第三十三章 見てる人がいない
第三十三章 見てる人がいない
木曜日の昼休み、直樹は弁当を食べ終えると、スマホへ短く打ち込んだ。
『今日、来られる?』
向かいにいた野田のスマホが鳴った。
「いるよ」
「今じゃなくて、夜」
「分かってる」
野田は画面を見ずに答えた。
久世も頷き、武藤は仕事が延びなければと言った。
実は口の中のご飯を飲み込んでから、返事を打った。
『行けます』
直樹のスマホが鳴った。
野田が笑った。
「口で言えばいいじゃん」
「みんな、こっちに書くのかなと思って」
実はスマホをしまった。
直樹は自分の画面を見た。
五人の名前が、同じところに並んでいた。
*
その日の仕事は、予定通り終わった。
帰りにスーパーへ寄ったが、直樹は何を買ったか、半分くらいしか覚えていなかった。
部屋へ戻ると、机の上の本をまとめて動かした。
「何か思いついた?」
野田が聞いた。
「ちょっと」
直樹は紙を広げた。
水。
中を見る。
本人が出す。
久世が自分の鞄を床へ置き、その三つを読んだ。
「杉浦さんが、中が濡れていると知ったら、持ち出すってことですか」
「うん。大事なものなら」
直樹は頷いた。
「扉を開けるのも、運び出すのも、本人がやる。俺らが金庫を壊すんじゃない」
武藤は紙を見ていた。
「水が入るかどうかは、別として?」
「別として」
直樹は答えた。
野田が床へ座った。
「そこは、まだ分からないからね」
「うん。今は、出したあと」
直樹は、本人が出す、の先へ線を引いた。
その先は空白だった。
*
「出したら、見るの?」
実が聞いた。
「見る。そこに何があるか」
「僕たちが?」
「うん」
直樹は答えた。
実はもう一度、紙を見た。
「見て、おうちに帰る?」
直樹はペンを持ったまま止まった。
野田が少し笑った。
「それだと、調べただけだね」
直樹は線の先へ、見る、と書きかけた。
書かずに、ペンを置いた。
「俺らが見ただけじゃ、また同じか」
武藤が頷いた。
「写真を撮るなら、近くじゃないと。坂からの動画も、中身までは分からなかったし」
「近づけば、気付かれるよね」
野田が言った。
久世は机の真ん中を見ていた。
「書類があったとして、その場で読めるとも限らないです」
「金が出てきたって、家に自分の金を置いてた、で終わる」
直樹は言った。
考えている間は、うまい案に思えた。
本人に開けさせれば、その先は何とかなる気がしていた。
だが、出てきたものを見られなければ、何も変わらない。
杉浦は乾かして、またしまえばいい。
「見てる人が、いないんだ」
直樹は呟いた。
*
野田が買い物袋から肉を出した。
「とりあえず、冷蔵庫入れるよ」
「ああ、ごめん」
直樹は立ち上がり、炊飯器を見た。
まだ、炊き上がるまで時間があった。
実が野菜を流しへ持っていった。
武藤は窓の外を見ていた。
「あの家、外からだと庭の奥、ほとんど見えないですよね」
「塀も長いし」
直樹が答えた。
「大きい家、面倒だな」
久世が動画の画面を開いた。
杉浦の庭が、明るい光の中で映っていた。
「この撮影なら、近くまで行ってますけど」
「カメラ連れて行って、見せてくださいって?」
直樹が聞くと、久世は首を振った。
「無理ですね」
野田が台所から顔を出した。
「人に見せるのは、好きなんだけどね。鯉と庭は」
実が水を止めた。
「蔵は、見せたくないんだ」
「そう」
直樹は紙へ目を戻した。
「見せたいとこだけ見せてる」
*
野田が冷蔵庫を閉めた。
武藤はまだ、窓の外を見ていた。
「人って、何かあれば見には来ますよね」
「何かって?」
直樹が聞いた。
「前に、泊まった先で花火が上がったことがあって。音がしたから窓を開けたら、隣の部屋の人も、その隣も見てたんです」
「大会?」
「あとから調べたら、旅館の催しでした。知らなかったから、何だろうと思って」
武藤が窓から離れた。
「外にも人が出てました。みんなスマホ向けて」
直樹は机の紙を見た。
見てる人がいない。
その言葉の下で、ペンが止まった。
「花火か」
*
「杉浦んちの方で、急に花火が上がったら」
直樹が言うと、野田が顔を向けた。
「目立つだろうね」
「近所の人、出てくるよね。何やってるんだって」
武藤が頷いた。
「音がしたら、見ると思います」
「でも、その人たちが、蔵の方まで見るとは限らないですよね」
久世が言った。
直樹は頷いた。
「花火を見に来るんだからね」
「じゃあ、書類は誰が撮るの」
野田が聞いた。
「俺ら」
直樹は答えた。
実が水を止めた。
「僕たちも、近くに行くんだ」
「うん。杉浦が出したものを、ちゃんと撮る。そのために、人がいてほしい」
直樹は紙へ、撮る、と書いた。
「二人で蔵を見てたら、何してるってなるでしょ。でも、あっちもこっちも人が来て騒いでたら、杉浦だって俺らだけ見てられない」
