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鏡淵の調律 外伝 宗一の日記  作者: ちとせ鶫


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3/8

第3話 帰れない夜——プロジェクトリーダーの仕事

《計画加速期 / 個人日記》


     * * *


〔役員会 後の個人メモ/ 深夜・帰宅前〕


| 項目 | 記録 |

|------|------|

| 役員の言葉 | 「第一次試験の前倒しを検討しろ。他国が先に完成させれば、意味がない」 |

| 私の返答 | 「検討します」と言った。 |

| 本当のこと | 恵子が「まだ早い」と言っているのを、知っている。恵子が「まだ早い」と言う理由の、全てを知っているわけではないことも、知っている。 |


     * * *


 今日も帰りが遅かった。

 晴斗はもう寝ていた。


 夕奈と夕莉の部屋の前を通った時、音がしなかった。

 静かすぎた。ドアの前で、少し立ち止まった。

 何も聞こえない時の方が、私は余計なことを考える。

 恵子だけが起きていた。何も言わなかった。私も言わなかった。


 晴斗が先週、「最近お父さん、怖い」と言っているのを聞いた。

 誰に言っていたのか、聞こえなかった。

 夕奈か、夕莉か、あるいは独り言か。


 夕奈に言っていたとしたら——と考えた。

 夕奈はその言葉を、どう受け取るか。

 「怖い」という感情を、あの子はどう処理するのか。

 私は知っているようで、知らない。

 知っているつもりでいることと、知っていることは——違う。


 夕莉に言っていたとしたら——とも考えた。

 夕莉は、人の感情の揺らぎを察知する。

 それはあの子の性質だと、私は知っている。

 「怖い」という感情の変化を、夕莉はおそらく捉えている。

 捉えて、記録しているかもしれない——数字か、記号で。

 私はそれを「鋭い子だ」と思ってきた。

 今夜初めて、「鋭さ」が何から来ているのかを、考えるのが怖かった。


     * * *


 「怖い」という言葉が、頭から離れない。

 怖い父親になるために、鏡淵に来たわけではない。

 家族を守るために来た。


 でも今の私は——

 家族を守っているのか、家族を守るという名目で何かを続けているのか、分からな くなってきた。


 「家族のために仕事をする」という言葉が、

 いつの間にか——

 「仕事のために家族を後回しにする」になっていた。


 気づいていた。

 気づいていて、止められなかった。

 止められない理由は、一つではない。


     * * *


> 走り書き(別の日付)


 今度の役員会に、行けるかどうか分からない。

 「行けるかどうか」という言い方が、すでに嘘だ。

 「行きたくない」が正しい。

 あの場で何かを「止めるべきだ」と言う力が、もう私には残っていない気がする。

 恵子には、まだある。

 恵子の言葉の方が、正しい。

 分かっていて、私は重さを——どこかに置いてきてしまった。

 どこに置いたのか、もう分からない。


     * * *


> 走り書き


 今夜、恵子の目が少し遠かった。

 距離が、じわじわと広がっている。

 恵子が私から離れていくのか、私が恵子から離れていくのか——

 どちらが先か、もう分からない。


 ~~明日、話そう~~

 明後日、話そう。

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