第十五章 箱の中身
第十五章 箱の中身
杉浦の会社のホームページには、知らなかったことがたくさん載っていた。
最初は小さな不動産の事務所だったこと。
町の外れにある倉庫も、この会社のものだったこと。
毎年、祭りに協賛していること。
直樹は沿革を最後まで読み、スマホを置いた。
「ちゃんとした会社だね」
野田が笑った。
「何を期待してたの」
「別に。もっと何か出てくるかと思って」
「何かって?」
「だから、それはまだ分からないけど」
武藤はノートを閉じた。
「会社の紹介に、夜の車のことは書いてないですよね」
「そうなんだよ」
直樹は頷いた。
久世だけは、まだ画面を見ていた。
「町の方で、もう少し探してみます」
「何かありそう?」
「この事業、町もお金を出しているので」
久世が予算の紹介を見せた。
桁の多い数字が並んでいた。
直樹は自分の給料を何年分足せば届くのか考え、途中でやめた。
*
金曜日、箱詰めの作業は予定より長引いた。
直樹が最後の箱を台車へ載せると、先に片付けを終えた持ち場の者たちは、更衣室へ向かっていた。
野田は作業台の下を覗いていた。
「何してるの」
「切れ端。落ちた」
床の小さなごみを拾い、野田は立ち上がった。
直樹も台を拭き、布を決まった場所へ戻した。
実は台車の通るところを掃いていた。
「大山さん、それ終わり?」
「うん。あと、ここだけ」
「じゃあ、更衣室いるね」
野田が言った。
実は顔を上げ、頷いた。
*
武藤は更衣室の長椅子に座り、靴の紐を結んでいた。
「明日、行きます?」
直樹へ聞いた。
「うん。昼にもう一回見たい」
「何時くらい?」
「飯食ってから。二時とか」
武藤はスマホへ入れた。
直樹も自分の予定を開いた。
野田が作業着をハンガーへ掛けながら言った。
「俺、明日は家にいる。頼まれてる機械、見ないと」
「何の機械?」
「知り合いの。ちょっと時間かかりそうだから」
野田は鞄の中を確かめた。
久世が戸口から顔を出した。
「僕も明日は、昼間、用事があるので」
「そっか。じゃあ、見てきたら送るよ」
直樹が答えると、久世は頷き、先に帰っていった。
実が更衣室へ入ってきた。
「お疲れ」
野田が言った。
「明日、三浦さんたちは二時から行くって。俺は家で機械」
実はロッカーを開けかけて、振り向いた。
「見に行ってもいい?」
「うち?」
「うん。直してるところ」
「いいけど、何も面白いことしないよ」
「見てるだけでいい」
野田は肩をすくめた。
「じゃあ、あとで場所送る」
直樹はスマホを鞄へ入れた。
実が着替えている間に、武藤が明日の天気を確かめた。
廊下を帰っていく足音が、一つ、また一つと遠ざかった。
五人とも、今夜はそれぞれの家へ帰る。
直樹は空腹より先に眠気を感じていたが、二時なら寝坊しても間に合うと思った。
*
土曜日、直樹と武藤は工場跡の近くを歩いた。
久世は用事で来られず、野田と実は野田の家にいた。
全員揃わなければ始められない遊びではなかった。
直樹は看板を見直し、武藤は車の通る方へ目を向けていた。
門から少し離れた自動販売機の前で、作業着の男が飲み物を買っていた。
直樹は歩く向きを変えた。
「すみません」
男が顔を上げた。
「あそこの工事、いつまでかかるんですか」
男は工場跡を見た。
「俺らの作業は、今月いっぱいの予定だけど」
「何の作業してるんですか?」
武藤が隣で少し姿勢を変えた。
男は缶を取り出した。
「残ってた基礎を取って、片付けてるとこ」
「昔の工場の?」
「そう」
「土も入れてるんですか」
「今は出す方だよ。入れるのは、こっちが終わってからじゃないかな」
直樹は頷いた。
「夜も大変ですね」
「夜?」
「トラック来てるから」
男は缶の蓋を開けた。
「ああ。夜の連中は別だから、俺は知らない」
「別の会社?」
「そう。聞くなら、そっちに聞いて」
男は腕時計を見た。
武藤が軽く頭を下げた。
「休憩中に、すみません」
「いや」
