第3話 傲慢の罪印
閉じ込められたのは、村はずれの古い倉だった。
穀物をしまうにはもう使われていないらしく、戸板は乾ききって反り、壁の隙間から朝の光が細く差し込んでいる。埃っぽい匂いと、乾いた藁の匂いが鼻についた。手首の縄は後ろではなく前で結び直されたが、解いてくれる気配はない。扉の外には護衛が二人。足音が、じっとそこにいることを知らせ続けていた。
レオンは壁にもたれて座り、何度目か分からない息を吐いた。
村の音は、ここまでかすかに届く。遠くでまだ人の声がする。祭りの日のざわめきの名残だ。けれど、その中にもう自分の居場所はないのだと思うと、耳に入る音の全部が薄く遠かった。
――監視開始。
あの声とも音ともつかない響きは、倉へ連れて来られてからは聞こえていない。聞き間違いだったのかもしれない。そう思いたいのに、聖石へ触れた瞬間の冷たさも、護衛の手甲に散った白い火花も、妙に鮮明に残っていた。
扉の向こうで、誰かが立ち止まった。
「レオン」
カインの声だった。
護衛の一人がすぐに応じる。
「近づくなと言われている」
「声をかけるだけだ」
「それも駄目だ」
「だったら神官を呼べ。本人に話がある」
「カイン・ベルナード」
今度は別の声がした。年長の神官だ。
外の空気がぴんと張る。
「お前はもう、自分一人の身ではない。軽々しく異端へ関わるな」
「異端って何なんですか」
カインの声は、朝より低かった。怒鳴ってはいない。怒鳴らないようにしている声だった。
「罪印が出た。それだけで、あいつはもう人じゃないみたいな扱いを受けるのか」
「扱いではない。定めだ」
「何の定めです」
少しの沈黙。
その間が、かえって答えになっていた。
「……古い記録では」と神官がようやく言う。「傲慢は、神意を拒む印だ。加護を受け取るのではなく、撥ねのける。秩序へ従わず、周囲を災いへ巻き込む」
「記録では、って」
「実例は少ない。だからこそ厄介なのだ」
「少ないのに、そこまで決めつけるのか」
「少ないからこそ、早く処理せねばならん」
処理。
やはりその言葉を使うのか、とレオンは思った。
倉の壁は薄い。向こうの沈黙も、呼吸も、わりとはっきり伝わる。カインはしばらく黙っていた。たぶん、何を言ってもここでは負けると分かっているのだろう。それでも引かない足音だけが、そこに残っていた。
「……本人に会わせてください」
「ならん」
「一言だけでいい」
「ならん」
神官の声は短く、容赦がなかった。
やがて足音が少し乱れた。カインが前に出ようとして、護衛に止められたのだと分かった。戸板の向こうで靴底が石を擦る音がする。拳でも握っているのだろう。レオンには、その姿が見えなくても分かった。
「レオン。まだ諦めるな」
最後に落ちてきたその声は、無理に押し殺したぶんだけ、かえって痛かった。
レオンは目を閉じた。
諦めるなと言われても、何をどう諦めなければいいのか分からない。ただ、その一言だけで胸の奥にひびみたいなものが広がる。ここで希望を持つのは、かえって惨めだ。そう思うのに、完全には捨てきれない。
昼が近づく頃、扉が開いた。
差し込んだ光に目が慣れるまで、一拍かかった。入ってきたのは村長と年長の神官、それに若い神官だった。若い方は祈祷書を抱えたままで、まだ顔色が良くない。
「立て」
護衛に促され、レオンはゆっくり立ち上がった。
村長は正面に立ったまま、しばらく口を開かなかった。普段のよく通る声が今日は見当たらない。喉の奥に沈んでいるようだった。
「……レオン」
名前だけが先に出る。
その呼び方が、妙に昔のままだった。幼い頃、畑の脇で転んだときに呼ばれたのと同じ調子だった。だからこそ、次に来る言葉が、余計に残酷になるのが分かった。
「まず、落ち着いて聞いてくれ」
人は良くない話をするとき、まず落ち着けと言う。
「神殿使節と協議した」と村長は言った。そこから先は、自分の口では続けにくいのか、年長の神官へ視線をやった。
神官が前へ出る。
「傲慢の罪印は、この村のような小さな共同体では抱えきれぬ。神殿本部への報告も必要になる。よって、お前は当面、村の外で待機せねばならん」
待機。
言い換えだった。
追放という言葉だけを、まだ使っていない。
「当面って、いつまでですか」
自分でも驚くほど、声は乾いていた。
「判断が下るまでだ」と神官が言う。
「その判断って、誰がするんですか」
「神殿だ」
