十四章 御神木と蝶
あんまり眠れなかった。
あの『ずるい』発言の翌日、私は夜も空け切らぬうちから縁側にいた。
昨日は何をしても散々で、みんなにすごく心配された。
ほんっとに、何をやっても集中出来なかった……!
紫苑くんには『包丁の刃が欠けそう』という理由でまな板も一緒に取り上げられた。
どうしてこんなに心が落ち着かないの?
苦しいの?
なんで、ずるいなんてーー
う〜っと唸りながら、立てた膝に顔を埋める。
「自分でも分からないんだよ〜」
何度目かのため息をついた時、不意に大きな気配を横に感じた。
そっと顔を上げると、お風呂上がりの玖呂さんが座ってた。
片手にはお酒の入ったグラス。
「……おかえりなさい」
「どーした、えらい早いじゃないか。眠れなかったのか?」
頭を優しくぽんぽんされた。
「玖呂さんは珍しいお酒飲んでますね。泡がシュワシュワしてる」
「まぁ、たまにはな」
玖呂さんとの間に涼しげな風が流れていく。
空はまだ黒味が強く、星が輝き続けていた。
「ひま」
優しくて威圧感のない声音に、肩がぴくりと動く。
「今は誰の気配も近くにはないから大丈夫だ」
何があった?
と前を向いたまま玖呂さんが言った。
冷たい風に甘い香りが混ざる。
「分からなくて……」
子供、みたいだと思った。
「今までは……感情がない方が生きやすかった」
「うん」
「でも今は、色んな感情が先に出ちゃって、それに飲み込まれてる……」
私はまた顔を埋めた。この先の話は玖呂さんには見られたくない。
「昨日……玖呂さんと悠璃さんがじゃれ合ってるの見て、ずるい……て思っちゃって」
言ってしまった。
足を抱える手に力が入る。
「ひーま」
楽しそうな声に釣られて玖呂さんを見ると、満面の笑みだった。
思ったのと何か違う。
玖呂さんは固まってる私の頭をまたぽんぽんした。
「そーか! そこまで感情が育ったか!」
お酒を一気に飲むとまた玖呂さんが言った。
「あの感情が初めてなら、まぁ苦しくて驚くだろうなぁ」
大事に育てろよ、言うと玖呂さんは去っていった。
私も何だか眠くなってきて、何かを悩む事なく、今度は朝までぐっすり眠れた。
あれから朝まで眠れた私は、スッキリとした気持ちで、月ちゃんとお買い物に来ていた。
「付き合ってもらってありがとう、ひまりちゃん」
「ううん、私も気分転換したかったから」
新しい帯や、洋服を楽しそうに選んでる月ちゃんをそっと見る。
……きっと私の為なんだろうなぁ。
耳がぴこぴこ動いていて楽しんでる月ちゃんは、私の自慢の親友だ。
「また、いっぱい買ったねぇ月ちゃん」
無表情なりに、ほくほく笑顔の月ちゃんが大きく頷いた。
「これでひまりちゃんとシミラールックしたいんです」
「しみらーるっく?」
「端的に言うと、雰囲気などを合わせたお揃いコーデです」
きらりと目が光る。
もう、私よりも断然詳しくなってる。
「楽しみにしてるね」
「はい。では次は神社にお参りに行きませんか?」
「お参り?」
「少しだけ歩くのですが、そこの神社は桜が御神木なんです」
「へー! 行こう月ちゃん!」
そこの桜は枝垂れ桜なんですよ、と教えてくれた。
しばらく歩いて辿り着いた神社は、馴染みのあるサイズ感の神社だった。
ここに来てから規格外の事がいっぱいあったから、すごく広いの想像してた……
でも鳥居をくぐると、空気がとても澄んでいて、まるで結界の中に入ったかの様な清浄さだった。
私たちは参拝してから奥にある御神木へと向かった。
「す……ごい」
左右に伸びる枝は長く、大きくて、そこから垂れる桜は、まるで枝から溢れて零れ落ちてる様に見えた。