男は缶を持って、門の方へ歩いていった。
直樹は見送った。
「ほら、聞いたら教えてくれた」
武藤は男が遠ざかってから、ノートを出した。
「あんなに続けて聞けます?」
「聞かないと分からないじゃん」
武藤は何か言いかけたが、ペンを動かした。
昼は出す方。夜は別会社。
「夜の人には、どうやって聞くの」
「それは、また考えればいいよ」
直樹は答えた。
*
野田の家には、表にも裏にも機械があった。
実は裏の作業場へ案内され、折り畳み椅子に座った。
「狭くない?」
野田が聞いた。
「平気」
実は膝の位置を少し変えた。
棚には見たことのない部品が並び、壁には工具が掛かっていた。作業台の端だけ、四角く場所が空けてある。
「まだ来てないんだ」
野田が時計を見た時、表で車の止まる音がした。
「ごめん、遅くなった」
若い男が、取っ手のついた箱を抱えて入ってきた。
「亮太、そこ空けてある」
野田が作業台を指した。
男はそちらへ向かい、実を見つけると少し頭を下げた。
「こんにちは」
「こんにちは」
実も立ちかけたが、膝が台に当たり、座り直した。
「会社の人。大山さん」
野田が紹介すると、男は箱を抱え直した。
「田辺亮太です」
「大山実です。こんにちは」
実はさっきも挨拶したことを思い出し、少し笑った。亮太も笑った。
「直してるところ、見ててもいい?」
野田が聞くと、亮太は頷いた。
「うん。こっちこそ、休みの日に悪いな」
「父さん、今日は出てるから。俺でよければ見るって言ったじゃん」
「助かる。急いではないんだけど」
亮太が箱を置いた。
擦れた角に、何度も貼り直したらしい札がついていた。野田は正面を覗き込み、取っ手を軽く持ち上げた。
「これ、うちの爺ちゃんも直してたよね」
「うん。うちの爺ちゃんが、ここへ持ってくれば何とかしてくれるって」
「直すの、俺だけど」
「それも言った。あそこの孫は昔から何でもばらしてたから、大丈夫だってさ」
「ばらすだけなら、誰でもできるんだけどな」
そう言いながら、野田はもう工具を選んでいた。
亮太は隣の椅子へ座った。
野田が蓋を外す間、実も首を伸ばして中を見た。線や小さな部品が並んでいる。見ても、何のための箱なのかは分からなかった。
「何作ってるの?」
「んー? 爆破装置」
「えっ」
実の背中が伸びた。
「爆弾を作るの?」
野田は顔を上げ、それから声を出して笑った。
「違う違う。そんなもん作った時点でアウトじゃん」
「でも、今」
「ごめん、花火。上げる方の機械。作ってるんじゃなくて、直すの」
隣で亮太も笑っていた。
「びっくりしますよね。花火屋なんです、うち」
「亮太のお爺さんが、田辺源次さん。うちの爺ちゃんの代からの知り合いで、父さんもよく機械を預かってたんだ」
野田が蓋を押さえながら言った。
「花火屋さん」
実は箱と亮太を交互に見た。
「これで、花火が上がるんだ」
「これだけじゃ上がらないよ。花火もないし」
野田が言った。
「花火は作れないもんね」
「作れない。俺は機械の方」
実は頷いた。四角い箱は、さっきより怖くなくなった。
野田は外した蓋を脇へ寄せた。
「次、いつ使うの?」
亮太は膝の上で両手を合わせた。
「使わないと思う」
「え?」
「うち、店じまいするから。来年は、もう続けられないって」
野田の手が止まった。
表の道路を、車が一台通り過ぎた。
「この前言ってた、仕事の話?」
「うん。うちみたいに家族だけでやってるところには、なかなか回ってこなくてさ」
亮太は作業台の木目を指でなぞった。
「場所を使わせてもらえなきゃ、花火だけあっても仕方ないだろ。地主がうんと言わないんだって。大きい業者の話なら通るのにな」
「地主って、この辺の?」
「杉浦さん。あっちこっち持ってるから」
野田は亮太を見た。
昨日、直樹の部屋で見た会社のホームページが浮かんだ。
「祭りに、お金出してる人?」
実が聞いた。
「そうです。だから、主催する方も、なかなかね」
亮太は少し笑った。
