第三十章 一回くらい、困ればいい
第三十章 一回くらい、困ればいい
月曜日、直樹は昼休みのあいだ、何も読まなかった。
弁当を食べ、麦茶を飲み、机の上の木目を見ていた。
「本、忘れた?」
野田が聞いた。
「あるよ」
「読まないんだ」
「考えてる」
野田は直樹の弁当を見た。
「卵焼き、落ちそう」
直樹は箸で押し戻した。
テレビでは、町の催しを紹介していた。
杉浦は映っていなかった。
それでも、あの顔が出てきそうで、何となく見てしまった。
武藤が弁当箱を閉じた。
「今日、帰りに寄っていいですか」
「うん」
直樹はすぐに答えた。
*
午後は持ち場が一つずれた。
普段と違う向きで箱を置くので、直樹は何度か手を止めた。
慣れた順番が変わると、同じ仕事でもやりにくかった。
隣の従業員が、空の袋を指した。
「三浦、こっち、先」
「あ、はい」
直樹は箱を脇へ寄せた。
「ぼんやりしてんな。昨日、遊びすぎたか」
男が笑った。
直樹は手元へ目を戻した。
何もしていない時間にも、こんなふうに言われる。
そう思ってから、今日は考え事をしている時間が多いのも本当だと思った。
箱を組み、数を揃える。
作業場の音が続いた。
*
夕飯は、野菜炒めになった。
実が大きなキャベツを持ってきたので、半分使ってもまだ多かった。
武藤が皿へ取り分け、野田は肉の入ったところを探した。
「肉、少なくない?」
「人数で割ったら、こんなもんだよ」
直樹が答えた。
「三浦さん、買ってないけどね」
「米出してる」
「はいはい」
野田はキャベツを取った。
久世が鞄から紙を出しかけ、まだ机の上に皿があるのを見て戻した。
直樹は飯を一口食べた。
「杉浦、知らないわけじゃなさそうだね」
四人の箸が、少しゆっくりになった。
「野田さんの聞いた話と、工事の予定と、夜の車」
直樹は指を折った。
「別々のことだって言う方が、無理がある気がする」
「あの場所へ入ったものは、見ましたしね」
武藤が言った。
久世も頷いた。
「僕も、そう思います。ただ、人に説明できるものとは別なので」
「うん。それは分かってる」
直樹は皿を真ん中へ戻した。
実が箸を伸ばし、残った肉を一つ取った。
*
「で、どうする?」
野田が言った。
「このまま、毎週見るの?」
直樹は口を閉じた。
工場へ行く。
休みになったら、工場跡へ行く。
ノートのページだけは、増えていく。
その向こうでは、地面が少しずつ平らになっていた。
「そのうち、見ても分からなくなるね」
実が言った。
「土かけたところ」
「うん」
直樹は頷いた。
初めて見た、灰色や白色の混ざった山は、もうほとんど見えなかった。
杉浦は町を整備した人として、またテレビへ出るのだろう。
直樹は口の中のものを飲み込んだ。
「あいつ、一回くらい困ればいいのに」
野田が顔を上げた。
「杉浦さん?」
「うん」
直樹は空の皿を見た。
「あんなに偉そうに、町のため、町のためって。自分が何してるか、人前で説明すればいいじゃん」
武藤が箸を置いた。
「説明は、上手そうですよ」
「そこなんだよ」
直樹も箸を置いた。
「俺らがあれこれ言っても、向こうが立派な言葉で喋ったら、そっちを聞くでしょ」
「三浦さんも、結構喋れるけど」
野田が言った。
「俺が喋っても、みんな聞いてないじゃん」
野田が声を出して笑った。
武藤も、少し口元を緩めた。
「そこは、分かってるんですね」
「さすがにね」
直樹は答えた。
*
皿を片付け、机を拭いた。
久世が紙を出した。
野田の聞いた言葉と、二つの会社の名前が書いてあった。
「これで、世の中よくしようとか、別に思ってないんだよ」
直樹は言った。
「杉浦がいなくなっても、ほかに同じような奴はいるだろうし」
武藤が頷いた。
「全部調べてたら、休み、なくなりますね」
「仕事もあるし、本も読みたいし」
直樹は棚を見た。
買ってから開いていない本が、いつもより多かった。
「でも、目の前でこれやってるのを見ちゃって、ああそうですかって帰るのも、何かつまらない」
野田が紙へ肘をつかないよう、両手を膝へ置いた。
「悪戯したいってこと?」
「そう」
直樹は頷いた。
「でかいやつ」
実が少し首を傾げた。
「杉浦さんに?」
「うん。お仕置きだべ、って」
野田がまた笑った。
「何で、だべ」
「そこはいいだろ」
久世は紙の上を見ていた。
しばらくして、口を開いた。
「困らせるなら、本人が隠したいものが見えたとき、ですよね」
直樹は久世を見た。
「そう。それ」
久世は少し顔を下げたが、続けた。
「工事の会社だけが悪いことにしても済まないもの」
「杉浦が知ってて、金も貰ってるって分かるもの」
武藤が言った。
直樹は頷き、紙を真ん中へ寄せた。
*
「盗むの?」
実が聞いた。
直樹は首を振った。
「金を盗んでも、あいつの悪事は分からないよ」
「見つけて、撮るとか」
野田が言った。
「蔵の中、まだ分からないしな」
直樹は鞄の文庫本へ目をやった。
掘った土の行き先は、今日も書かれていないはずだった。
「でも、人が入れないようにしてるんだよね」
武藤が言った。
「蔵なら、そりゃ戸締まりは」
「何が入ってるかは別にして。誰でも持っていけるところには、置かないでしょ」
直樹は頷いた。
松岡の話では、杉浦は蔵のことを自分でやりたがる。
航平が見たときも、自分で入って、自分で金を持ってきた。
実がコップを持ち上げた。
「杉浦さんなら、出せるんだね」
直樹は顔を上げた。
「うん」
実は麦茶を飲んだ。
直樹は紙の端へペンを置いた。
自分たちが入る。
自分たちが開ける。
そこばかり考えていた。
「……本人が、出したくなることって何だろう」
野田が顔を向けた。
武藤も紙から目を上げた。
久世が、机の真ん中に残っていた菓子袋を端へ寄せた。
「金を払うときは、出すよね」
野田が言った。
「でも、渡す分だけ」
直樹は答えた。
「もっと、出しておきたくなる理由」
五人はしばらく黙った。
直樹は時計を見た。
今日はまだ、帰るまでに少し時間があった。
新しい紙を一枚、机へ置いた。




