応は気になるけど、振り返る余裕なんか一つもない。
「……ひゃっ!」
がっと脇を掴まれたと思ったら、体の向きを変えられた。
さっきとは違うにこにこ笑顔の悠璃さんが、あざとく顔を覗き込む。
「ねぇ、それってさ? 花びら、どんな時に出るんだっけ?」
私は耳まで真っ赤になりながら唇を噛んだ。
「あぁ、それはやめた方がいいよ、血がでる」
悠璃さんが親指で、噛んでる方の唇に触れた。
「なっ……何を!」
「血、出ちゃうでしょ?」
挑発的な笑みを浮かべる彼の瞳が、いつもより深い藍色になっていて、揺らいで見える。
「か、噛みませんから!」
そ? と、親指をすっと離してくれた。
え、これ私、死んじゃわない!?
前のめりの悠璃さんは、いつも以上に距離が近くて、少し彼が動くだけで私はびくりと反応してしまう。
すっと悠璃さんの表情が変わった。
深い藍色の瞳は変わらず私を捉えて離さない。
挑発的だった笑みは消えて、どこか鋭さを感じる。
どくどく、と血が巡る音が聞こえる……
「ねぇ、ひまり――さっきの質問の答えは?」
圧倒的な上位者を前に答える以外の選択肢はなかった。
――ずるい!
「……気持ちが」
声が震えてる。
「……溢れた時」
涙がぽろ、と落ちた。
いつもより甘い香りが漂って、桜が咲き乱れた様に、花びらがあふれ始める。
私たちを囲む様に舞い踊る桜。
息を呑む光景に私たちは、目を奪われた。
悠璃さんはそっと花びらを手のひらに載せると、その中から一枚を選んだ。
そして、それにそっと口付けた。
触れるか、触れないかほどの優しさで。
はい、と差し出されたそれを、まだ少し震える手で受け取った。
花びらは、丸みを帯びていて少しだけハートに見えた。
濃くて、綺麗なハートに似た形の花びら。
私は未だ収まらない胸の高鳴りと共に、それをそっと胸に抱えた。
何度も目を逸らしては、また目をそっと合わせあって——そして最後には二人で笑い合った。
胸の奥がどうにもむず痒くて、暖かくて。
私はもう一度だけ、その花びらを胸に抱きしめた。




