第十章 そういえば
第十章 そういえば
その日の午後、直樹は同じ色の容器を何百枚も見ていた。
重ねた縁に指を沿わせ、枚数を確かめる。
袋へ入れる。
箱に収める。
一箱終わると、次の箱を開いた。
「三浦、最近、野田たちと仲いいな」
隣で箱を畳んでいた男が言った。
直樹は容器の数を確かめてから顔を向けた。
「まあ、はい」
「何してんの、あの顔ぶれで」
「飯食ったり、話したり」
「へえ。お前の本の話、聞いてくれる奴が見つかったんだ」
男が笑った。
「いや、あんまり聞いてないですよ」
直樹は答えた。
武藤は雑誌を読み、野田は機械を触りたがる。久世は話の途中で、直樹が気にしていなかったところへ疑問を挟む。
「大山さんは聞いてますけど」
「あいつは誰の話でも聞くだろ」
「そうですね」
直樹は袋の口を閉じた。
男は何か言いたそうにしたあと、自分の手元へ視線を戻した。
次の台車が来た。
「今日はこっち先だって」
「はい」
直樹は箱の表示を確かめ、作業を続けた。
*
終業の合図が鳴ると、作業場のあちこちで片付けが始まった。
野田が道具を決まった場所へ戻し、久世は伝票を揃えた。実は端に残った空箱を運んでいた。
直樹は台を拭き、袋の残りを棚へ戻した。
更衣室で武藤に会うと、武藤が首を回しながら言った。
「今日は、同じのばっかりだった」
「こっちも」
直樹は腕を伸ばした。
夕方になると、肩の同じところが重くなる。
「今日、どうする?」
「俺は行けます」
武藤が答え、鞄を閉じた。
野田も来ると言い、久世は家へ連絡を入れた。
実が更衣室へ入ってきたときには、直樹たちはまだ靴を履き替えていた。
「大山さんも来る?」
「うん」
「じゃあ、先にうち寄ろう。荷物置きたい」
直樹が言うと、実は頷いて、自分のロッカーを開けた。
後ろの長椅子で、別の従業員が隣の男へ何か言った。
小さな笑い声がした。
直樹は自分が何か忘れたのかと思い、ロッカーを見た。弁当箱も本も、鞄へ入っていた。
野田が戸口から呼んだ。
「三浦さん、鍵」
作業着のポケットを探る。
アパートの鍵が入っていた。
「あ、そうだ」
取り出して鞄へ入れると、直樹はロッカーを閉めた。
*
部屋に着くと、武藤はベッドの端へ座り、そのまま雑誌を開いた。
野田が扇風機の方を向き、直樹が先に「開けるなよ」と言う。
実が扉のノブを持ったまま立ち止まった。
そのあと、少し騒ぎになった。
ノブを戻し、本の話をしているうちに、武藤の返事がなくなった。
「起こす?」
実が聞いた。
武藤はまだ寝ていた。
壁にもたれた首が少し曲がり、片方の手がベッドから落ちかけている。
「飯のときでいいでしょ」
直樹が答えた。
「これで遅刻したら、時間が止まってなかったせいにするかな」
野田が言った。
久世が小さく笑った。
直樹は開いていた本を閉じた。
時間の止まる小説の話は、主人公が息を吸えるのかというところまで進み、何の話をしていたのか分からなくなった。
「書いてないことまで考えてたら、読めないよ」
直樹が言うと、久世は麦茶のコップを持ったまま口を開いた。
「でも、気になるので」
「小説読むのに向いてないんじゃない?」
「三浦さんも、スコープのこと気にしてたよ」
実が言った。
直樹は実を見た。
実はベッドの方を見ていた。武藤の手が落ちそうなのを気にしているらしい。
「……あれは、謎に関わるところだから」
直樹は本を山の上へ置いた。
久世は何も言わず、麦茶を飲んだ。
野田がテレビのリモコンを取った。
画面がつくと、部屋へ明るい声が流れ込んだ。
直樹は時計を見た。
「そろそろ飯、どうする?」
「米ある?」
「ある」
「じゃあ、何か買ってくるか」
野田が財布を探り、実がゆっくり足を伸ばした。
「スーパー、今日は混んでるかな」
実が言った。
「この時間なら、そんなに」
「昨日、道が混んでて」
「帰り?」
「ううん。もっと遅く。前の道、トラックが曲がれなくて止まってたんだ」
直樹は財布を取ろうとした手を止めた。
「どこの道?」
「橋から、昔の工場の方へ行くところ」
実は膝に指を置き、曲がり角を描いた。
「大きいのが先に曲がって、そのあとから来たのも、同じところへ行こうとして」
「あそこ、狭いよね」
野田が言った。
「うん。後ろの車が通れなくなってた」
「何時くらい?」
実は考えた。
「十時よりあと。洗剤、買いに行ったから」
