十章 椿の謝罪
ここに来て二回目の朝を迎えた日、ようやく朝食の準備という仕事を手に入れた。
と言っても、金銭が発生する仕事ではなく、役割の様な物だけど、それでも私には大きな一歩。
今日は初めてだからと、月ちゃんが迎えに来てくれて一緒に炊事場へ向かった。
「外が明るくなり始める頃に起きますが、ここの人達は朝が苦手なので、もう少し遅くても大丈夫です」
「そうなんだ。じゃあ今日は早すぎ?」
「はい。私はその時間を研究に使ってます」
月ちゃんは、私のドレスをきっかけに洋服に夢中になったらしい。
隠世ネットワークなるシステムで現世の情報まで仕入れ、今やハリウッドセレブにも詳しい。
「ひまりちゃんの専属コーディネーターになりたいです」
「いや、それは……でもちょっと嬉しい」
炊事場に着き、エプロンを付けて準備を始める。時折目が合って笑い合う時間は、想像以上に楽しかった。
片付けを終え廊下に出ると、庭から光が差し込んで陽だまりを作っていた。
その中を通った時、風がすうっと頬を撫でた。
――瞬間、視界の端に薄桃色がひらりと揺れる。
……ん?
「……」
何か髪に……
だけど、その少しの違和感は、少し離れた柱から感じた視線で掻き消えた。
柱にもたれている悠璃さんの狐耳が小さく動き、じっとこちらを見ている。
……いつもある笑顔がそこにはない。
「……何か、ついてます?」
「大丈夫だよ――今は」
今は?
やっぱりさっき何か付いた?
自分を見下ろして確認している間に、悠璃さんは居なくなっていた。
なんだろう、その意味深さ。
胸の奥に、小さなざわめきが音もなく広がっていった。
「霞ほうじラテと、日替わりランチお願いします」
「では、私も同じのでお願いします」
「あれ、いいの? 珈琲じゃなくて」
「はい、今日はそんな気分なんです」
かふぇまにまには、扇子がメニュー表になっていてとてもお洒落。
「かしこまりましたわ、お嬢様方」
にっこりと音が出そうなあの笑顔で椿さんが注文を通しに行った。
私があの悠璃さんとの一部始終を、月ちゃんに話した所『気分転換に行きましょう』と、ここに誘ってくれた。
スイーツを食べに来たのに、がっつりランチを頼んでしまった……
「散歩しながらだったので丁度お腹も空いていい感じですね」
私の心を読む天才、月ちゃん。
「悠璃様の事はお気になさらず。あの人が『大丈夫』と言ったなら大丈夫です」
……すごい信頼してるなぁ。
「悠璃様ですから」
「……月ちゃん、私の心と会話してない?」
微かに片方の口角が上がった。
――そんな表情できたの、月ちゃん!
しばらくして運ばれてきたお料理は、お野菜たっぷりスープと、トーストだった。
「うわぁ、美味しそう! 和風出汁のスープかなぁ?」
日替わりは、メニューに内容が載らないので運ばれてくるまで分からない。
「ひまりちゃん、霞ほうじラテきっと好きですよ。口当たりが本当に蕩ける感じがするんです」
そんな事言われたらワクワクがすごい。
「……本当にふわふわだ!」
ものすごく美味しい。紫苑くんすごい!