「じゃあ、俺はここで何もしないまま、神殿が決めるのを待つだけですか」
「そうだ」
あまりにも迷いのない返答で、逆に少し笑いそうになった。
レオンは村長を見た。せめてこの人だけでも、違う顔をしてくれないかと思ったのかもしれない。だが村長は、視線を逸らしたままだった。
「家には戻れない」
村長がようやく絞り出すように言う。
「お前を置いたままでは、村ごと疑われる。神殿に逆らえば、ここの加護祭も、水路の更新も、全部止まるかもしれん。わし一人の情で決められる話ではない」
それは、たぶん本当だった。
だからこそ残酷だった。
神官が怖いわけでも、レオンが憎いわけでもない。ただ、村を守るために切り捨てる。その理屈が間違っていないぶんだけ、逃げ場がなかった。
「父さんと母さんは」
村長の眉が、わずかに動いた。
「奥方には伝えた。……泣いておられた」
その一言が、何よりきつかった。
怒られた方がまだよかった。泣かれるのは駄目だ。自分が何を壊したのか、形になって見えてしまう。
若い神官が祈祷書を開き、ためらいながら口を開く。
「罪印持ちは、管理下を離れると危険性が増すとされています。特に傲慢は、外部干渉の拒絶――」
「余計なことは言うな」
年長の神官が遮る。
若い神官は口を閉ざした。だが今の一言だけでも十分だった。
外部干渉の拒絶。
あの白い火花のことか。
やはりこの連中は、まったく知らないわけではない。
「今日の日暮れまでに村を出ろ」
今度は村長が言った。
追放、という言葉は最後まで使わなかった。
けれど意味は変わらない。
「荷は最低限だけ持たせる。街道の分かれ道まで、護衛を一人つける。その先は……」
そこで村長は言葉を切った。
その先は、お前一人で何とかしろ、ということだ。
レオンはしばらく黙っていた。
怒りはあった。怖さもあった。何かを壊したいような気持ちも、一瞬だけ喉までせり上がった。けれど最終的に出てきたのは、意外なほど平板な声だった。
「分かりました」
村長が顔を上げる。
拍子抜けしたような顔だった。
「……分かるのか」
「分からなくても、もう決まってるんでしょう」
村長は答えなかった。
答えられなかったのだろう。
レオンはそこで初めて、はっきりした怒りを感じた。神官にではない。村長にでもない。決めたくせに、自分で決めた顔をしないことに対してだ。
だが、その怒りを今ここでぶつけても意味はない。ぶつけた瞬間に、向こうの思う通りの危険な異端になる気がした。
それだけは嫌だった。
「……一つだけ」
レオンが言うと、三人とも小さく身構えた。
その反応が、少し可笑しかった。
「母さんには、俺から挨拶させてください」
村長はすぐに頷かなかった。
年長の神官が先に言う。
「接触は――」
「必要です」
今度は村長が強く言った。
ようやく、村の大人の声だった。
「家族への別れも許さぬほど、ここは獣小屋ではない」
神官は不満そうに口を閉ざした。
それを見て、レオンはほんの少しだけ息をつけた。まだ全部が終わったわけではない。せめて家を出る前に、母と話せる。それだけでも違った。
三人が倉を出ていく。
扉が閉まる寸前、若い神官だけが一度振り返った。怯えと、好奇心と、言いようのない不安が混じった目だった。あれはきっと、神話の怪物を見る目ではない。記録の中にしかいないはずのものを、現実で見てしまった目だ。
扉が閉まる。
静寂が戻る。
レオンはその場にもう一度座り込んだ。
日暮れまでに村を出る。
それが今、自分に与えられた人生だった。
しばらくして、また耳の奥で、あの微かな音がした。
石を擦るような、乾いた音。
言葉とも呼べない響きが、その奥に混じる。
――隔離完了。
――観測継続。
レオンは息を止めた。
今度ははっきり聞こえた。
意味まで、分かってしまった。
誰もいない倉の中で、レオンはゆっくり顔を上げる。
自分の知らない何かが、まだこちらを見ている。
しかもそれは、聖石の中だけでは終わっていない。
そして、それ以上に嫌だったのは、もう一つの確信だった。
日暮れまでに村を出ろ。
それはつまり、日暮れまでのあいだは、まだこの村の中にいなければならないということだ。
あの広場で一度壊れたものを抱えたまま、
家へ戻り、母に会い、
自分がもうここにいられないと、自分の口で言わなければならない。
その現実の方が、耳の奥の異音よりもずっと重かった。
この村を出る前に、たぶんもう一度、何かが起きる。