「そんな時間に?」
「洗濯しようと思ったら、なかった」
直樹は頷いた。
自分も、米を炊こうとして初めて足りないと気付くことがある。
「あそこの工事って、夜もやってるの?」
野田が聞いた。
誰も答えなかった。
テレビでは、商店街の新しい店を紹介していた。
武藤が鼻を鳴らし、首の向きを変えた。
「俺も見たよ」
直樹が言った。
「トラック?」
「一昨日。コンビニの前で。同じところへ行ったのかは分からないけど」
直樹は道順を思い出そうとした。
帰り道のコンビニで雑誌を立ち読みして、外へ出たときだった。
荷台の覆われた車が、二台続けて通っていった。
そのときは、少しうるさいと思っただけだった。
「工事の車じゃないの」
野田が言った。
「そうだろうけど、夜に運ぶこともあるんだ」
「昼だと邪魔になるからとか?」
「……日曜も」
久世の声だった。
三人が顔を向けると、久世はコップを置いた。
「日曜も、見ました」
「同じ車?」
「そこまでは。でも、工場跡へ入っていったので」
「休みじゃないんだね」
「看板には、日曜は休工って」
直樹は久世を見た。
「書いてあったの?」
「先週、通ったときは」
野田が顎を掻いた。
「予定、変わったんじゃない?」
「そうかもしれません」
久世が頷く。
話はそこで終わりかけた。
実が、そういえば、と続けた。
「あそこの近くのおばあさん、花、持っていけなかったんだって」
「何の話?」
直樹が聞くと、実は自分の言葉を確かめるように少し黙った。
「家がなくなったところ。前に鉢植えをくれた人で、引っ越すからって」
「大山さんちの植物?」
「うん。一つだけ、もらった」
実は両手で、小さな鉢の形を作った。
「あとは、持っていく場所がないからって。もっと早く分かってたら、欲しい人探せたのにって」
「急に引っ越したの?」
「僕が会ったときには、もう何日もなかった」
「ふうん」
直樹は工場跡の周りを思い浮かべた。
更地が広がっていたのは知っている。
以前何があったかまでは、覚えていなかった。
「あそこ、いろいろ建てるんだよね」
野田が言った。
「テレビでやってた」
「だから車も多いんじゃないの?」
声がして、四人はベッドを見た。
武藤が目を擦っていた。
「起きてた?」
「車の話あたりから」
「ほとんど最初じゃん」
野田が笑った。
武藤は首を動かし、顔をしかめた。
「変な寝方した」
「帰って寝ればよかったのに」
直樹が言うと、武藤は床の雑誌を探した。
直樹が机の上を指す。
「そこ」
「あ、どうも」
武藤は雑誌を取る前に、四人の顔を見た。
「何の車か、見たんですか」
「トラック」
直樹が答えた。
「それは聞いた」
「荷台は覆ってたよ」
「会社の名前とか」
「そこまで見てない」
武藤は実と久世にも目を向けた。
二人とも首を振った。
野田が財布を机へ置いた。
「昼間に通れば、何してるか分かるんじゃない?」
「塀あるじゃん」
「看板とかさ」
「工事の内容は、書いてあります」
久世が言った。
「何て?」
「そこは、ちゃんと覚えてなくて」
直樹は閉じた本を見た。
小説なら、ここで誰かが必要なことを全部覚えている。
車の番号も、業者の名前も、通った時刻も。
現実の五人は、トラックがいた、ということくらいしか分かっていなかった。
それでも、何となく続きを聞きたくなる話だった。
「ミステリーの最初みたいだね」
直樹が言った。
「また小説?」
野田が笑った。
「夜の車。休みの工事。急な引っ越し」
「全部、関係あるかは分からないですけど」
久世が言う。
「だから、気になるじゃん」
直樹は財布を取った。
「暇なとき、ちょっと見てみる?」
「何を」
武藤が聞いた。
「何運んでるのかなって」
テレビの音が、少し大きくなった。
野田が床へついた手の下に、リモコンがあった。
「あ、ごめん」
音量を戻す。
画面では、地元の催しの映像に切り替わっていた。
直樹は立ち上がった。
「とりあえず飯。大山さん、何食べたい?」
「肉」
「昨日も肉だったじゃん」
「魚でもいい」
「じゃあ安い方」
野田が言った。
五人は財布や鞄を取り、狭い玄関へ順番に向かった。
武藤が最後にテレビを消した。
直樹は鍵を掛けながら、工場跡までスーパーからどのくらいだったか考えた。
今夜行くには、買った肉を先に冷蔵庫へ入れたい。
まあ、今度でいいか。
階段の下で、四人が待っていた。




