第二十六章 その本には書いてない
第二十六章 その本には書いてない
火曜日の昼、直樹は弁当の横へ文庫本を置いた。
武藤が表紙を見た。
「また読んでるんですか」
「前に読んだやつ。ちょっと確かめたいことがあって」
「何を?」
野田が椅子へ座った。
直樹は口を開きかけ、隣のテーブルを見た。
従業員が二人、テレビを見ながら飯を食っていた。
「あとで」
「珍しいね」
野田が言った。
直樹は本を鞄へ戻した。
久世が弁当を持って来て、空いた場所へ座った。実はまだ、電子レンジの前に並んでいた。
「今日、うち来る?」
直樹が聞くと、野田は頷いた。
「少しなら。明日、早いから」
「俺も」
武藤が答えた。
久世はスマホで家へ連絡を入れた。
直樹は弁当を食べ始めた。
話したいことがあると、午後は長かった。
*
終業間際、袋に入れた製品の数が合わなくなった。
直樹の持ち場ではなかったが、出荷分を揃えるために作業が一度止まった。
台に残ったものと、箱に入ったものを分けて数える。
直樹も一箱受け取った。
隣で野田が袋を揃え、実が空いた台車を運んでくる。
「こっち、あと二つ入る」
直樹が言うと、野田が頷いた。
少し離れた場所で、班長が数を読み上げていた。
久世が紙へ印をつける。
武藤は最後の箱の表示を確かめ、台車へ載せた。
全部揃った頃には、予定の時刻を三十分過ぎていた。
更衣室で、野田が肩を回した。
「今日は短くね」
「分かってる」
直樹は鞄の本を押し込んだ。
*
夕飯は、帰りに買った惣菜と直樹の米だった。
机へ皿を並べると、実がいつもの丼を取った。
野田は時計を見てから箸を割った。
「で、その本、何?」
直樹は待っていたように鞄を開けた。
「蔵って、中に何かあっても分からないじゃん」
「うん」
「扉から入ると思うから、難しいんだよ」
武藤が箸を止めた。
「……入るんですか?」
「いや、例えばの話」
直樹は本を開いた。
「この話で、銀行の隣の建物を借りる奴がいるんだよ。それで、地下から穴を掘る」
野田は口の中のものを飲み込んだ。
「杉浦さんちの隣、借りるの?」
「そういうことじゃなくて。下からなら、扉は関係ないってこと」
直樹は見取り図を見せた。
武藤が顔を寄せ、久世は少し離れたところから見た。
実は丼を持ったまま頷いた。
「もぐらみたいに?」
「そう」
直樹は実を指した。
「それ」
*
「どこから掘るんですか」
武藤が聞いた。
「そこは、まだ」
「庭、広かったですよ」
「だから、本みたいに近いところがあれば」
野田が図を指した。
「こっちは建物がくっついてるじゃん」
「うん」
「杉浦さんち、蔵まで庭があるよ」
「それは分かってる」
直樹はページを戻した。
距離について書いてあったはずだった。
見つける前に、久世が聞いた。
「掘った土は、どこへ置くんですか」
直樹の指が止まった。
「……少しずつ、外へ」
「どのくらい出るんだろう」
野田が言った。
「あの工事で、車が何台も来てるよね」
武藤が頷いた。
「それを今度は、俺らが運ぶ?」
直樹はページをめくった。
穴を掘り始めたところ。
道具のことで揉めるところ。
途中で水が出たところ。
「水、出るの?」
野田が横から言った。
「この小説では」
直樹は先へ進んだ。
肝心の土が、どこへ行ったか分からなかった。
工事の記録を読んだときより、熱心に探した。
途中から、登場人物の過去の話になっていた。
「……もちむぎ、土の処理まで書いてくれ」
直樹は呟いた。
「誰?」
実が聞いた。
直樹は表紙を見せた。
作者名に、もちむぎ、とあった。
野田が笑い出した。
*
「その作者、掘ったことないんじゃない?」
「そりゃ、たぶんないよ」
直樹は本を閉じた。
武藤も笑っていた。
「俺らも、ないですけど」
「俺、庭の穴ならあるよ」
野田が言った。
「何で?」
「爺ちゃんが木を植えるって。途中から、爺ちゃんの方が早かった」
実は丼を置いた。
「植え替えでも、結構土こぼれるよ」
「鉢の話?」
「うん」
直樹は頷き、本を鞄へ戻した。
「じゃあ、掘らない」
「じゃあ、じゃなくて」
野田はまだ笑っていた。
久世は、机の上に残ったレシートを持ち上げた。
「そもそも、蔵に何があるかも分かってないですし」
「そうなんだよね」
直樹は頬杖をつきかけ、肘の横に皿があるのを見て手を戻した。
「知りたいことと、できることが全然違う」
「穴を掘るのは、できることにも入ってなかったですね」
武藤が言った。
直樹は武藤を見た。
武藤は箸で惣菜を一つ取り、皿を真ん中へ戻した。
「……まあね」
直樹は答え、自分も一つ取った。
*
食後、野田は台所でコップを洗った。
実が拭き、久世が机の上を片付けた。
直樹は武藤と、配られた工事会社の冊子を見ていた。
社長の挨拶のページに、交流会で見た男の顔があった。
「杉浦の家には行くけど、何してるか分からない」
直樹が言った。
「現金で庭の代金を払うけど、それは別に変な金とは限らない」
武藤が頷いた。
「蔵はあるけど、中身は知らない」
直樹は自分で言いながら、少し嫌になった。
「分からないばっかりだね」
「でも、家で会うとは言ってました」
武藤は冊子の顔写真を指した。
「この人と」
直樹は頷いた。
そこだけは、二人とも聞いた。
「会社に行くんじゃなくて、家なんだよね」
野田が布巾を置き、時計を見た。
「今日は、そこまでにしようよ」
直樹も時計を見た。
明日も朝から仕事だった。
「うん」
冊子を閉じる。
実が鞄を持ち、武藤が机の下のノートを拾った。
久世が靴を履いている間、野田は玄関の脇に立って待った。
直樹は四人を見送り、扉を閉めた。
鞄から文庫本を出す。
もう一度、穴を掘り始めるページを開いた。
やはり、土の処理は書いていなかった。