あまりの圧巻さに私はただただ見ていた。
少しずつ近づいていくと、体の芯から何かが湧き起こる感覚があった。
私の髪が風を孕んでぶわりと広がる。
ーーここに来た時と似てる。
私の周りを舞う花びらは、自分のものかそれとも御神木のものか――
慣れた香りに包まれていたら視界に月ちゃんが映った。
耳と尻尾がぴんと立っていて警戒しているのが分かる。
大丈夫だよ、と口を動かすと幾分警戒は和らいでいた。
御神木まであと数歩という所で、それは起こった。
御神木の花びらが大量に舞い私を包んだ。
思わず目を閉じるけど、怖さはなかった。
「ひまりちゃん!」
「大丈夫、月ちゃん! 全然敵意は感じないの」
そう、むしろ――懐かしい、遥か昔に知る繋がり――
全身で歓迎を受けてる気分だなぁ。
知らず笑みが溢れて、気恥ずかしい様な気持ちが湧き上がる。
「何か親戚の人達に抱きしめられるのって、こんな感じなのかな」
花びらの歓迎の気配が治って目を開けると、直ぐそばに月ちゃんが立っていた。
「ひまりちゃん!」
がばっと月ちゃんに抱きしめられた。
「さすがに驚きましたし、心配しました」
静かに離れる月ちゃんの耳も、尻尾もしょんぼりしていてる。
「ごめん、月ちゃん」
そっと頭を撫でると、少し俯いて、怖かったです、と囁いた。
「本当にごめんね、あのね、月ちゃん。この御神木、私と繋がりがあるって分かったの」
それで花びらの大洪水が歓迎の印だと説明すると、みるみる月ちゃんの目が丸くなっていった。
「……そうですか。でも納得しました」
「納得?」
「はい。ひまりちゃんが纏っている香りを直ぐに桜だと勘付いたのは、御神木の香りと似ていたからですね」
「そうなんだ……」
「はい」
そして月ちゃんは改めて私に向き直ると、言った。
「妖化進んでます」
「え!」
「同じ繋がりの桜とまみえた事で、あやかしの血が活性化したのでは」
「え、え、私どうなってるの?」
「気配がほぼあやかしのそれで、見た目も……変わってます」
「そこ気になるんだけど――」
ふっと空気が変わる。
風はないのに、枝垂れ桜がざわざわと揺れている。
月ちゃんの耳が、ぴくりと横を向いた時――
「……あ〜ら、どこからか甘い香りがすると思ったら」
ゆるりと笑みを浮かべた女性が、じっとりとした視線を絡めてきた。
……何? 香りって私?
背中を冷たい汗が一筋流れる。
じゃり……と一歩一歩近いてくる。
「見ない顔ねぇ。それに――狐の子が一緒だとはねぇ?」
さらに一歩近づき、花に触れるように私の髪へ視線を落とす。
「ふふ……こんな可憐な花を隠していたなんて。思わず引き寄せられちゃったじゃない」
「離れてください」
月ちゃんがばっと私を背に庇う。
同時に月ちゃんの優しい香りが広がった。
「結界……」
「もう大丈夫ですよ、ひまりちゃん。伝わったので直ぐに来て下さいます」
私だけに聞こえる様な小さな声。
この世界に来て初めてだ。
見られているだけで逃げたくなる相手は。
視線だけで鳥肌が立つとか……
怖いと、素直に思う。
「ふふ、すごい警戒ねぇ?」
手を顎に当てて小首を傾げる仕草は、人によってこんなに印象が違うのかと思う。
悪女感が半端ない。
「私ねぇ、蝶のあやかしなのよ。だからあなたみたいにいい匂いには、抗えないのよ〜」
結界越しにいよいよ覗き込まれるかという所で――私はふさふさに包まれて空を跳んでいた。
どこかの木に着地した私を後ろから包むふわりとした感覚。その中に、ほんのり温かく懐かしい香りが混ざった。
見なくても分かる。
悠璃さんだ。