「俺も全部の話を聞いてるわけじゃないんですけど。爺ちゃん、家じゃあんまり言わないから」
野田は箱へ目を戻した。
「……じゃあ、何で直すの?」
「俺も聞いた」
亮太が、蓋の端に残った汚れを親指で擦った。
「今まで頑張ってきてくれたから、最後は綺麗な身体でしまいたいんだって」
照れたように笑った。
「爺ちゃんらしいよな」
野田は返事をせず、外したねじを小さな皿へ移した。
実には、さっきまで古い箱に見えていた。今は、持ち主が毎回ここを握って運んできたのだと思うと、擦れた取っ手が気になった。
「長く使ったんですね」
「俺が子どもの頃から、これでした」
亮太は答えた。
「代々やってきたんですけどね。爺ちゃんの代で終わりです」
野田が、箱の向きを少し変えた。
「源次さんは、何て?」
「仕方ないって。もう年だし、ちょうどいいってさ」
亮太は口元を緩めたが、すぐに笑わなくなった。
「でも、元気なくなったんだよ。最近、家で座ってばっかりで。前なら人の上げた花火をテレビで見ても、ああだこうだ言ってたのに」
野田は黙って聞いていた。
「親たち、呆けてきたんじゃないかって。施設のことも、そろそろ考えようって話してる」
「お爺さん、入りたいの?」
実が聞いた。
亮太は顔を上げた。
「……どうなんでしょう。本人は、みんなに任せるって」
しばらく、作業場が静かになった。
「俺は、まだ家にいてほしいんですけどね」
亮太はそう言って、足元へ目を落とした。
野田が工具を置いた。
「これ、預かるよ。今日中は無理だと思う」
「ああ、急がないから。直らなかったら、それでも」
「まだ、ちゃんと見てない」
野田は箱を自分の方へ寄せた。
「見てから言う」
亮太が野田の顔を見て、小さく頷いた。
「うん。頼む」
*
亮太が帰ったあと、実はまた椅子の上で両手を組んだ。
野田は箱の中を覗いている。
「退屈じゃない?」
「ううん」
「分かる?」
「分からない」
実は正直に答えた。
野田が少し笑った。
「でも、直るといいね」
「うん」
野田は工具を持ち替えた。
実は台の端に置かれた蓋を見た。
「これ、拭いてもいい?」
野田は顔を上げ、棚から布を一枚出した。
「じゃあ、外側だけ。こっちは触らないでね」
「うん」
実は膝に蓋を載せた。亮太が指で擦っていたところを、布でゆっくり拭いた。
*
夕方、「連絡用」に久世から画像が届いた。
町の会議の記録だった。
『土の搬出と埋め戻しの予定量が載っていました』
直樹はコンビニの前でスマホを拡大した。
隣で武藤も開いている。
『どこ?』
直樹が聞くと、印のついた画像がもう一枚来た。
数字の横に、直樹には見慣れない単位があった。
『どういうこと?』
『体積です。まだ概算ですが』
直樹は武藤を見た。
「分かる?」
「量の話だとは」
直樹は久世へ電話をかけた。
「これ、トラック何台分なの?」
久世はすぐには答えなかった。
『積むものや車の大きさで変わるので、一台に何立方メートルって決めてしまうと』
「じゃあ、大きい車で考えれば?」
『はい。それで仮に計算はしてみたんですけど』
「うん」
『埋め戻す分としては、夜に入る車が多い気がします』
直樹は武藤の方へ身体を向けた。
武藤もスマホから顔を上げた。
『ただ、毎回いっぱい積んでいるとは限らないし、土じゃない荷物なら、この数字と比べても』
「昼間の人、今は土を出してるって言ってたよ」
直樹は言った。
電話の向こうが、少し静かになった。
「入れるのは、昼の作業が終わってからだって。夜は別の会社だから知らないって」
『……そうですか』
久世の声が、さっきよりはっきりした。
『じゃあ、夜の車が土を運んでいるかどうかを、先に確かめたいです』
「だよね」
直樹は頷いた。
武藤が鞄からノートを出した。
会社名の書かれたページを開く。
「分かった名前、調べてみます」
直樹は電話越しに、その言葉を伝えた。
まだ中身は見えなかった。
だが、次に何を知りたいかは、少しはっきりした。




