第十九章 きのうあったもの
第十九章 昨日あったもの
翌朝、直樹は待ち合わせの五分前に着いた。
武藤は、もういた。
迷彩柄の袋を足元へ置き、スマホを見ている。
「おはよう」
直樹が言うと、武藤は顔を上げた。
「おはようございます」
「早いね」
「バスの時間が、ちょうどよかったので」
「そっか」
直樹は隣に立った。
何か話した方がいいのか、黙っていた方がいいのか分からなかった。
以前なら、考える前に喋っていた。
武藤はスマホをポケットへ戻した。
「今日は、久世さんも来るんですよね」
「うん。あと、大山さん」
「野田さんは?」
「家の手伝いだって」
武藤は頷いた。
そこで、また話が途切れた。
直樹は近くの自動販売機を見た。
喉は渇いていなかった。
「飲み物、買ってくる」
「はい」
歩き出してから、直樹は振り返った。
「何かいる?」
武藤は少し考えた。
「お茶、持ってるので」
「分かった」
直樹は自分の分だけ買った。
*
久世と実が来て、四人は坂を上った。
昼間の道は、昨夜より短く見えた。
歩いてみると、長さは同じだった。
途中で息を整えながら、直樹は後ろを見た。
実が少し遅れて歩いていた。
「大山さん、坂、苦手?」
「歩けるよ」
実は答え、道の端を指した。
「ここ、落ちてた」
手には、小さな菓子の袋があった。
さっきから、ときどき立ち止まっていたのは、そのためらしかった。
「ごみ箱、上にあるかな」
「分からないけど」
直樹は自分のペットボトルを持ち替えた。
「袋なら、あるよ」
鞄から、前に買い物で使った袋を出した。
実は受け取ると、小さく丸めた包みをその中へ入れた。
「ありがとう」
「うん」
四人はまた歩いた。
*
昨夜と同じ場所に着くと、武藤はすぐに袋を開けた。
久世が昼の写真を出し、ノートを開く。
直樹は工場跡へ目を向けた。
奥の土の山が、少し大きくなっているように見えた。
武藤は双眼鏡を覗いたまま、しばらく動かなかった。
「どう?」
直樹が聞いた。
「昨日、下ろしてた辺り」
「うん」
「なくなってる」
直樹は手を出しかけた。
武藤がまだ覗いているので、そのまま待った。
「こっちの、前からあった山も減ってます」
久世がノートへ目を落とした。
「場所、同じですか」
「たぶん。あの四角い小屋の左だから」
武藤はもう一度確かめてから、直樹へ渡した。
昼の光の中では、昨夜隠れていた辺りも少し見えた。
土が広がっている。
細長いものも、白い袋も、そこには見えなかった。
「どこかへ運んだのかな」
直樹が言うと、武藤は頷いた。
「それか、下に」
最後まで言わなかった。
直樹は双眼鏡を久世へ渡した。
実が、裸眼で同じ方を見ていた。
「土、かけたの?」
「まだ分からない」
直樹は答えた。
久世が長く覗いていた。
「今、全部片付けてるのに」
やがて、そう言った。
「何を?」
「昼間の工事です。古い基礎とか、残っているものを、外へ出してるんですよね」
「うん」
「別の場所から、似たものを持ってきて、また運び出すんでしょうか」
直樹は工場跡を見た。
そういう仕事もあるのかもしれなかった。
だが、ここは物を集める施設として紹介されていない。
新しい企業を呼ぶために、土地を整える場所だった。
「会社は、資材って答えてたね」
直樹が言うと、久世は双眼鏡を下ろした。
「はい」
武藤がノートを取った。
「昨日の夜にあったものが、今朝は見えない。ひとまず、それを書きます」
「写真も残そう」
直樹はスマホを出した。
*
山の位置を比べながら、何枚か撮った。
写真では細かな物までは分からなかったが、土の広がり方は見えた。
久世が画像を拡大し、指を止めた。
「前の昼の写真、これですか」
武藤が画面を覗く。
「そうです」
「あのとき、右側にあった細長いものが、こっちには見えない」
「前、何日だった?」
直樹が聞いた。
武藤はすぐにノートのページを戻した。
日付と、写真を撮った時刻があった。
直樹は頷いた。
「そういうの、ちゃんと書いてると便利だね」
武藤の指が止まった。
「……後で、ごっちゃになるから」
「うん。俺、もうなってる」
直樹は自分のスマホを見た。
似た写真が並んでいた。
武藤はノートを少し直樹の方へ向けた。
「こっちが先週で、こっちが昨日です」
直樹は、示された日付を画像のメモへ入れた。
*
坂を下りる途中、直樹は本のことを思い出した。
「昔読んだやつにも、こういうのがあったんだよ」
久世が顔を向けた。
「何がですか」
「あるはずの物がなくなってる。それで、主人公が勘違いしてたって分かるんだけど」
直樹はそこまで喋って、前を見た。
武藤が歩いていた。
この前のあんパンの話も、途中から誰も聞いていなかった。
