36話:私の海が何か変(浜辺みちる)
何かが変だ。
ざざん、と揺れる波の中に体を預けて約五年が経過した。
波に乗ることは、自然と一体となること。サーファーであれば決まり文句に近いこの感情に魅入られ、また実際に感じたことで、私自身サーフィンにのめり込んでいた。
「ハマちゃん! 大丈夫?」
藤沢の沖の顔見知りが、波に乗りかけ転倒した自分に大きく声をかけた。
「大丈夫ですっ」
足につながれたリーシュを確認し、ボードが近くにあることを確認する。
──何故だろう。
いつもならば、この程度の波に乗れて当然であった。しかし、この夏の波は何かが違うのだ。
ぷかぷかと浮き、次の波を待つ。しかし自分が乗りこなしていた「ほどよい」波が、来ないのだ。
そしてその波が来たとしても、浜に向かい一定方向に進むことはなく、まるで見えない壁にぶつかるかのように、複雑にうねり始めボードをかすめていく。
「ちくしょう」
結局、朝の十時ごろとなり、人が増え始めたことを確認し、丘へ上がった。
「何でだろう」
更衣室でウェットスーツを脱ぎ、シャワーで潮を流す。
お腹をつまむが、別に今までと感触は変わっていない。太ったわけじゃないんだ。
じゃあ、やっぱり。更衣室を出て、大きなリュックを背負い、ボードを横に担ぐ。ぼんやり視界に映るのは、巨大な白いコンクリートの塊であった。
──シリウスインダストリー。
一昨年くらいからその企業の工場の建設が進んでいた。そして原因はこれだと思っている。あの巨大な機械の集まり、クレーンが蠢く工場のせい。テレビか何か忘れたが、あの工場が動き出した時のVTRで茶色っぽい排水をとてつもない量を出していたり、工場を守るためにテトラポットを無数に敷き詰めているのを見た。
ボードを、ビーチボーイズに置いておくため階段を登る。じりじりとただでさえ黒い皮膚が焼かれる。
「店長おはようございます」
「おー!ハマちゃん! おはよう! いい波のれた?」
「うーんまあ。ぼちぼちだね」
「ぼちぼち! ん。ボチボチって日本語でいい言葉だっケ?」
「店長。ボチボチは、イマイチ。ええと、そんなに良くなかったってこと」
「オーイェス。それは残念だったね」
たくましい巨大な腕を上げ、頭を抱えた。
店長はここに来てから日が浅いらしい。というよりも日本に来てからも日が浅いという。
自分がこの店にバイトとして来たのは、高校生に上がり、本格的にサーフィンをし始めようとした時に、偶然バイトを募集していたこと。立地もよかったからだ。
そのことを彼に伝えるととても喜び歓待してくれた。夏休みなったら、朝にサーフィンをして、昼に働き、終わった頃再び波に乗る。そして家に帰るの繰り返しであった。
そして何よりも、この店は全く混まない。海外の人が訪れるケースが多く、地元の人はあまり見たことがない。だからこそ、、面倒な同級生にバレることもないし、忙しくもないから助かるところだった。
「あ。そうだ! ちょっとハマちゃん良いかな?」
「はい。なんですか?」
エプロンをかけたところで、エビを仕込み中の店長に声かけられる。
「ちょっとお願いがあるんだよね」
「お願い……?」
「そうそう。あのさ。ほら。ハマちゃんと仲が良いちーちゃんとかって、シンブンブだっけ?」
「うん。新聞ね。学校のニュースペーパーを作るやつ」
「アサタローいるよね」
「え? 浅倉くん?」
思いがけない人物の名前がでてきた。
「そう。アサクラ。彼のことちょっと調べて欲しいんだよ」
「──どういうこと?」
「イヤイヤ。特に深い意味はないんだけどさ。彼のファザーが、あの工場を作ったんだよね」
──浅倉くんのお父さんがあの工場を作った?
「店長、それってどういうこと?」
「お。話に乗ってくれるのカナ?」
真っ白な歯を光らせ店長は笑う。
自分はこくり、と気づかず頷いていた。




