十二章 桜の変化
「まじで何事かと思ったよ」
「えーっと、お恥ずかしいところを……」
炊事場で紫苑くんのお手伝いをしながら、さっきの事を話していた。
「悠璃様の尻尾に包まれて、目を回してたもんな」
「それは……! 言わないで!」
にやりと笑う紫苑くんの、目の前の光景をかき消す様に私は『わー!』と手を振りまわした。
あれは、もうお仕置きと称したご褒美だった。
ご褒美が過ぎて、もうくたくたになっていた所を紫苑くんに助けられた。
それはもう、ものすごーく恥ずかしかった。
私の顔をくすぐる悠璃さんのふさふさ尻尾。
先の方が青くなっているのがすごく綺麗でーー
だめー! 思い出しちゃう……!
「また顔赤くなってない?」
野菜を二人で並んで洗っているから、簡単に顔を覗き込まれる。
にやにやと笑う紫苑くん。
何か……この世界に来てから、私すごく笑ってる。
さっきなんか、久しぶり声を上げて笑った。
「紫苑くん」
「んー?」
野菜を洗う手を止めて、改めて紫苑くんと向かい合った。
「私、今すーーっごく楽しい!」
瞬間、突然現れた桜の花びらがぶわぁっと舞った。
それはひらひら、くるくると、少しの間空中で舞う様に揺れて、ふわりと消えていく。
「「……」」
無言で、そーっと目を合わせた。
「えーーー!」
「何だ! 今の!」
思わず紫苑くんの腕を掴む。
どきどきして手が震えていて、何かに縋りたかったから。
「どうしました!?」
「どうした!」
月ちゃんと悠璃さんが珍しく、足音を立てて飛び込んできた。
「あら」
月ちゃんが口に手を当てて、おかしそうにこっちを見ている。
私は紫苑くんの腕を掴んでいた事を思い出して、慌てて手を離した。
「いや、これは、違うんです!」
あたふたとしながら、何故か悠璃さんに話す私。
……何かいけない事をして言い訳してるみたいになってる!
「何が違うの?」
悠璃さんは、すたすたと私と紫苑くんの間に入って、首を傾げるとそう言った。
いやー!
何かこの状況おかしいよー!
意味もなく焦った私は、ちらりと悠璃さんの奥にいる紫苑くんに助けを求めた。
「あー……」
頭をわしわしと掻きながら紫苑くんが言った。
「さっき桜が舞い上がったんですよ。桜吹雪とまではいかないですけど」
「そ、そうなんです! 二人でおしゃべりしてたら急に桜が――」
そこまで言うと、私を見ていた三人が同じ様に息を呑んだ。
……え、何?
「ひまり」
「は、はい」
さっきまではからかいが強かった悠璃さんの表情が、真剣味を帯びていて目を逸せない。
「目の色が変わってる」
――え、
固まる私に悠璃さんは続けて言った。
「髪も――少し変わってきてる」
後ろで一つに括っていた髪を前に持ってくる。
私はゆっくり視線を下ろして自分の髪を見た。
窓から差し込む光がちょうど私の髪を照らす。
「薄い……ピンク?」
えー……?
――私は完全に固まった。
「つまり、ひまりが『楽しい』と口にした時に桜が舞ったてこと?」
「はい、そうだと思います……」
私たちは今、居間にいる。
食事の準備を一時中断して何が起こったかを説明していた。
でも何かおかしい。
……何か怒られてるみたいになってない?
いつもなら座卓を挟んで座るのに、今は四人で膝を突き合わせる様に座っている。
正確には二人ずつ。
私と紫苑くんが横並びで、私の正面には悠璃さん。月ちゃんはその隣。
何故か私と紫苑くんだけ正座である。
「ひまりちゃんは、私たちとじゃれ合っていた時よりも、紫苑さんとのおしゃべりの方が楽しかったという事ですね?」
月ちゃん、そこかー!
