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第9話「選んだあと」


朝。


無常ちゃんは、


コーヒーにした。


理由はない。


昨日なら紅茶だったかもしれない。


明日は水かもしれない。


今日はコーヒー。


それだけだった。


「コーヒーをお願いします」


自動販売機のボタンを押す。


紙コップが落ちる。


注がれる。


一口。


「……少し苦いですね」


その瞬間。


厨房から、


ガシャン。


無常ちゃんが振り返った。


棚から紅茶の箱が消えていた。


水も。


ジュースも。


冷蔵庫を開ける。


中にはコーヒーだけ。


缶。


瓶。


ペットボトル。


すべて。


「……」


無常ちゃんは手元の紙コップを見る。


レジが点灯した。


選択を確認しました。


「まさか」


その下。


反映済みです。


---


開店。


最初の客が来る。


「オレンジジュースください」


「かしこまりました」


無常ちゃんがドリンクサーバーを見る。


コーヒーしかない。


「……申し訳ありません」


客はメニューを見た。


「じゃあコーラで」


「それも」


ない。


「コーヒーだけ?」


「そのようです」


客は少し迷い、


「じゃあコーヒーで」


と言った。


無常ちゃんがカップを渡す。


レジの隅。


選択との整合:100%


無常ちゃんは電源を落とした。


それでも文字だけ残った。


---


昼前。


次に起きたのは、


席だった。


客が二人。


「どこ座る?」


「窓際でいいんじゃない?」


無常ちゃんは何気なく、


「今日は奥の方が静かですよ」


と言った。


二人は奥へ行く。


その直後。


窓際の席が消えた。


全部。


壁になる。


無常ちゃんは近づいた。


叩く。


硬い。


窓もない。


「……選んだから?」


背後のレシートプリンターが鳴る。


紙。


選択を反映しました。


「戻してください」


紙。


変更理由を入力してください。


「必要だからです」


選択済みです。


「今は違います」


しばらく止まる。


そして。


新規選択として受理しますか?


無常ちゃんは、


すぐに「はい」と言いそうになった。


口を閉じる。


何も答えない。


窓は戻らなかった。


---


午後。


無常ちゃんは、


できるだけ何も選ばないようにした。


「おすすめあります?」


「お好きなものを」


「どっちの席がいい?」


「どちらでも」


「袋いります?」


「お客様にお任せします」


いつもなら簡単なこと。


なのに。


選ばないだけで、


妙に疲れる。


懺悔ちゃんが横から見ていた。


「無常ちゃん」


「はい」


「今日、薄い」


「味ですか?」


「うん」


懺悔ちゃんは少し考えた。


「何も食べない人の味」


無常ちゃんは苦笑した。


「食べていますよ」


「そうじゃない」


懺悔ちゃんはポテトを一本取る。


二本を見る。


少し迷う。


右を食べる。


左を無常ちゃんへ差し出した。


「はい」


「ありがとうございます」


無常ちゃんは受け取る。


食べようとして、


止まった。


食べる。


その瞬間。


店内にあったポテトが、


全部一本ずつになった。


客のトレー。


厨房の保温ケース。


紙袋。


一本。


「……」


懺悔ちゃんが自分の残りを見る。


ない。


「食べちゃった?」


「私が?」


「うん」


無常ちゃんは、


持っていた一本を見つめた。


そして食べるのをやめた。


けれど、


もう遅かった。


---


夕方。


一人の男性客がカウンターへ来た。


顔色が悪い。


「すみません」


「はい」


「急いでるんですけど、どれが一番早いですか?」


無常ちゃんは厨房を見る。


今なら、


チキンタツタ。


一番早い。


「チキンタツタです」


答えた瞬間。


厨房の表示が変わる。


全注文:チキンタツタ


客席から声。


「え?」


「俺ビッグマックなんだけど」


「私フィレオフィッシュ」


無常ちゃんが振り返る。


注文票が、


全部書き換わっている。


「違います」


レジに向かう。


「この方だけです」


選択を反映しました。


「一人分です」


範囲指定なし。


「範囲?」


選択は世界へ適用されます。


無常ちゃんは黙った。


昨日。


世界は、


希望ではなく、


選択を見るようになった。


なら。


選択の対象まで、


世界が勝手に決めている。


「取り消します」


選択済みです。


「取り消します」


新しい選択ですか?


無常ちゃんは、


そこで止まった。


取り消すことすら、


選択になる。


---


店の外で、


車が一台だけ走っていた。


全部同じ方向。


人も。


犬も。


鳥も。


信号も。


雲も。


選ばれた方向へ。


女性客が店に入ってくる。


「こんにちは」


無常ちゃんは顔を上げた。


「こんにちは」


女性はすぐに異変へ気づいた。


「また?」


「はい」


「今度は何?」


無常ちゃんは少し考え、


何も言わなかった。


女性が笑う。


「言わない方がいい感じ?」


「たぶん」


「じゃあ聞かない」


女性は席へ行く。


窓際はまだない。


奥に座る。


無常ちゃんは、


それを見ていた。


何も言わない。


何も選ばない。


それでも、


世界は待っている。


レジ。


次の選択を入力してください。


無常ちゃんは見ない。


数分。


十分。


三十分。


外の車が止まった。


人も止まる。


信号は黄色のまま。


空を飛ぶ鳥が、


羽ばたいた姿勢で静止する。


女性客が窓のあった壁を見る。


「……世界、待ってない?」


無常ちゃんも見る。


「そのようですね」


「無常ちゃんが決めるのを?」


「はい」


「決めなかったら?」


無常ちゃんは答えなかった。


外では、


風も止まっていた。


---


夜。


店内には、


無常ちゃんと女性客だけ。


閉店時刻は過ぎている。


けれど、


時計の針が動かない。


世界が、


次を待っている。


女性が言った。


「無常ちゃん」


「はい」


「帰っていい?」


無常ちゃんの指が、


わずかに動いた。


前回。


帰ってほしくない。


それでも帰ってもらう。


そう選んだ。


今、


「帰ってください」


と言えば。


世界は、


その言葉をどこまで広げるのか。


女性だけか。


客全員か。


クルー全員か。


世界中の誰かか。


無常ちゃんは、


口を開かなかった。


女性はしばらく待った。


それから。


「じゃあ、勝手に帰るね」


立ち上がる。


入口へ向かう。


扉を開ける。


外へ出る。


普通に。


道を歩く。


角を曲がる。


消える。


何も起こらない。


無常ちゃんは、


その背中を見ていた。


レジが鳴る。


未選択を検出しました。


無常ちゃんは画面を見る。


結果が発生しました。


もう一行。


選択者:対象本人


無常ちゃんの目が少し開く。


外で、


信号が青になった。


鳥が飛ぶ。


車が動く。


時計が進む。


世界が、


再び動き始める。


---


閉店後。


「空白」の部屋。


今日は何もなかった。


本当に何もない。


レジすらない。


ただ、


床に紙が一枚。


無常ちゃんは拾う。


そこには、


二つの欄。


選択する


選択しない


その下。


小さな文字。


どちらも選択です。


無常ちゃんはしばらく見た。


紙を裏返す。


裏面には、


別の一文。


ただし、選択しない場合、世界は他者へ選択権を返却します。


無常ちゃんは少し笑った。


「それなら」


紙を床に置く。


「私が全部決めなくてもいいのですね」


何も起きない。


白い部屋。


静かなまま。


無常ちゃんはそのまま横になる。


目を閉じる。


しばらくして。


床に置いた紙へ、


文字が一行だけ増えた。


権限分散を開始します。


その下。


候補者数:31

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