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馬鹿者どもが夢の跡  作者: もちむぎ


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第二十九章 聞こえた言葉

第二十九章 聞こえた言葉


「じゃあ、あの蔵から持ってきたんだ」


 直樹が言うと、野田は頷いた。


「入って、出てきたときには封筒を持ってた」


 机には、実が買ってきたせんべいがあった。


 武藤は一枚を半分に割り、久世は野田の話を聞いていた。


「工事の社長は?」


「庭の入口で待ってた。そのあと二人で家に入った」


「何か渡してた?」


「見てない。そこまで、ずっと見てたわけじゃないし」


 直樹は頷いた。


 野田の父親が領収書を書いている間、野田は工具を車へ戻していた。


 社長の鞄が膨らんでいたかどうかなど、分からなかった。


「蔵から現金が出てくるのは、分かったね」


 武藤が言った。


「庭の支払いも、そこからなのかな」


「ありそうだけど、松岡さんはそこまで言ってなかった」


 野田が答えた。


 直樹は、白い建物のある方を思い出した。


「銀行みたいに使ってるのか」


「自分の家の中だから、その方が楽なんじゃない?」


 野田がせんべいを取った。


 実が袋を押さえ、取りやすいようにした。


「あの鯉、車が買えるんだって」


 野田が言った。


 実の手が止まった。


「一匹で?」


「うん」


 直樹は自分の部屋を見回した。


 本棚を全部売っても、車は買えそうになかった。


     *


 池の設備の作業は、翌週の土曜日になった。


 専門の業者が機器を確認し、野田の父親は頼まれた部分を引き受けた。


 野田も工具を運び、取り外した部材を順番にまとめた。


 前より人が多かった。


 誰がどこで何をしているかを確かめないと、同じものを二度運ぶことになった。


「航平、それ、まだ使う」


 父親に言われ、野田は箱を持ったまま戻った。


「こっち?」


「ああ。そこ置いといて」


 池の水面には、空と木の枝が映っていた。


 鯉は、人が近づくとゆっくり集まった。


 野田は写真を撮りたくなったが、スマホは出さなかった。


     *


 昼前、杉浦が庭へ出てきた。


 父親が作業の進み具合を説明する。


 杉浦は機器の方へ顔を向けた。


「今日中に終わるな?」


「今のところは。最後に動かして、確かめます」


 業者の男が答えた。


 杉浦は頷き、その場を離れた。


 しばらくして、電話の声がした。


 野田は空いた箱を車へ戻すところだった。


 家の角を曲がりかけ、足を止めた。


 通り道の先で、杉浦がスマホを耳へ当てていた。


「その時間じゃ、昼の連中が残ってるだろ」


 野田は箱を持ち直した。


 先へ行くには、杉浦の前を通る必要があった。


「夜にしろと言ってるんだ。何度も言わせるな」


 声が強くなった。


 野田はその場で、工具箱の留め具へ目を落とした。


「町の下見までに終わらせろ。運ぶ方の都合は、お前がつけろ」


 杉浦が庭の方を振り返った。


 野田と目が合った。


 野田は軽く頭を下げた。


 杉浦は何も言わず、向きを変えた。


 野田は横を通り、車へ箱を置いた。


 荷台の端に、父親の手袋があった。


 落ちないところへ寄せてから、庭へ戻った。


     *


 作業は午後までかかった。


 野田はいつもより、父親の声を聞き返した。


 別のことを考えていた。


「お前、今日、眠いのか」


 父親が言った。


「ううん」


「なら、こっち見て」


 野田は手元へ目を戻した。


 終わった機器を動かすと、先週とは違う音がした。


 父親も業者も、しばらく黙って聞いていた。


 野田はそのときだけ、ほかのことを忘れた。


「大丈夫そうですね」


 業者の男が言った。


 野田は頷いた。


 松岡が池の向こうから歩いてきて、ようやく静かになったな、と笑った。


     *


 夕方、野田が直樹の部屋へ行くと、ほかの三人も来ていた。


 直樹は野田の顔を見て、本を閉じた。


「お疲れ。終わった?」


「終わった」


 野田はいつもの場所へ座った。


 実が麦茶を注いだ。


 野田は受け取り、一口飲んだ。


「杉浦さん、電話してた」


 四人がこちらを見た。


「夜にしろって。昼の連中が残ってるからって」


 直樹の手が、本の上で止まった。


 野田は自分が聞いた言葉を話した。


 町の下見までに終わらせること。


 運ぶ方の都合をつけること。


 電話の相手の声は、聞こえなかったこと。


 武藤がノートを出した。


「何時頃?」


「昼前。はっきり時計は見てない」


 久世が短く聞いた。


「工場跡の名前は、言ってました?」


 野田は首を振った。


「そこまでは」


 直樹は机へ身体を寄せた。


「でも、昼とは別の仕事を、夜にやらせてる」


「そう聞こえた」


「町の下見って、資料にあったよね」


 久世が鞄へ手を伸ばした。


 野田はコップを机へ置いた。


「俺、ほかの電話だったらって、ずっと考えてたんだけど」


 直樹は頷いた。


「うん」


「でも、あの言い方は、知らない人の言い方じゃなかった」


 武藤がペンを止めた。


 野田は机の木目を見ていた。


「誰かが勝手にやってるのを、困ってたんじゃない。自分の言った時間にやれって、怒ってた」


     *


 久世が資料を出した。


 町が工事の進み具合を確認する予定は、たしかにあった。


 直樹はそこへ指を置いた。


「ここまでに、終わらせる」


 野田は頷いた。


「その話なら」


 四人は紙を見た。


 実が野田へ聞いた。


「聞いてて、大丈夫だった?」


「通るところにいたから。向こうも、こっちは見た」


「何か言われた?」


「何も。俺、工具箱持ってたし」


 野田は自分の掌を見た。


 洗っても落ちなかった薄い汚れが、爪の端に残っていた。


 直樹は紙の端へ、杉浦、と書いた。


 その下に、夜にしろ、と書く。


「やっぱり、本人が知ってるのか」


 声にすると、今までより重く聞こえた。


 武藤がノートを見た。


「でも、これ、俺ら以外に説明するときは」


「野田さんが聞いた、だけになる」


 直樹は言った。


 野田が頷いた。


 録音はしていなかった。


 電話の相手も、具体的な荷物も、分からなかった。


 杉浦なら、別の仕事の話だと言える。


 直樹はペンを置いた。


 自分たちの中では、ばらばらだったことが、かなり繋がってきた。


 けれど、人に見せられる形には、まだなっていなかった。


「残ってるのかな」


 直樹が言った。


「こういう仕事を頼んだ記録とか。払った金とか」


 野田は机の紙を見ていた。


「うちの仕事は、請求書と領収書と、両方残るよ」


「普通の方には、普通の金額しか書かないんじゃないですか」


 武藤が言った。


 久世は二つの会社の名前を見比べた。


「それとは別に、確かめるものがあれば」


 誰も、すぐには続けなかった。


 野田が顔を上げた。


「杉浦さん、今日も、自分で蔵に行ってた」


 直樹は頷いた。


 白い壁の向こうにあるものを、今度はただの想像として片付けられなかった。

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