武藤は紙を見ていた。
「花火だけ見て、帰る人もいますよ」
「いると思う。全員に何かしてもらうつもりじゃないよ」
「撮ってくれる人がいなかったら?」
「だから、俺らが撮る」
直樹は武藤を見た。
「見知らぬ誰かが、都合よく証拠を撮ってくれる話にはしない。そこまで小説みたいにはいかないでしょ」
野田が少し眉を上げた。
「三浦さんが言うんだ、それ」
「俺だって、多少は考えるよ」
「多少ね」
直樹は言い返しかけたが、紙の文字を指した。
「それを持って帰って、外に出す。SNSに載せれば、杉浦がまた蔵へしまっても、写真は残る」
久世が顔を上げた。
「その場で、全部読むのは無理だと思います」
「読めなくても、撮ってあればあとで見られるよね」
「写っていれば。数字や文字が見えない写真だと、確かめられないので」
直樹は頷き、撮る、の下へ線を引いた。
武藤が自分のスマホを机へ置いた。
「載せるのは、帰ってからでもいいですよね」
「うん。そこで立ち止まって、文章考えてる場合じゃない」
「三浦さん、長くなりそうだし」
「説明は必要でしょ」
「帰ってからで」
直樹は武藤を見て、それから頷いた。
「帰ってから」
実がざるへ野菜を移した。
「みんな、帰ってくるんだね」
野田が顔を向けた。
「そりゃね。そこに残ってても困るし」
直樹は、撮る、の先へ線を引いた。
帰る。
外へ出す。
まだ、どこまでできるかは分からなかった。人が来たからといって、蔵に近づけると決まったわけでもない。
それでも、出したら何とかなる、と思っていたときとは違った。
「写真を撮れなかったら、花火で騒がせただけだよ」
野田が言った。
「うん。そこは、失敗」
直樹は答えた。
「誰かが何とかしてくれるのを、待つんじゃない」
野田は紙を見て、短く頷いた。
「先に告知は、しないんですよね」
久世が聞いた。
「しない。杉浦に知られたら、始める前に終わるし」
直樹は答えた。
「花火が上がって、何だって人が出てくる。まずはそれ」
武藤が窓へ目をやった。
「花火の動画は、上げる人もいるでしょうね。何やってるんだって」
「いるかもね。でも、それはその人がすること」
直樹は机の紙を少しずらした。
蔵から物を持ち出している杉浦。
突然の花火。
何事かと外へ出てくる人たち。
自分たちも、その中にいる。
「あとで、あの家に誰も来なかったことには、できなくなる」
野田が言った。
武藤が小さく息を漏らした。
「相当、怒るでしょうね」
「怒るだろうね」
直樹も笑った。
*
「でも、花火って、どうするの」
野田が聞いた。
直樹のペンが止まった。
「売ってるやつじゃ、すぐ終わるよね」
「花火大会みたいなやつなら、俺は作れないよ」
「うん。分かってる」
「上げるのだって、俺が機械を直せるのとは別だから」
直樹は頷いた。
久世がスマホへ目を落としかけ、やめた。
「頼めば、お金もかかりますよね」
「まず、頼める話じゃないと思いますけど」
武藤が言った。
机の上には、スーパーの値引きのシールがついた肉があった。五人とも、それを見ないようにしたわけではなかったが、しばらく黙った。
実がざるを置いた。
「亮太さんのお爺さん、もう花火は上げないんだよね」
野田が顔を上げた。
「田辺さんとこの?」
「うん。綺麗にして、しまうって」
「……うん」
野田は自分の鞄を見た。
「誰?」
直樹が聞いた。
「田辺亮太。前に話した花火屋さんの孫。大山さんも、うちで会ったんだ」
野田は答えた。
「お爺さんが源次さんっていうの。あの機械、もう返したんだけど」
野田はスマホを取り出した。
「古いのに、ちゃんと動くようになったって。源次さんが喜んでたって、亮太から連絡が来た」
「直ったんだ」
実が笑った。
「うん。蓋も綺麗になってたってさ」
実は自分の手を見て、指を軽く握った。
野田は画面を開いた。
返したあとに送られてきた写真があった。作業場らしい場所で、源次が箱の前に座っている。蓋に片手を置き、カメラの方を見ていた。
その下に、亮太からの短い礼が残っていた。
「家族だけでやってるところでさ。仕事がなくなって、店じまいするんだって」
直樹はスマホを覗き込みかけたが、野田がまだ自分の方へ向けているので、途中でやめた。
「その人に頼むの?」
野田はすぐには答えなかった。
あの日、作業台の前で俯いた亮太の顔を思い出していた。
俺は、まだ家にいてほしいんですけどね。
「……まず、亮太に今どうしてるか聞いてみる」
野田は言った。
「引き受けるかもなんて、分からないからね」
「うん」
直樹はペンを置いた。
炊飯器が鳴った。
実が丼を取りに立ち、武藤は机の紙を端へ寄せた。
野田は短いメッセージを打った。
『機械、その後どう?』
送ってからスマホを伏せ、肉のパックを持って台所へ戻った。