二人で楽しく戴いて、デザートの相談をしていたら椿さんがプリンを二つ運んできた。
「あれ? 私達じゃないと思いますよ?」
「ひまりさん」
「――はい!」
椿さんの目が急に鋭く私を射抜く。
「わたくしあなたに謝りたいのです」
思わず首を捻る私。
「……え、と、私別に謝られる様な事は――」
「わたくしは――あなたは排除されるべきだと考えていたのですわ」
排除。
ビクと肩が跳ねた。
ふと、向こうの世界での記憶が頭をよぎった。
――いつまでも馴染めなかった自分の事。
月ちゃんは、真意を探る様にじっと椿さんを見ている。
「なぜならば、悠璃様の側に人間がいて欲しくなかったからです」
でも、と椿さんは続けた。
「あなたは半妖だと聞きました。それも桜の精の」
「……みたいです」
実感はあまりない。
ふ、と椿さんは困った様に眉を下げた。
「それでしたら余計にわたくしは不義理な事はしたくないのです」
私はそっと問い返した。
「桜に……ですか?」
そっと頷く椿さん。
「……わたくし、桜がとても好きなのですわ」
椿さんの視線は窓の外、どこか遠くを見ていた。
「幼い頃、母と夜桜を見に行ったことがありまして……。風に散る花びらがまるで星のようで、その景色が忘れられないのです。母が早くに亡くなった後も、その桜はずっとそこにあり続けてくれました」
「その頃から、桜がとても身近に感じるのですわ」と、見た事のない優しい微笑みを浮かべる椿さん。
……これが本当の笑顔なのかな
「ですから、勝手に色眼鏡でひまりさんを見ていた事、申し訳ありませんでした」
頭を下げる椿さんに私は慌てた。
「大丈夫ですから、頭を上げてください! 私別に何かされたわけでもないし」
そこまで言ったところで椿さんは頭を上げると、今度はまた違う笑みを浮かべた。
「あー、良かった! スッキリしたし、これでもうひまりさんには『こっち』でいけるわ」
からからと笑う椿さんに、私の目は点になった。
だけど、その笑い声に僅かに残っていた強張りがすっと解けた気がした。
「ひまりちゃん、こっちがいつもの椿さんです。すぐ突っ走る困った犬です」
え、と私が固まると、ハッとした月ちゃんが若干大きめの声で言った。
「駄洒落ではないです」
無言で躊躇いなくプリンに手を伸ばす月ちゃん。
「えーっと……有り難くいただきます」
「どうぞ、どうぞ」
展開にちょっと置いてかれてる……
「そういえばひまりさん、紫苑と仲良くなったんでしょう? あの子あんまり友達居ないから仲良くしてやってね」
そう言って笑った椿さんは、優しい姉の顔。
「こちらこそです! お料理も上手でまた教えてくださいとお伝えください!」
紫苑くんとは、飾らない付き合いが出来そうな気がして嬉しくなる。
「これからよろしくね、ひまりさん」
椿さんは颯爽とホールの仕事に戻っていった。
マリさんといい、椿さんといい、かっこよく見えるのは自信を持って仕事をしているからなのかな。
「……羨ましいな」
「働きたいですか?」
口に出てた!?
「出てます、顔に」
「やっぱりいつまでも、居候のままってわけにはいかないじゃない?」
「そこは気にしないでいいと言っても、気にしそうですね」
「そうだね。月ちゃん達みたいに結界に関わったり、そういうあやかしの力がないから余計に焦っちゃうのかな」
口に入れたプリンは、トロトロの柔らかいやつで私の好きなタイプだった。
焦るだけの気持が少しずつ和らぐ。
「仕事探しとか私でも出来るかな?」
「そうですね。自分で何かを始める事も、気持ちがあれば出来ますよ」
「気持ち?」
「要は『気概』ですね。人の世の事は話でしか知りませんが、ここはあちらより緩く、穏やかです。けれど時に、とても無慈悲で冷徹でもあります」
淡々とした月ちゃんの物言いに知らずごくりと喉が鳴る。
「ですが、自分の芯を守る事――ぶれない軸があればそんなものはどうとでもなります。ひまりちゃんには私達がついているので、やりたいと思う事に挑戦すればいいんです」
私はラテで乾いた喉を潤しながら、月ちゃんを見た。
私を見る目は変わらずに温かくて優しい。
「今の私に何が出来るかなんてまだ分からないけど……」
心の奥で小さな――でもゆるぎない炎が灯った。
「何かを見つけたら一番に相談するね」
私が笑うと月ちゃんも、微笑みを返してくれた。
その時私は、何をやりたいかを考えるのに夢中で、月ちゃんが不思議そうに私を見ていた事に気付かなかった――