「違うよ! いや、紫苑くんとのおしゃべりも楽しいんだけど!」
私の慌て様に、紫苑くんがちらっと憐れみの目を向けてきた。
「たぶんこいつは、今日までの事をひっくるめての、溢れ出た感情だったと思いますよ」
「へー、紫苑は少ししか一緒にいないのにもうそんな事まで分かるんだ〜?」
「な!? 普通に考えたらそうでしょう!」
「ふーん、へー?」と、空返事を繰り返す悠璃さん。
……う、これ拗ねると面倒くさいタイプだ!
しかも今回は月ちゃんもそっち側に居るから、面倒くささが二倍増しになってるよ!
じりじりと前からの圧に耐えながら、どうしようか考えてたら、前の二人の耳がぴくぴく動いてるのが見えた。
「二人とも面白がってるでしょー!」
「まぁまぁ楽しかったですね、悠璃様」
「だねー。 いや、やめ時なくなっちゃってさ?」
尻尾をゆらゆらさせて、にやりと笑う二人。
もー!
「で、ひまりの変化のだけどね。必要以上に深刻になる事はないよ」
――さっきまで少し怖くて不安だったのにそれが消えている。
そっかー。
……やっぱり優しいなぁ
皆の優しさが私の胸を締め付ける。
だけどそれが心地よくて、幸せな気持ちに包まれた。
「でも悠璃様、ひまりちゃんは後どのくらいまで妖化するのでしょうか」
そうだった、まだ話の途中だ!
急いで聞く体制を整える。
「見る限り、目はもう変化が終わってるかな」
前のめりでじっと覗き込まれて、必然的に私も悠璃さんの目を観察する。
睫毛長いな……
あ、すごい……透き通った青い瞳。
見てると何だか――
「――吸い込まれそうだな」
悠璃さんの耳はぴくりとも動かず、ただ真っ直ぐにこちらを向いていた。
その静けさに、心臓の音まで拾われそうで――
私は無意識に体をばっと後ろへ引いた。
座布団から滑り落ちて畳で膝を擦ったけど、痛みなんて感じない。
び……っくりした。
だって、同じこと……私も思ってたから。
突然飛び退いた私に三人は驚いていた。
――でも私だってそれどころじゃなかった。もう心臓が破裂しそうだし、自分で自分を持て余してる。
視線を逸らしたくても逸らせなくて、胸の奥がじんじんと熱くなる。
赤くなった顔を止められない――
悠璃さんは目を細めて笑うと、優しく視線を外した。
私は息が止まりそうになったのを堪えて、座り直した。
「話を戻すね。今君は、瞳の変化から始まって髪まで来てるよね」
自分じゃわからないので月ちゃんに目をやると、頷いて代わりに答えてくれた。
「ですね。髪はまだ初期段階の様子ですが」
「まだ毛先だけだもんな」
今の今まで空気の様に気配を消していた紫苑くんが、急に出てきた。
横からじっと髪を見られてる気配を感じる。
紫苑くんて、お姉さんがいるから距離感近いのかな?
だけど不快に感じないのは、彼があっさりとした性格だからだろう。
「紫苑さん、近いです」
月ちゃんが私たちの間に手を差し込む。
……最近もこんなのあった気が。
「あ、悪い。綺麗な色だなと思ってつい」
「あなた、ナチュラルボーンタイプですね」
「なちゅ……? 何だ、それ?」
「いえ、何でもありません」
月ちゃん、隠世ネットで色々見てるから何か詳しくなってる!
「こほん!」と悠璃さんがわざとらしく咳払いをした。尻尾がゆら〜りと揺れている。
「後は追々見ていくしかないね。容姿の変化はまだ安心だとして、力が増した時は注意が必要だけどね」
頷く三人。
「月羽、紫苑」
「「はい」」
「力が完全に発現した時は、すぐに結界を展開しろ」
「承知しました」
結界……
不安が顔に出てたのか、悠璃さんはいつもの様に私の顔をあざとい仕草で覗き込んだ。
「だーいじょうぶ。結界は保険だよ」
他の二人もうんうん頷いて、大丈夫だからと私に伝えてくれていた。




