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かくりよ、桜の縁結び  作者: 灯影


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十一章 香りの旅人

 


 宵灯ストリートの端に、ひときわ目を引く屋台がぽつんと灯っていた。


 薄藍色の天幕から吊るされた乾燥花やハーブが、夜風に揺れてかすかに触れ合い、しゃらりと音を立てる。


 甘やかな果実と白檀の香りが混ざり、冷えた空気をやわらかく温めていた。


 カウンターの向こうの男が、ふと顔を上げて私たちを見た。


 旅人のような装いに、革のエプロン。

 肩には道中の埃が少し残り、目元は笑い皺でやわらかく刻まれている。

 見た目は“人”そのものだ。


「今夜だけの調合なんです。試してみませんか?」


 湯気の向こうから差し出されたのは、小さな紙カップ。

 差し込まれた花弁がひとひら、柚子色の液面でくるりと回った。


 それがとても素敵で、少し目を奪われてしまう。


「何してんのー?」


 いつの間にか背後に悠璃さんが立っていた。

 穏やかな声なのに、尻尾も耳もぴたりと動かない。

 あ、これは完全に警戒モードだ、と直感する。


「ハーブティーの試飲ですよ。変なものは入ってないので、そんなに警戒なさらず」


 蒼路と名乗った彼は、にこやかに小さく会釈した。


 そして――


「確かひまりちゃん――でしたよね? マリからよく話を聞いてました」


 と、ごく自然に口にした。


 ……え?

 名前……私と、マリさんの?

 ……何で?


 私が知らない人が、知っている。

 それが妙に怖くて——


 カップを握りかけた手が、宙に取り残された。

 柚子色の湯気が、揺れながら遠く見える。


 そんな私を見て、彼から少しだけ遮る様に、悠璃さんが静かに動いた。


「マリさんと……お知り合い、ですか?」


 私の強張った声に、悠璃さんは彼を見据えたまま、わずかに尻尾を揺らす。


 蒼路さんは唇に淡い笑みを刻むと、


「まあ、あの人には言ってない仕事もあるもので」


 と冗談めかして言った。

 その笑みの奥に、何かがふっと漂う。


「マリは私の妻なんですよ。隠す事でもないですしね。なので私は無害です」


 マリさんの旦那さん……本当、なのかな。


 蒼路さんの声に、悠璃さんの耳がぴくりと動いた。

 それでも視線は外さない。


 数秒の沈黙の後、ようやく肩の力だけが少し抜けた。

 空気がほんのわずかに和らぐ。


 だけど、私はまだ動揺と迷いの残る指先で、差し出されたカップを受け取った。

 近づいた瞬間、蒼路さんの指から微かに草花の匂いが混ざる。


 今まで知らなかった真実と、懐かしいような香りに私の心は酷くざわめいていた。




「珍しい人と出会いましたね。滅多にここには来ないんですけど」

「……じゃあ、月ちゃんはあの人の事見た事あるんだね」

「はい。一度とても香りの良い香を作ってもらった事があります」

「そっか……」


 私たちはあれから三人で屋敷に戻って、居間で休憩をとっていた。


 屋敷までの道すがら、歩くたびあの香りが静かに心に染み込んでいった。


 私は自分の中で、ずっと途切れたと思っていた縁が、まだ続いているのかもしれないと感じて――


「まりさんという方は、お知り合いですか?」


 はっと意識が浮上した。


 視界の隅で、寝転んだ悠璃さんの耳がぴくりと動いたのが見えた。


「祖母が亡くなってから、ずっと親身になってお世話してくれた人で……」


 悠璃さんが体を起こして座り直す。


「それはあのコートの送り主?」

「はい。マリさんと言って、私が今ここに生きているのも彼女の存在が大きいです」

「あの方は人だと思いますが、かなり以前から『こちらとあちら』を行き来しているようですよ、悠璃様」


 悠璃さんは何かを考えるかのように目を閉じた。

 そしてまた目を開けると――ゆっくりと私を見て、すぐに月ちゃんへと視線が移動した。


「逐一報告は要らないけど、ちょっと遅くない?」


 今〜? と、頭をかきながら言う声は軽いのに、その奥にかすかな棘が混じっている。

 月ちゃんは気持ち程度に頭を下げ、淡々と続けた。


「申し訳ありません。通行証も出店証も、正規のもので何も問題はないと思っていたのです。ですが今回、ひまりちゃんとの関連が出てきましたので」


 悠璃さんは片方だけ立てた膝に腕を置いて、玖呂さんを呼んだ。


「どうした?」


 玖呂さんはもう後ろの壁にもたれていた。

 ……全く気付かなかった。


「探ってー」


 軽い一言。

 けれど、その目は氷のように鋭い。

 そんな一面にまだ慣れない私の心臓が、ぎゅっと縮まった気がした。


 玖呂さんは短く『任せろ』とだけ言い、壁から離れると音もなく部屋を出ていった。

 その背中を見送った月ちゃんが、湯気の向こうからふわりと笑う。


「大丈夫ですよ。あの方が無害だと、こちら側でも証明するのも私たちの仕事です」


 それに、と月ちゃんは付け加える。


「悠璃様の本質は優しいので、絶対に悪いことにはなりません」


 その声は湯気と一緒に胸の奥まで染み込んで、緊張が少しほどけた。

 私は小さくうなずき、湯呑みを口に運ぶ。


「……そーいうのって普通、本人居ないところでするもんじゃないの?」


 膝に置いた腕に顔を付けて悠璃さんが言った。


 尻尾が彼の体を包む様に丸まっていて、耳も少し垂れてる……

 ……か、可愛い〜!


「……照れてる〜」


 悠璃さんと月ちゃんの耳が同時にぴんと立つ。

 思わず呟いていた事に気付いて、慌てて口を塞いだものの遅かった。


「ひまり?」と、ゆーっくりと笑う悠璃さんに、私は思わず月ちゃんの後ろに隠れた。


 紫苑くんが早めに屋敷に来るまでの間、私は悠璃さんの尻尾にくすぐられ続けて死にそうだった。


 でもそのお陰でさっきまで残っていた胸の奥の黒いもやが、笑い声と共にどこかへ消えていった。


 

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