「……まあ、あれは小説の話だけど」
直樹は口を閉じた。
武藤が少し振り向いた。
「今度は、どう勘違いしてたんですか」
直樹は顔を上げた。
「聞く?」
「短いなら」
「短く言うと、同じ物だと思ってたのが、違った」
「なるほど」
「でも、それには前の晩の話があって」
「短くないですね」
直樹は武藤を見た。
口元が、少しだけ緩んでいた。
「……前の晩は、あとにする」
武藤は前へ向き直った。
実が持つ袋の中で、拾った菓子の包みがかさりと鳴った。
*
帰りに、四人は工場跡の周りをもう一度通った。
日曜日の門は閉まっていた。
白い囲いには、完成予想図が掲げられている。
実が絵を見上げた。
木の下に、子どもを連れた人が描かれていた。
「ここ、歩けるようになるんだよね」
誰にともなく言った。
直樹は頷きかけ、やめた。
「予定では」
久世が答えた。
直樹は町の資料にあった、ほかの使い方も検討している、という一文を思い出した。
「久世さん」
「はい」
「町の会議の記録って、ほかにもある?」
「あります。全部は読んでないですけど」
「この場所、最終的にどうするつもりなのか、もう少し知りたい」
久世は完成予想図を見た。
それから、鞄の中のスマホへ手を伸ばした。
武藤が門の写真を一枚撮った。
直樹はその隣で、工事の名前をもう一度読んだ。
*
月曜日、直樹はいつもの作業台へ戻った。
透明な容器を取り、縁を見て、重ねる。
箱の表示は先週と同じだった。
向こうの台では、実が袋詰めされた製品を揃えていた。数を確かめ、一つずつ箱へ収める。大きな手の割に、置き方はそっとしていた。
「大山、こっちの空箱も頼むわ」
隣の男が言った。
「うん」
実は手元の分を終えると、空箱を受け取りに行った。
直樹は容器へ目を戻した。
週末に何を見ても、月曜日にはまた仕事があった。
*
昼休み、直樹は手を洗ってから食堂へ向かった。
実はもう座っていた。
野田たちの姿は、まだなかった。
直樹が弁当を温めていると、実の近くにいた男が声をかけた。
「大山、最近三浦たちと遊んでるんだって?」
「うん」
「お前が一番年上じゃないの、あの中じゃ」
「そうだよ」
実は箸の袋を開けた。
男は自分の椅子に片肘をついた。
「野田なんか、まだ二十五だろ。若い奴らに顎で使われてんじゃないの」
実が顔を上げた。
「何を?」
「買い物とかさ。飯食ったあと、片付けまでお前がやってんだろ」
「お皿は洗うよ」
「ほら。可哀想になあ。遊びに行ってまで、そんなことさせられて」
別の男が短く笑った。
直樹は温め終えた弁当を取った。
今朝、実へ空箱を渡した男だった。
実は少し考えた。
「でも、野田くんがご飯作ってくれたりするから」
「作るのと片付けは、別じゃないの」
「そうなの?」
実は不思議そうに聞いた。
「僕が洗ってると、みんな拭いてくれるから、すぐ終わるよ」
男の手が、頬から離れた。
「へえ」
「三浦さんのところ、狭いから、立てる人だけ台所にいて」
実は両手で、台所の幅を示した。
「あとは、机拭いたり、本どかしたりしてる」
「お前、いいように言われてるだけじゃないの」
「何を?」
男は少し黙った。
実は、その先を待っていた。
別の男が口を挟んだ。
「まあ、お前がいいならいいけどさ。用事だけ頼まれて、あとは放っておかれてんじゃないかと思って」
「待っててくれるよ」
実は答えた。
「僕が遅い日は。買い物も、一緒に行くし」
直樹は弁当を持ったまま、少し離れたところで足を止めた。
この前の残業のあと、実を残して更衣室へ行った二人の顔を、覚えていた。
実はもう、弁当の蓋を開けていた。
「今日も、みんなで食べるんだ」
「ああ、そう」
最初の男が自分の席へ向き直った。
実は小さく頷き、いただきます、と言った。
*
直樹が向かいに座ると、実が顔を上げた。
「今日、行ってもいいよね」
「うん」
直樹は答え、弁当を置いた。
何か言いたくなって、隣のテーブルへ目を向けた。
二人はもう別の話をしていた。
「……大山さん、今日も帰り、遅くなりそう?」
「分からない。終わったら行くね」
「じゃあ、連絡して」
実は頷いた。
武藤がやって来て、直樹の斜め向かいへ座った。
「昨日の写真、送りました」
「うん。ありがとう」
直樹はスマホを出しかけたが、武藤が弁当の蓋を開けたので、そのまま鞄へ戻した。
久世は午後の休憩に資料の続きを見ると言い、野田は夕飯に何が安いかを調べ始めた。
実が覗き込む。
直樹も少し顔を寄せた。
「今日は、俺まだ米あるから」
「場所代と米代ね」
野田が言った。
「そう」
「分かってるよ」
野田は画面を送った。
隣のテーブルからは、もう何も言われなかった。




