第三章 光のないところ
第三章 光のないところ
「それ、光がなくても見えるの?」
直樹が聞くと、男は雑誌から顔を上げた。
昼休みの食堂だった。
弁当を食べ終えた直樹は、迷彩柄の袋を見つけて、その向かいに座った。男が読んでいたページの端には、昨日スマホで見たものと似た機器の写真があった。
「どれですか」
「これ。暗視スコープ」
直樹が指を伸ばすと、男は雑誌を少し引き寄せた。
「ものによりますけど」
「真っ暗な部屋で、人が何をしてるか分かる?」
「暗いところで使うものなんで」
「いや、全然光がない場合」
男は写真を見た。
「……全然?」
「窓には雨戸が閉まってて、廊下も消灯してる。目を開けても閉じても同じ、って書いてあるんだよ」
直樹は鞄から小説を出した。
男の目が、表紙へ移る。
「この小説?」
「そう。ここで犯人が」
「ええと、スコープが出てくるんですか」
雑誌を読んでいた男が、本の表紙から機器の写真へ目を戻した。
「そう。それで犯人が誰を見てたかっていうと」
「誰を見てたかで、使う機械が変わるんですか?」
「いや、それは変わらないと思うけど」
直樹は本を開いた。
「この暗さで、本当に見えるのかなって」
男が身を乗り出した。
二人で同じ数行を読む。
「型番は?」
「書いてない」
「どんなやつか、絵とかは」
「小説だから」
「……そうか」
男は雑誌へ戻った。
「赤外線のやつなら、見えると思うんだけど」
「赤外線って、熱を見るやつ?」
「それもあるけど、違うのもあって」
「違うの?」
「うん」
「どう違うの?」
男は唸った。
雑誌を二枚めくり、戻した。
直樹も、昨日見た説明を思い出そうとした。
何かを照らすものと、何かを受け取るものがあった気がする。だが、説明しようとすると、何か、の部分が出てこなかった。
「中、開けてみたら?」
隣から声がした。
直樹が振り向くと、野田と呼ばれていた若い男が、缶のお茶を持って立っていた。
「何を」
「そのスコープ。分解したら、何が入ってるか分かるじゃん」
「ここにはないですよ」
雑誌の男が言った。
「家にある?」
「一つは」
「へえ」
野田の目が明るくなった。
そのまま椅子を引いて座る。
「見たい」
「分解は駄目」
「まだ何も言ってない」
「今、言ったでしょ」
直樹は二人の間に本を置いた。
「開けなくてもいいんだけど、真っ暗で見えるか知りたいんだよ」
「だから、何が入ってるか見たら」
「……見るだけじゃ、分からないと思います」
今度は、少し離れた場所からだった。
昨日、伝票の前で俯いていた男が、湯飲みを両手で持っていた。
三人がそちらを向くと、男は目を伏せた。
「すみません」
「何で?」
直樹が聞いた。
男は湯飲みを見つめた。
「いや、あの。聞こえたので」
「知ってるの?」
「少しだけ」
「じゃあ教えて。これ、どうなの」
直樹が本を向けると、男は立ったまま文章を読んだ。
それから、雑誌を見た。
「暗視って、一種類じゃなくて」
「うん。それはさっき聞いた」
「……はい」
声が細くなった。
直樹は続きを待った。
男も何かを待っているようだった。
「それで?」
直樹が促すと、男はようやく湯飲みを置いた。
「わずかな光を利用するものなら、完全に光がなければ、そのままでは見えません。でも、機器の側から赤外線を当てるものなら、人の目には暗くても、機器で見ることはできます」
「じゃあ、それが熱を見るやつ?」
「それとは別です」
「ああ、そこ」
雑誌の男が指を立てた。
「そこが、ごっちゃになって」
細身の男は、小さく頷いた。
「こちらから照らして見るのと、相手から出ている熱を捉えるのは、違うので」
「懐中電灯で見るのと、熱を見つけるのが別ってこと?」
直樹が聞くと、男は頷きかけて、少し考えた。
「大まかには」
「だったら、最初からそう言ってくれれば」
「今、説明してくれたじゃん」
野田が言った。
直樹は、そうか、と思った。
細身の男は、本の方を見た。
「だから、この文章だけだと、機器がどんなものか分からないので、できるとも、できないとも」
「なるほどね」
直樹は該当箇所を指で押さえた。
「書いてないのか、そこまで」
「見た目の説明もないんですよね?」
雑誌の男が聞いた。
「ない。でも、ここの場面が大事でさ。このあと、犯人の奥さんが」
「その奥さんも、スコープを使うんですか?」
「いや、奥さんは使わない」
「じゃあ、機械の種類は分からないままですよね」
そう言って、男は雑誌の写真を直樹へ向けた。
「俺が持ってるのは、こういう形のやつです」
「へえ。思ったより小さいね」
直樹は写真を見るために、本を閉じた。
「説明、分かりやすいね」
耳のすぐ後ろで、声がした。
「うわっ!」
直樹の膝がテーブルに当たった。
雑誌の男が肩を跳ね上げ、野田が缶を押さえる。細身の男は湯飲みを掴んだまま固まっていた。
大きな男が、背後に立っていた。
「びっくりした。急に後ろから喋らないでよ」
「ごめん」
「いつからいたの」
「分解するってところから」
「ほとんど最初じゃん」
野田が笑った。
大きな男は申し訳なさそうに首を縮めたが、その分だけ身体の横幅が目立った。
「聞いてたんだ」
「うん。面白そうだったから」
男は細身の男を見た。
「僕にも分かった」
細身の男は、相手の顔を一度見て、湯飲みに視線を落とした。
「……どうも」
小さな返事だった。
直樹は時計を見た。
昼休みが、あと三分しかなかった。
いつもなら、まだ十分あると思う頃だった。
「それ、今度持ってきてよ」
直樹が雑誌を指すと、持ち主が顔を上げた。
「スコープ?」
「うん。本物、覗いてみたい」
「俺も」
野田が言った。
「開けないなら」
「分かったって」
直樹は本を鞄へ入れた。
細身の男が湯飲みを持ち上げ、大きな男が通路を空ける。
「じゃあ、明日?」
直樹が聞くと、雑誌の男は少し迷ってから、頷いた。
「……忘れなければ」
「忘れないで」
直樹はすぐに言った。
男は困ったように笑い、雑誌を迷彩柄の袋へしまった。




